第143話 夕と渚 3
俺たち5人以外誰もいない教室は、朝の慌ただしい時間でも本当に静かで、そして重苦しい空気が漂っている。
その中心にいる二人――天海さんと荒江さんが、お互いのことを無言でじっと見つめている。天海さんは真剣な眼差しで、そして、荒江さんはいつも以上に不機嫌を隠すことをせず。
「――てかさ、天海」
まず、沈黙を破ったのは、荒江さんのほうだった。
「さっきのチームメイト云々って、なに? なんか色々知ってるような口ぶりだったけど、どうしてアンタがそんなこと知ってんの?」
「荒江さん、それは俺の方から説明するよ。ある人に調べるように頼んだのは、天海さんじゃなくて俺のほうだから。天海さん、いいよね?」
「……うん。ごめんね、真樹君」
天海さんからもOKをもらったところで、俺は、二取さんと北条さんからもらった情報について、荒江さんに説明することにした。
先日、二人にお願いして、見せてもらった映像やノートの中には、当然、荒江さんの所属していた中学との試合の結果や、その時の詳細を知ることが出来た。
負けたことは当然していたももの、スコアを確認してみると、結果としてはかなりの大差で惨敗。何対何までは覚えていないものの、トリプルスコアほどの点差がついていたはずだ。
1点差や2点差の接戦で勝敗が別れることもあるバスケで、ダブルスコア、トリプルスコアでの敗戦となると、チームとしてかなりの地力の差があったことがわかる。
その時の映像も一部みせてもらったが、素人目に見ても明らかなワンサイドゲームで、その中で唯一たった一人、最後まで気を吐いていたのが荒江さんだった。
白熱した好ゲームが期待される県大会の準決勝での惨状だったから、荒江さんも内心は辛かったはずだ。実際、荒江さん以外のメンバーはほぼ俯いて戦意喪失していた。
「ちっ……なるほど、そういや天海の出身はタチ女だったか。なら、その中に知り合いがいてもおかしくはないと……記録に残ってる情報とはいえ、こっそり人の過去嗅ぎまわって、本当にウザいことするね、アンタたち」
「ウザいと思うなら、一人で勝手に過去にとらわれてうじうじしてればよかったんじゃない? そっちが先に突っかかってきたんだから、自業自得だよ」
「こいつマジ……!」
「あ~、ほらほら荒江っち! ヒートアップすんのはいいけど、怪我させるとかそういうのは無しだよ。あと夕ちんももう少し抑える。二人とも下手すりゃ謹慎、もっとひどけりゃ停学だってあることも忘れないで」
すぐにでも飛びかかっていきそうな雰囲気の荒江さんを、新田さんがしっかりと止めに入る。本人によると、昔、異性関係でトラブったことがあるらしく、こういう時の対処もある程度慣れているのだとか。それについては大変気の毒だと思うが、今はとても助かっている。
新田さんのようになりたいとは思わないが、そんな新田さんから学べる部分は多い。
「……じゃあさ、それだけ私のこと調べたんだからもうわかったっしょ? あれだけアホみたいに頑張って、努力すればなんだって出来るってマンガの主人公みたいな夢見て、他の子たちが遊びやなんやでうつつを抜かしている間も頑張って、それでも結局は……ほら、私、めっちゃ可哀想な人じゃん。だからさ、察してよ。お願いだからさ。そういう暑苦しいのさ、もう面倒くさいんだよ。しかも、たかが体育の授業の延長みたいなクラスマッチでさ」
たかがクラスマッチ――そう思う人は、おそらく荒江さんの他にもいるだろう。というか、去年までの俺も、どちらかと言えば荒江さんの考えに近かったように思う。
別に一緒にチームを組んだところで何も変わらない、チームを組んだ以上、多少の事務的なやり取りはするけれど、それが終われば、どうせまたいつもの仲良しこよしのグループに戻るだけで今までと何も変わらない。真面目にやるだけ無駄だ、と。
実際、去年のクラスマッチまではそうだった。そう思って周りのことを見ていた。
天海さんや新田さんのことも、そしてもちろん、海のことだって。
しかし、海と友達になって、それから天海さんや新田さんとも付き合いが増えて、少しずつ考え方が変わっていった。そして海が恋人になってからは、もっと。
荒江さんの言っていることも理解できる。しかし、だからと言って、俺たちが、天海さんが、『はいそうですか』と荒江さんの言うことを聞き入れるかと言えば、それもまた違う。
「……ふざけないで」
荒江さんのお願いに対して、天海さんが改めてそう返答した。
「だったら、なんで初めからそう言ってくれないの? 昔のことがあってバスケに嫌な思い出があるなら、どうして最初からバレーにしなかったの? 私にだけでもこっそり、やんわりでも言ってくれれば、メンバーの変更だって出来たのに」
「っ……それは、私らのわがままでメンバー決めがややこしくなるからって、アンタらが言ったから」
「ウソ。荒江さん、別にバスケが嫌いになったわけじゃないんでしょ? プレイするのが嫌だったら、あんなにムキになって一人で頑なにドリブルしたり、ボールを要求したりしないし」
「あ、あれは、ただそこの
「またウソだ。ねえ、荒江さんはどうしてそんなウソばっかりつくの? 荒江さんが嫌いになったのは、本当は何なの? 目標のために頑張った自分? それとも、頑張った荒江さんのことを馬鹿にしたチームメイト?」
「!? ……天海、お前、そこまで……」
確信をついたような一言に、荒江さんが初めて狼狽えたような態度を見せる。
荒江さんの昔の話には、実はまだもう少し話があって。
二取さんや北条さんからの情報で、記録に残っていないものの、あやふやながらも記憶には残っていた出来事。
今の彼女の態度から見る限り、それは、どうやら記憶違いではなかったようだ。
「とにかく、ちゃんと言ってくれないだったら、私は荒江さんの言うことなんか聞いてあげない。荒江さんがどれだけ私にパスを渡しても、その場ですぐにパスし返してやるんだから。……そうなったら私たち、とんでもない恥をかいちゃうかもね?」
「! 天海、てめえっ……」
「ごめん、皆。私、そろそろ行かないと。荒江さんも、早く体育館に集合ね」
そうして、天海さんは11組の教室を飛び出した。当然、すぐに追いかけるべきだったのだろうが、入れ替わりで入ってきた中村さんが『×』を作って時間切れを知らせてきたため、試合の出番が遅い俺はHRに出席しなければならない。
「とりあえず私で追いかけるから、真樹と新奈は教室に戻って。中村さん、迷惑かけてごめんだけど、私たちも行こう」
「よし来た。皆、ちょっとゴタゴタしてるけど、準備は怠らないように……あ、もちろんそこで突っ立ってる小麦ギャル、君もね」
「……わかってるよ。ってか、なんだその小麦ギャルって」
「ふ、睨むな睨むな。わりと可愛い顔が台無しだぞ?」
そうして11組チームと荒江さんも海に続き、俺と新田さんだけがその場に残ることに。
「……委員長、私もそろそろ自分のクラスに戻るわけだけど……まあ、なんていうか、話してもらうからね」
「……うん、わかってる。文章でまとめて、すぐにメッセージで送るよ」
HR開始直前の慌ただしさの流れに飲み込まれつつ教室に戻った俺は、すぐさま、先日の二取さんと北条さんが話してくれた出来事について思い出す。
――話は一昨年の、橘女子中等部 対 城東東中学校、試合終了後にまでさかのぼる。
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