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「もっと早く進めないのかこの馬車は!」


 馬車の座席の背もたれに両方の前足をついて、ユーリは御者台に向かってぎゃんぎゃん吠えた。

 御者台にはライザックが座り、馬車の中にはユーリとジュリア、そしてミレットが乗っている。

 馬車は四頭立てだが、長距離を走行するために速度を調整する必要がある。馬たちだって疲れるのだ。それだというのに、ユーリはイライラしたように速度に文句をつけるのである。

 やれ、自分が走った方が早いだのなんだのと騒ぐユーリに、ライザックはうんざりしたように返した。


「無理を言うなよ! 二か月半かかるんだぞ! 途中で馬を変えるわけでもあるまいし、少しは馬の気持ちになれよ犬だろ!」

「狼だ! いや違う、俺は人間だっ」

「あーもう、落ち着きなさいよ。エレナなら大丈夫そうだったでしょ?」


 ジュリアがやれやれと肩をすくめると、彼女を振り返ったユーリが言った。


「おい、もう一度、エレナと話ができないのか」

「簡単に言わないでしょ。あの術はすごく疲れるって言ったでしょ!」

「ちっ」


 ユーリは座席に寝そべると、不貞腐れたように目を閉じる。

 ミレットはやれやれと息を吐いて、荷物の中からエレナが愛用していたショールを取り出した。それをユーリの顔の近くにおいてやると、ユーリは片目を開けて、そしてそれを前足で手繰り寄せるとその上に頭を乗せた。

 ユーリを落ち着かせるのはこの方法が一番だ。エレナのにおいのするものをそばにおけば、イライラしていても落ち着くようなのである。さすが犬。


「それで、ジュリアさん。奥様が攫われたのはレヴィローズの呪いのせいだろうとおっしゃいましたよね。そのレヴィローズの呪いというのは……」

「時が止まる呪いよ。……いいえ、正確に言えば、時が止まるのは呪いじゃないの。呪いを防ごうとした結果の、副産物と言えばいいのかしら?」

「どういうことでしょう?」

「レヴィローズの呪いは本来、レヴィローズの第一王女ソアリス姫にかけられた死の呪いだったの。でも、その呪いを嘆いた国王夫妻が、たまたま交友のあった一人の女性に助けを求めた。でも、彼女にはかけられた呪いをすべて解くことはできなかったの。だから彼女は、その呪いを上書きすることにした。死ではなく、眠りにね。上書きした呪いはソアリス姫にだけ発動するものだったけれど、呪いを上書きした女性が死んだことで、上書きした呪いの効果が少し弱まってしまった。結果、呪いはレヴィローズ全体に広がって、国民全員が眠りについてしまった。三年前のことよ」

「そんなことが……。でも三年前ですよね? 距離があるとはいえ、どうしてわたくしたちはそのことを知らなかったのでしょう」

「アレグライト国がその秘密を守り通しているからよ。もともとレヴィローズは国交の盛んな国ではなかったし。陸続きに国境のある唯一の国アレグライトが抑え込んでいるから、今のところ外部には漏れていないみたいね。レヴィローズとアレグライトは昔から親交が深かったようだし、ソアリス姫はアレグライト国の第二王子の婚約者だったから、アレグライト国としてもレヴィローズの件は表に出したくなかったのよ」


 ジュリアはそこで言葉を切って、はあと大きくため息をついた。


「それにしても、まさかエレナが攫われるなんてね。まあ、この手の呪いに関して言えば、対処できるのはエレナ以外にはいないでしょうけど……、因果なのかしらね」






 エレナはレヴィローズ城を前に大きく目を見開いた。

 目の前にあるのは、遠くに見える城の一部を見ても、城には間違いないのだろうが、城の門から城までを絡み合う茨が覆いつくしていて、到底近づけそうもない。

 しかもその茨は意志を持っているかのようにうごめいており、少しでも近づけばその鋭い棘を持って侵入者を阻むようだった。


「そなたにはこの茨を何とかしてほしいのだ」


 サンドラードはこともなげに言ってくれるが、エレナにできるとは思えない。

 茨を前に、エレナが立ち尽くしていると、ヒューバートが近づいてきた。彼はエレナの前で「申し訳ございません」と頭を下げて――、どうして謝っているのかとエレナが首をひねった直後のことだった。


「きゃっ」


 突然、ヒューバートが両手でエレナを突き飛ばした。


「ヒューバート!」


 サンドラードのぎょっとした声が響く。

 勢いよく突き飛ばされたエレナはたたらを踏み、絡み合う茨に向かってつんのめった。その瞬間、茨は侵入者に敏感に反応して、鋭い棘と鞭のようにしなる茎をもってエレナに襲いかかる。

 エレナはその場に膝をついたまま悲鳴を上げて縮こまった。

 サンドラードが腰に佩いていた剣を抜いて駆け寄ろうとしたが、それよりも早くにエレナの体から――、正確にはエレナが身に着けていたアメシストのペンダントから強い光があふれ出て、エレナに触れようとする茨をはじき返した。

 エレナはその隙に慌てて立ち上がると、茨の襲ってこない門の外に駆け戻る。

 エレナがほっと息をついた横で、サンドラードがヒューバートを怒鳴りつけた。


「何を考えている! 女性を突き飛ばすなど……!」

「申し訳ございません。けれども、これでエレナ様であれば茨を何とか出来るということがわかったかと」

「だからと言って……」


 サンドラードはヒューバートを睨みつけ、それからふとエレナに視線を向けてハッとした。


「膝をすりむいている……。手当をしよう、馬車に戻るぞ」


 言われてみれば、膝が熱を持ったように痛い。今はドレスではなくサンドラードが道中で購入した膝丈のワンピースを着ているから、地面に膝をついたときに擦りむいたのだろう。

 ノーシュタルトの一族の最果ての半島で暮らしていた時には、怪我なんて日常茶飯事だったために、エレナは少し痛いな程度の感想しかもたなかったが、サンドラードは顔を青くして、血のにじむ膝を見下ろしていたエレナを横抱きに抱え上げた。

 驚いたエレナが悲鳴を上げそうになったが、サンドラードは慌てたように馬車に向かって駆けていく。

 エレナはふと、そういえばユーリも、エレナが包丁で指を浅く切っただけでも大騒ぎをしていたことを思い出した。男性は女性が怪我をすると慌てるものなのだろうか?

 ちなみに包丁で指を切った時は、包帯を指の何倍の太さになるまでぐるぐる巻きにまかれて、怪我が治るまでキッチンへの出入りを禁止された。

 エレナは馬車の座席に座らされて、サンドラードから手当てを受けた。彼は丁寧に傷口を消毒し、薬を塗ると、包帯を巻いてほっとした表情を浮かべた。


「深い怪我でなくてよかった」


 少し擦りむいただけで大袈裟である。エレナが怪我に慣れすぎているのもあるだろうが、この程度であれば洗って放置しておけばそのうち治ると思うのに。

 エレナはサンドラードから、血が止まるまでは大人しくしているようにと言われたので、馬車の中で彼と話をすることにした。

 レヴィローズの城についたら詳しいことを教えてくれると言っていたからだ。

 サンドラードは馬車の窓からレヴィローズ城を見やった。その表情が、まるで恋い焦がれているかのようにも見えて、エレナはついサンドラードの視線を追った。

 花のない荒々しい茨に囲まれた城は、牢獄のようにも、不可侵の防壁のようにも見える。

 サンドラードは城を見つめたまま、ぽつりと言った。


「三年前だ。この城が茨に取り囲まれて、この国の人々が時が止まったように動かなくなったのは」

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