僕じゃ君を守れないから
くろねこどらごん
第1話
―――誰かと比較されることなく生きてこれた人は幸せだ。
それだけ愛されてきたということだから。
―――誰かに劣等感を抱くことなく生きてこれた人も幸せだ。
それだけ満たされているということだから。
満たされ、愛されてきた人間とは、ただそれだけで特別な人間であると僕は思う。
だけどきっとその人達は、今の自分の境遇について聞かれたとき、こともなげににこう言うのだろう。
―――え?そんなの、当たり前のことじゃないの、と
他人と比較されることもすることもない、平穏で綺麗な世界で生まれ育ったから出てくるセリフ。
どれだけ恵まれた存在であるかの自覚もないから言える、そうでないものにとっての言葉のナイフだ。
本人からしたら悪気なんてこれっぽっちもないだろうからタチが悪い。
その在り方に無自覚のうちに傷つけられた人間がいたとしても、責めようがないからだ。
美しいものは、ただ存在しているだけで持たざるものを傷つけていく。
誰だって綺麗なものには目を惹かれ、見たくなくても見てしまうのが、どうしようもない人の性というものだから。
そしてその果てに、多くのものはこう思うのだ。
妬ましい。憎らしい。どうしてああなれないんだろう。あの人みたいになれたら良かったのに。
負の感情。胸の内に溜め込まれる悪意。逃れられない底無し沼。
その人自身ですら理解していないことを、他人がいくら妬んだところで意味はない。
鏡に向かって怒鳴り付けても、結局自分だけが傷ついて、ただ虚しく終わるだけ。
どこまでいっても、この劣等感から解放されることはないのだろう。
嫉妬の炎に焦がれても、焼かれるのは己自身。
そんな結末がわかっているのに、それでも目を背れられない人間は、傍からみればきっとただの愚か者であるはずだ。
そうならないための手段は、その相手を避けることしかない。
距離を置いて遠ざければ、きっと時間が癒してくれる。いつか忘れる日が来るはずだと、強く強く信じてた。
だから僕はそうしてきたんだ。
その子を、そして僕自身が傷つかないで済むために。
―――だけど結局、その先にある結末が見えてなかった僕は、やっぱり愚か者だったんだろう。
僕にとって幼馴染の少女である、
別に憎いわけじゃない。むしろ彼女のことが大好きで、小さいときは僕が守ってあげたいと思っていたくらいだ。
その気持ちは、きっと今でも変わっていない。
だけど、それではダメだった。
理由はひどく簡単で、陽葵は僕よりずっと優れていて、とても強い子だったから。
スポーツ、勉強、コミュニティ能力。どれをとっても、陽葵は僕よりずっと先を行っていた。
どんなことでも軽々とこなし、それでいて気取ることなく皆に接する優しい少女。
その上容姿まで他の子と比べて圧倒的に優れているというのなら、人気者にならないほうがおかしいというものだ。
陽葵の周りにはいつでも人だかりができており、クラスメイトは皆彼女を慕っていた。皆陽葵に夢中だった。
そんななかで疎外感を覚えていた人間は、きっと僕くらいのものだろう。
なんで僕は陽葵みたいになれないのか、なんで僕はもっと上手くできないんだろう。そんなことばかり考えて日々を送っていたのだ。
―――彼女より優れていないと、守ってあげることができないと思ったから
そう思うようになったのは、小さい頃のある出来事がきっかけだった。
幼かった僕は、その時既に陽葵に対して好意を持っており、毎日のように一緒に遊んでいたものだ。
ただ、好意といってもそれは本当に純粋なもので、男女のそれというよりもっと漠然とした、一種の庇護欲に近かったと思う。
気持ちが少しづつ積み重なっていくなかで、僕は彼女と別れて家に帰った後、母さんになんとなく聞いてみたのだ。
―――ずっと陽葵ちゃんと一緒にいるにはどうしたらいいの?
それは本当に、ただひたすらに純粋な疑問。
無知な子供が、自分の頭でいくら考えても分からないことを、ただ知りたかっただけだった。
だから僕の質問を受け、困ったような嬉しそうな、ちょっと複雑な顔をした後、母さんが言った言葉に、悪意なんて微塵もなかったはずだ。
まだ小さな息子の疑問に答えてくれたあの時の母さんの目は、確かに優しいものだったから。
―――そうね、なら陽葵ちゃんを守ってあげれるくらい、強くならなくっちゃね
―――強く?
だけどその言葉は、今でも心の枷となり、鎖となって未だに僕を縛り続けている。
―――そう。武尊は男の子だから、女の子を守ってあげないといけないの。そうしたらきっと陽葵ちゃんも喜んでくれるし、きっと一緒にいられるわよ
……母の言っていることは間違いなく正しかった。
間違いあるとすれば、それは―――
―――そうなんだ。わかった!僕、陽葵ちゃんを守れるくらい、強くなるね!
その言葉を鵜呑みにし、心の奥底に「そうでなければいけない」と、深く刻みこんでしまった、僕自身の愚かさだろう。
その時の僕は、自分という人間の器というものを、まるで理解していなかったのだ。
それからの僕は、いろんなことを手当たり次第頑張り始めた。
強くなるという意味を良くわかっていなかったのもあり、とにかくいろいろやってみようと思ったのだ。
ある意味、あの頃の僕は怖いもの知らずだったのかもしれない。ただただ目の前のことしか見えてなかった。
頭が良くなろうと、勉強を頑張った。足だって早くなれるように毎日走った。友達をたくさん作ろうと、いろんな人に話しかけた。
そうして努力を続けていれば、いつか陽葵ちゃんを守れるくらい強くなれる。そうしたら、ずっと一緒にいられるんだ。
頑張れば、この努力は必ず報われるものだと思っていた。
だけど、幼かった僕はすぐに思い知ることになる。
そんな純粋な想いなど、現実の前ではただの甘い幻想だということを。
「タケルちゃん、なにしてるの?」
それから少し時間が経った頃、陽葵は僕がしていることに興味を持ち始めた。
彼女は友達が多かったけど、昔からずっと一緒だった僕が一番仲良しだったことは間違いない。
そんな僕が自分を放っておいてなにかをやっていることに、その時の陽葵はちょっと怒っていたのかもしれない。
少し頬を膨らませ、どこか不機嫌そうな顔をしていたことを、僕は今でもハッキリと覚えている。
「んっと…足が速くなりたいんだ。今度の運動会で、いい順位取りたいから」
幼かった僕は、そう言って誤魔化した。
陽葵を守れるように頑張っているなどと、正直に言うのは恥ずかしかったからだ。
それにどうせ打ち明けるなら、ヒーローのようにカッコイイ場面で言ってしまいたいという、ちょっとした英雄願望のようなものもあった。
「ふーん、そうなんだ。じゃあ私もタケルちゃんと一緒に走っていい?」
だからそう言って可愛らしく笑う陽葵にドキリとしながら、僕は迷った。
陽葵のために頑張っているのに、彼女も一緒に走ってしまっては、差を付けることができないからだ。
それでは本末転倒といえるだろう。守ってあげたい人も強くなられるのは、なんだか違う気がしていた。
「んと…」
「ダメなの?」
渋る僕を見て不安げに顔を曇らせる陽葵。
それを見て僕は慌てた。つい迷ってしまったけど、守るつもりが泣かせてしまうなんて、そんなのはいけない。
残された選択肢はあっさりとなくなり、頷く以外に道はなかった。
「だ、大丈夫だよ。陽葵ちゃんも一緒に走ろう」
「!うん!やったぁ!」
泣きそうな顔から一転、笑顔になる陽葵を見て、僕は胸をなで下ろす。
まぁしょうがないか。最近陽葵と一緒にいることも少なかったし、考えてみれば悪いことでもないかもしれない。
そう思い直した僕は陽葵と並んで走り出すのだけど、しばらくしてあることに気付く。
(あ、あれ…?)
ここ最近毎日走ってた僕よりも、陽葵のほうが何故か先に行っていることに。
それどころか僕は既に息が苦しくなってきてるのに、陽葵はむしろドンドン加速している気がする。
いや、それは気のせいではなく、無意識のうちに僕は陽葵のペースに巻き込まれ、いつものペースからズレていたのだ。
だから調子が外れて息が上がり、疲れが溜まる。
やがて陽葵についていけなくなった僕は、足が止まり、その場でゼイゼイと息を吐いた。
「なんで…」
僕がついていけなくなってるんだろう。僕のほうが、頑張ってきたのに。
頭の中でグルグルと黒い感情が渦巻いていく。
僕が後ろについてきていないことに気付いた陽葵が戻ってくるまで、手を膝につき、心に生まれた疑問について、僕はずっと考え込んでいた。
そして僕はほどなくして知ることになる。
勉強。スポーツ。遊び。料理。コミュニケーション。
そのいずれにおいても、自分が陽葵に優っているところが、なにひとつないことを。
僕が気付かなかっただけで、新橋陽葵は最初から、とても強い女の子だったのだ。
だけど僕は、
どこまでも普通で、彼女を守るなんて言えないような弱い人間であることを、痛いほどに理解してしまった。
そう、僕は最初から勘違いをしていたのだ。
―――弱い僕じゃ陽葵を守れない。ずっと一緒にはいられないんだ。
そのことに気付いた瞬間、僕の初恋は告げることなく砕け散った。
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