妻の暴走1
明智さんちの晩ごはん
明智さんちの三女の、どこかずれているクルミ色の瞳はさっきから、自分のすぐ前に置いてある岩塩を見つめていた。それは、パワーストーンのように美しいピンク色のものだ。
(塩を使いたい……)
手を伸ばせば取れる位置なのだ。だが、十一人で食事をしているわりには、調味料はひとつしかない。白いテーブルクロスをかけた大きな細長いテーブルの中央で、妻は塩をゲットするという、簡単そうでいて、極めて難しい問題に出くわしている。
それはこうだからだ。
――塩が勝手に消えるのである。
手品でもしたかのように、パッと目の前でなくなる。そして、どこへ行ったのかと探そうとする。
しっかりと立っているはずの塩でも、人みたいにめまいか何かを起こしてバランスを崩し、テーブルの上を勢い余ってコロコロと転がり、床に転落したのではと思うのだ。
このどこかずれている、明智さんちの三女は。
妻は視線を下へ落とし、大理石の上を探すが、どこにもない。あったのに見えなかった。人の視覚は錯覚を起こす。精密にはできていない。見間違いということもあり得る。
そして、テーブルの上をもう一度探すが、やはりどこにもない。だが、見つかるのだ。夫のうちの一人が手を縦に振って――塩を使っているのが。
いつの間にか、テーブルを挟んだ斜め向かいの席にいる夫の手に塩があるのである。
それぞれの距離はきちんと取られていて、両脇にいる夫でも、塩は届かないのだ。どうやっても、誰かに声をかけてリレーしてもらうか、自分で取りに来ないと塩に触れることはできない。
さっきから静かな食卓。食器のぶつかる音だけで、大理石を歩く足音も聞こえない。しかし、また事件発生。誰かが乱暴に投げ置いたように、ピンクの岩塩がコトッと音を立て、グラグラとビンのボディーを揺らしながら目の前に戻ってきていた。
あれ? 見間違いだった。
さっきからここにあった。
よし、今度こそ塩を――!
伸ばした指先で、爪の先で、またしてもピンクの岩塩は消え去ったのである。そして、どこか夢見がちな妻はこの結論にたどり着いた。
塩が魔法を使うんだ。
どうしてだかわからないけど、呪文を唱えて、こうシュッと消える。
ということで――!
妻は大きく右手を上げて、
「すみません。塩さん、瞬間移動で、私のところに戻ってきてください」
ピンクの岩塩に呼びかけてきた妻。他の理由があるようなのに、どうしよもなくずれてしまっている妻を前にして、夫十人が一斉にため息をついた。
「うちの奥さんは、今日も頭が壊れている……」
ご親切丁寧にも、塩さんは妻の右の手のひらに現れたのである。香ばしい香りが一日の終わり――
――何で、みんなと結婚しちゃったのかな?
どう食べているかは
料理が得意な夫が作った夕食を前にして、何気なく塩を元へ戻そうとすると、その手からスッと消え去った。置いたものだと勘違いして、妻は複数婚について思いをめぐらす。
結婚するって言ってないよね?
知らないうちに、了承した?
こうね、夢遊病でうなずいた――そんなわけあるか!
食べかけのチャーハンの三日月型を前にして、妻の一人ボケツッコミが密かに自己満足レベルで成功し、スプーンはさらに直角に立てられた。
よく考えてみると、最初からおかしかったんだよね。
一度もプロポーズされてない。
明日、入籍しますっていう事後報告だけで……私の意思はどこにもないんだよね。
誰が誰を好きで、こんなに増えちゃったんだろう?
それもよく聞いてないなぁ。
でもなぁ〜。
妻は相手をこっそりうかがって、おでこを照れた感じで触った。顔を伏せた死角で、一人ニヤニヤ。スプーンが皿の上で、のろけの『の』の字を描き出す。
誰がどう見ても、この世のものとは思えないほど、全員イケメンだ。
神がかりな美しさ。
性格は個性的で神聖。
笑いの衝動はテーブルについてる肘にまで伝わり、彼女のまわりにあった食器類がガチャガチャと騒ぎ立てた。静かな食卓に響く音。当然、夫たちにはこんな姿が映っていた。
――妻が椅子から転げ落ちそうなほど、ふらふらと揺れながら、一人で薄ら笑いを浮かべているところ。
「まただ……」
こんなことは、明智家の夕食ではよくあることで、妻は放置を食らった。
ゆったりとした時間を過ごせるようにという話し合いから、食堂には時計はどこにもない。そんな空間で、かきたまスープの
いやいや、落ち着こう!
みんなは好きで結婚したんだよね?
これが幸せなんだよね?
だって、みんな仲良くが法律なんだから、誰か一人でも嫌だったら、違反だよね?
スプーンが皿をひっかく音がピタリと止むと、真顔で食卓を見渡した。
あれ? それって、自分も入ってる?
ってことは、私が理解しないと、全員違反だ。逮捕だ。
それは大変だ。家庭崩壊だ。
だけど、みんなのことよく知らないんだよね。
妻の目の前で、ピンクのパワーストーンみたいな岩塩のビンが、すっと姿を消したかと思うと、夫の一人が料理に塩をかける。そうして、その仕草が止まると、誰かが乱暴に置いたように、妻の目の前に岩塩は無事に戻ってくる。
超常現象が繰り返し起きていたが、妻にはそんなことはどうでもよくなってしまっていて、一歩、いや次世代まで遅れ気味な結婚を考え中。
どうやったら、みんなにお近づきになれ――あっ!
妻のずれている頭の中で、電球がピカッとついた気がした――ひらめいた。
十人の王子さまに手を取られ、クルクルと踊る舞踏会!
彼女の妄想は暴走し、いつの間にか高貴な城の大広間に立っていた――。白いウェディングドレスを着て、手に持っていたブーケを天井へ向かってさっと放り投げる。
結婚式+お姫さま=ミュージカル。という方定式が勝手にできて、加速する大暴走。
「♪結婚〜それは〜 あなたと私〜めぐり逢い〜♪」
歌い出すとそれが合図で、宮廷楽団の奏でる華麗なワルツに乗って、一人目、二人目、三人目……と、花婿衣装の夫たちが次々と手を取り入れ替わり、右に左にステップを踏み、
一、二、三、一、二、三、一、二、三……♪
時にはリードされてターンをし、祝福のライスシャワーが頭上から降り注ぎ、両手を空に向かってかかげ、夫たち十人に囲まれる円の中心で、妻は幸せに暮らしましたとさ。おしまい――
最後のステップを踏むと同時に、太ももにガツンと衝撃と痛みが走り、
「っ!」
現実に返ると、妄想もれを完全に起こしていた。テーブルに強打した足の先で、チャーハンの皿からスプーンは米粒をともなって、白いテーブルクロスに今まさに落ちたところ。
妻は椅子からいつの間にか立ち上がり、夫たち十人の前で右に左にステップを踏んでいた。ニコニコ、いやニヤニヤの笑顔で。パリピも真っ青なほど、ノリノリで。
慌てて椅子に座り直す妻だったが、夫たちにとってはこれもいつものことで、突然踊り出したりなどまだ可愛い方だ。軍の歩兵隊になって、
夫たちはどこ吹く風で食事を続けている現実。彼らを前にして、妻は気まずそうに小さく咳払いをして、
「んんっ!」
水の入ったワイングラスに、円を描くように姿を映している夫たちをぼんやり見つめた。
と、とにかく!
みんなのデータを内緒で取ろう!
夫たちの好み、趣味などの話、いやお題を振りながら……。
食後の大波乱に向かってカウントダウンをするように、みんなの皿がカラになり始めた。
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