12

 翌朝。


 ジュリアに呼ばれてエレナたちは宝物庫の前にやってきた。

 重厚な扉を開くと、たくさんの高価なものが並べられた棚の奥に、一人の女性が倒れているのが見えた。


「ソアリス!」


 サンドラードが駆け寄って、倒れている女性を助け起こす。彼女は目を閉じたまま動かない。近くには、古びた糸紬の機械が一つ置いてあった。


「おそらくだけど、マリアンナが使った死の呪いは、『時を早める』呪いだと思うわ。一気に何十年という時と取らせて寿命を迎えさせる――、そういうタイプの呪いよ。だからシフォレーヌは時を止める呪いをかぶせたの。止めさえすれば、時は進まない。ソアリス姫の時は十五歳で止まるから、マリアンナの時を進める呪いで老いて死ぬこともないってわけね。考えたものだわ」


 ジュリアは糸紬の機械に近づくと、それに触れようと手を伸ばした。しかし、ばちっという音がして手がはじき返される。

 ジュリアは赤くなった自身の指先を見て舌打ちした。


「術の核は間違いなくこれね。この糸紬を何とかしさえすれば呪いは解けるはずだわ」

「茨が枯れたときみたいに、わたしが触ればいいんでしょうか?」


 茨が枯れた時も、エレナは特別何かをしようとしたわけではなかった。ただ触れただけだ。

 ジュリアは首を横に振った。


「あんたの力はまだ安定していないの。不用意に触れようとしないほうがいいわ」

「でも……」

「大丈夫。あたしに考えがあるの。あたしがこれから術を使うから、あんたはそのあとに役に立ってもわうわ。ふふん、呪いはね、何も消し去るだけじゃないのよ。見てなさいよマリアンナ、あたしはシフォレーヌみたいに優しくないわよ」


 ジュリアはにやりと笑った。






 ジュリアは糸紬の機械の周りの床に、何やら複雑な模様を描きはじめた。

 なんだかとても楽しそうだ。ふんふんと鼻歌まで歌っている。


「ジュリアは何を企んでいるんだ?」

「さ、さあ……?」


 ユーリはあまりに楽しそうなジュリアの様子に怪訝そうだ。

 ライザックは先ほどから面白そうにジュリアの描く模様を眺めている。

 サンドラードとヒューバートは、眠ったままのソアリス姫を彼女の部屋へ運ぶことにしたようだ。時が止まっているとはいえ、冷たい床の上にいつまでも横にしておくのはかわいそうだからだろう。

 やがて、ヒューバートだけが戻ってきて、サンドラードはソアリス姫のそばについていると教えてくれた。

 ジュリアは模様を描き終えると、離れたところに線を一本描いて、危ないからこの線の外側に立っていろと言った。


「さてと、久々に腕が鳴るわよぉー!」


 ジュリアはパキポキと指を鳴らして、描いた床の模様に向かって両手を突き出す。


「……ジュリアさん、楽しそうですわね。どうしてでしょうか。あの方があんな表情をされていると、ちょっと不安を覚えてしまいます」


 ミレットのこの発言には、ジュリアには失礼かもしれないが、エレナも同意したいものがあった。ジュリアはノーシュタルト一族の長であるエレナの父でもかなわない魔女である。その強い魔女の「腕が鳴る」。……ちょっと怖い。


「大丈夫でしょ。少なくとも殿下やエレナちゃんには危害は加えないだろうし」

「あなたは呑気でいいわね」


 ライザックがのほほんと言えば、ミレットが息を吐き出した。

 話している間にもジュリアの術は進んでいるようで、彼女の手から稲光のような鋭い光があふれて、描いた模様に吸い込まれていく。その光は徐々に激しさを増していって、とうとうバチバチと大きな音を立てはじめた。

 ノーシュタルト一族の地で暮らしていた時、義母や異母兄妹たちに術で怪我をさせられたことのあるエレナは、その光が恐ろしくなって、ユーリにぎゅっとしがみつく。

 ユーリがぎゅっと強く抱きしめ返してくれて、エレナがほっと体の力を抜いた時だった。


「ふ、ふふふふふふ、覚悟しなさいマリアンナ! これは正当防衛よ! 恨むなら自分を恨みなさいね!」


 ジュリアはどうやら「正当防衛」という言葉が好きらしい。

 今回のこの呪いの一件は、ジュリアが危害を受けたわけではないので、「正当防衛」とは違う気もするが、楽しそうな彼女には何も言えない。


「さぁって、発動しかかって止まったこの術を返してあげるわ! 直接この目で見れないことが残念だけど、想像して大爆笑してあ・げ・る!」


 ジュリアの目がキラキラしている。

 ジュリアが描いた模様が光を放ち、そこから突風が巻き起こる。ジュリアの髪が強い風になびいて、近くにあった棚からはばたばたと物が零れ落ちた。

 ユーリが風からエレナをかばうように彼女の頭を腕の中に抱き込む。

 糸紬の機械の歯車がすごい勢いで回転をはじめて、エレナたちの目の前でそれは徐々に壊れて行った。

 やがて糸紬の機械がバラバラになると、風と光はやんで、ジュリアがふうっと額の汗をぬぐう。


「さ、これで馬鹿マリアンナの呪いは消え去ったわよ」


 エレナたちにはいったい何が起こったのかさっぱりわからなかったが、ジュリアは満面の笑みを浮かべて親指を立てた。




     ☆   ☆   ☆




 ――同時刻。


  ノーシュタルト一族の暮らす最果ての半島で、甲高い悲鳴が上がった。

  ノーシュタルト一族の長の側室の一人であるマリアンナは、鏡の前で自身の頬や髪に触れながらガタガタと震える。

 鏡に映る彼女の様は、まるで百年も年を重ねたかのような老婆のようだ。

 真っ白な髪に、皺だらけの顔、落ちくぼんだ目――。マリアンナは髪をかきむしり、その拍子にごっそりと髪が抜けてさらに悲鳴を上げた。

 悲鳴を聞いて駆けつけた娘のバネッサは、魂が抜けたような顔をしてその場に座り込んでいる母の様子に、茫然と立ち尽くしたのだった。

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