105. 吐露


「ユリウス……様っ!」


 おかしな話だ。追い出して、気まずい相手なはずのユリウスの顔を見ただけで、私は心の中に安堵の気持ちが生まれるのを感じていた。


(私は……この期に及んでユリウス様に頼ろうとしている……? どうして……?)


 明らかに今の状況でユリウスは頼るべき相手ではない。そもそもノーザンアイランドの次期当主たる私が、誰かを頼るということがあってはいけなかった。絶対的君主は誰よりも強く在らねばならないのだから。


 私は激しく混乱した。ごちゃまぜの感情の整理がつかずに上手く反応ができない。『ティナ姫』として振る舞うのだとすれば追い払うことが最善だと分かっていても、体がそれを拒んでいた。

 その気持ちを知ってか知らずか、ユリウスはどこか私の反応を楽しんでいるような雰囲気があった。


 そして彼は、私が思いもよらぬ言葉を口走り始めたのだった。



「ティナにお礼を言わなきゃな」

「──お礼?」

「あぁ、俺は長い間領主としての重責に苦しんでいた。それから解放してくれたのはティナだからな。今はのびのびとやってるさ」

「領主を続けたいとは思わないんですか?」

「別に?」


 返事はあっさりとしたものだった。表情も以前より幾分か活き活きしているように見える。そういえば、ユリウスは私が代わりにヘルマー領を治めると伝えても、特に反論はせずにすんなりとハイゼンベルク城を明け渡してくれた。ユリウスの言葉もあってか、城に仕える親衛隊やその他の兵士たちまで私に忠誠を誓ってくれたので、なんの苦労もなく新しい領主として私が君臨できているのも事実だった。


「もちろん、立て直し中の領地を放って立ち去るのが嫌という気持ちはあったんだが、まあティナなら……悪いようにはしないだろうしな」

「しない……つもりですけど……」


 私には背負いきれない──その言葉が喉元まで出かかっていた。私はまだ子供で……誰かの命を預かるにはあまりに未熟だと。誰かの助けを借りないとやっていけなくなりそうだと。そうユリウスに泣きついてしまいたかった。

 だが、ノーザンアイランド連合の次期当主としてのプライドがそれをすんでのところで踏みとどまらせた。



「つくづく変わった人ですね。あなたは……」

「お互い様だろ?」


 ニヤリと笑ったユリウスは、しかしすぐに表情を引き締めた。そしてボソッと呟く。


「俺はお前が無理してるように見えるがな……」

「えっ……?」

「いや、なんでもない。ティナが大丈夫ならそれでいいんだ。──じゃあな」


 クルリと振り返って手を振りながら去っていこうとするユリウス。私は反射的にその背に声をかけた。


「──領主って……」

「ん?」

「領主って……こんなに大変だったんですね。皆の意見を聞いて、自分の身を削って……誰かの意見を聞いたら誰かの意見を取り入れないことになるし……みんな表には出さないけど私のこと邪魔に思っているんじゃないかって……ずっと考えて……それで……」


 ダメだと思ってはいたのに、言葉が次から次へと溢れて止まらなくなった。気づいたら私の声は情けなく震えて、視界が──見つめた先にいるユリウスの姿がゆらゆらと揺らいでいく。


「あっ……どうして……私……なんで……」


 目の前に歩み寄ってきたユリウスが私の肩にポンと手を置いた。──それで、私の感情は呆気なく決壊してしまった。


「うわぁぁぁぁぁぁんっ……私、ほんとは当主なんて向いてないんです……ほんとはどこか小さな町に料理店でも開いて、毎日訪れてくれる人を癒してあげられるような……そんな人になりたかったんです……」

「……なればいいさ」

「無理なんです! 次期当主として相応しくないと判断されたら私は連合に追われることになります……それに、もう後戻りはできないところまで事態は進んでしまっているんです! 私のせいでサヤさんとライムントは……!」


 私はユリウスにすがりついて泣きながら散々弱音を吐いた。私の使命やそのために犯してしまった罪も全て吐き出した。

 その間、ユリウスはずっと私の背中をさすってくれていたので、涙が溢れて止まらなくなった。



「それで……それで……私はどうしたら……!」


(あぁ……ユリウス様の前で情けない姿を見せちゃった……)


 我に返ってももう後の祭り。こぼれた涙は床を濡らしていたし、こんなにユリウスにギュッと密着した姿を晒していてはもはや言い逃れはできない。

 私は絶望しながらユリウスの表情を窺った。

 彼は怒っているだろうか、それとも嘲笑っているだろうか。どちらでもいい、どんな罵詈雑言を吐かれても私は……。


 視線の先にあるユリウスの表情は涙のせいで歪んでいたが、どうやらそのどちらの表情でもないらしかった。両眉の端は下がってなにか、困ったような表情をしている。


 彼が必死に何かを考えているのだということに私は気づいた。そうだ、ヘルマー領の宰相となってから、考えるのは私の役目だと思っていたフシがあったので、ユリウスの思案顔を見るのは久しぶりだったが、彼はひどく悩んだ時に両眉がへの字に垂れ下がる表情をするのだった。


「うーん……じゃあやめたらどうだ?」

「──はぁ? 話聞いてたんですか? 辞めたら私は……」


 反論しようとした時、タイミングが悪いことに私のお腹がグゥゥゥゥッと空腹を訴えてきた。そういえば朝から考えっぱなしで何も口にしていなかった。忙しいと料理をする時間が無くなるから困る。──まあこのままノーザンアイランドの当主となるのであれば料理のスキルなど無用の長物なのだが。


 私が真っ赤になって俯くと、ユリウスがクスッと笑った。


「そうだ、せっかくだしいいものを見せてやろう。元気が出るかもしれないぞ?」

「わ、私は元気ですから! ちょっとお腹が空いただけで!」

「そうか? まあいい、厨房に来い」


 新しい食材でも見せてくるつもりだろうか? あいにくそんなことに付き合っている時間はない。


「なんでですか! 私は忙しいんです! 料理してる時間は……!」

「これは命令だぞ」

「命令って……もうユリウス様は私の主じゃないじゃないですか!」

「いいからいいから!」


 有無を言わさずユリウスは私の手を引いて部屋を飛び出すと、そのまま城の階段を駆け下りる。

 お腹が空いてるのもあり、ユリウスに逆らうのも気が引けていた私は、されるがままになっていた。

 それとも──もしかすると私はユリウス様と離れるのが嫌だったのかもしれない。

 チラッとそういう考えが脳内に浮かんだが、慌てて首を振って追い払ったのだった。


 厨房が近づくにつれてだんだんと、懐かしい……そして美味しそうな匂いが鼻腔を刺激してきた。



 ──これは……この料理はもしかして……!



 無意識のうちに私は口内に溢れていた唾液をゴクリと飲みこみ──恥ずかしくてギュッと強く押さえていた手の下で、また一際大きくお腹が鳴った。

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