87. 満月の魔力

 ☆ ☆



 そんなこんなで私たちはヘルマー領に戻って、東邦帝国で帝に言われたことをユリウスに伝えると、束の間の休息を貪っていた。


 なにせもう何週間も動きっぱなしだし、何度もライムントや魔獣にちょっかいをかけられているせいで私もリアもミリアムもへとへとだった。

 しかし何となく私には『これが恐らく大勝負の前の最後の休息になるのでは?』という予感があった。


 嵐の前の静けさだろうか、ヘルマー領は平和だった。ただ一人、ユリウスを除いては。

 今頃彼は自室に閉じこもって東邦帝国の提案をどうするか頭を悩ませているだろう。そして、しばらくすれば私やらウーリやらミリアムやらに泣きついてくるだろう。



 ──それまでは、せめてそれまでは身体を休めておこう。



 私は自室の寝台に横になって死ぬように眠った。特に住処のないリアが私の隣で寝ていたが、疲れていたせいか全く気にならなかった。むしろ、信頼できるリアと一緒にいれて安心だとさえ思った。



 私は夢を見た。懐かしい故郷の夢だった。

 氷に閉ざされた冷たい土地でもいつも家族だけは温かかったような気がする。すごくぼんやりとした夢だったが、辛くも楽しかった毎日が思い出された。


 故郷から託された使命──もうすぐ果たすことができる。ユリウスがどう決断したとしても、私はその使命に従って行動し、必ず目的を達することができる。今のセイファート王国の混乱した状況は私の使命のことを考えると願ったり叶ったりだった。


 いつしか私はヘルマー領のことよりも自分の目的を優先するようになっていた。だから、東邦の提案を伝えた時にユリウスにアドバイスはしなかったし、今もこうやって特に何もせずに休んでいる。


 ──本来ならアルベルツ侯爵の動きを警戒しながらバタバタと走り回らないといけないはずなのに。


 ヘルマー領に来たばかりの私であればそうしていただろう。

 では何が私の気持ちを変えてしまったのか。それは他でもない、七天の皆だった。


(ライムントとシーハンもクラリッサもサヤも、結局は自分の信念に従って行動していた……よく言えば信念があって、悪くいえば自分勝手。──それなら私も自分の使命に従って動いてもいいよね……?)


 今までは、ヘルマー領の繁栄が目的達成への近道だと判断して自分を騙していたが、もはや事態は変わってしまった。──だとしたら。



 私はふと窓から差し込む月明かりを辿って満月を見上げた。白くてまん丸なそれは真夜中の空に燦然と輝いている。私の故郷でもこんな月が見えた。月明かりの神々しさはどの土地でも変わらない。


(この月明かりが照らしている場所に私がいてミリアム先輩やリアさんやユリウス様がいて、アルベルツ侯爵がいてライムントがいて、モウ首席やシーハンがいて、黒猫亭の主人やクラリッサやサヤや帝がいて……私の両親もいる……って考えるとなんだか不思議な気がする……)


 魔法学校では「月明かりにはある種の魔力がある」と教えてもらったことがあるが、それは本当かもしれない。とにかく、私はかつてないほど迷っていた。


 ──トントン


 扉が叩かれた。こんな夜更けに誰だろうか?

 私はリアを起こさないように気をつけながら寝台を降りた。そして、マントを羽織ると扉を開けに行った。


 なんとなく予感はしていたが、扉の向こうに立っているのはユリウスだった。月明かりに照らされた彼はかつてなく凛々しく見えた。


「──何の用ですか? こんな時間に出歩いていたらウーリさんとかミリアム先輩に小言言われません?」

「なに、見つからなければどうということはない」


 ユリウスは、真面目な彼の性格に似合わないいたずらっぽい笑みを浮かべた。私は軽くため息をつくと扉の外に出た。


「悩んでるんですね?」

「よく分かったな」

「分かりますよ。でないとユリウス様がわざわざ夜中に女の子の家を訪れるわけがありません」

「ティナにはなんでもお見通しだな」


 話しながらユリウスはどこへともなく歩き始める。私はなんとなくそれについていった。


「なんでもじゃないですよ。わかることしかわかりません」

「なんだそれは……」

「私に分かることは限られてるということです!」


 くだらないことを言い合いながら、私たちは城の庭にやってきた。ここは周りに比べて小高くなっており、ハイゼンベルクの街が一望できる。街にはポツポツと明かりがついており、神秘的だった。少し前の寂れたハイゼンベルクの街からは明らかに雰囲気が変わっている。



「綺麗だろ?」

「はい」

「──俺はこの街が炎に呑まれるのを見たくない」

「はい……」

「この城が敵の手に落ちるのは耐えられない」

「──はい」

「仲間が死んでいくところを見たくない……」

「はいっ」


 ユリウスは当たり前のことを言って、私がそれを肯定する。意味があるのか分からないやりとりだったが、私にはそれがとても楽しくて──とても辛かった。


 今のままだとそう低くない確率でそれが起こってしまうことが分かっていたから?


 と、ユリウスは突然ガバッと地に膝をつけると、そのまま私の方に向かって土に頭を擦り付けた。


「えっ、ええっ!?」


 私がよくやっていた『土下座』。ユリウスがやるなと言ってくれた『土下座』。それを目の前でユリウスが私に向かってしているという事実は私を激しく困惑させた。


「ティナ頼む! ヘルマー領が生き残る方法を考えてくれ! どんな形でもいい! アルベルツ侯爵にしっぽを振っても、俺の身がどうなっても構わない! だから──」

「ゆ、ユリウス様!?」


「ティナが最初からヘルマー領を盛り上げる以外に何かを抱えていたのは分かっていた。でもその道筋にヘルマー領の発展があるならと思ってティナに甘えていたんだ俺は。──今はその道筋が逸れたってことだろ!?」

「──!?」


 まさか、ユリウスが私が故郷から使命を持って冒険者になったことを悟られているなんて思わなかった。私は絶句した。


「──どうしてそれを?」


 ようやく絞り出した声は情けないほど震えていて、まるで自分の声ではないようだった。


「俺だってティナのことなんでも分かるわけじゃない。でも、分かるものは分かるんだよ」

「──と、とにかく顔を上げてください!」


 私はしゃがみこんでユリウスの頭を上げようとしたが、彼は首を振ってそれを拒んだ。私の目を見つめるその瞳には涙がたっぷりと浮かんでいた。

 ユリウスが泣くなんてことは想像できなかったので、私は反射的にこう答えた。



「わ、分かりました! やりますから!」

「本当か……?」


「私やっと気づきました。私はユリウス様が大好きです。──ユリウス様が辛そうにしているのを見てこんなに胸が痛くなるんですから!」


 どさくさに紛れて告白紛いのセリフを言った気もするが、もうここまで来たら勢いだ。毒を食らわば皿までの精神で私は続ける。

 これが月明かりの魔力というやつだろうか。私の悩みはすっかり消えていた。──少なくとも今は。


「たった今から私の使命はヘルマー領を救ってユリウス様を──皆を幸せにすることです! 私、ティナ・フィルチュはそのために最善の策を探って、少しでもそれが成功するように精一杯……へくちっ!」


 今まで気づかなかったが、外は肌寒かった。そんな中、下着にマントを羽織っただけの服装で出てきてしまったので身体がすっかり冷えていたのだ。


「おいティナ、なんていうカッコで出てきてんだお前……」


 ユリウスは呆れ顔で肩を竦めている。私は顔に血が上るのが分かった。


「だ、だってこんなに長話するなんて思ってなかったし!」

「そういうところが抜けてるんだぞ。全く……」


 座り込んでブルブルと震え始めた私の肩にユリウスは自身のコートを脱いで掛けてくれた。温かい。まるで故郷の家族のように。


「ユリウス様が風邪をひきますよ?」

「ティナが風邪ひくよりマシだろ?」

「なんでですか! ユリウス様は領主様なんですよ?」

「アクセルにきいたが、こういう時男ってのは女に優しくするものなんだろ? 知らんけど」

「はっ! ガラでもないことをしないでください気持ち悪い!」

「うるせえ、泣かすぞメスガキ」


 隣によっこらせと腰を下ろしてくるユリウスは、薄着なのに全く寒そうな素振りを見せない。──ついでだし今だけは彼に弱い所を見せてもいいかもしれない。これが終わったら頼りがいのあるティナに戻ろう。

 私は隣のユリウスにさりげなく身体を寄せた。


「──今日だけ、今だけ……甘えてもいいですか?」

「やめとけ気持ち悪いな! 絶対後悔するぞ?」

「しませんよ……?」


 こてんと頭を傾けてユリウスに身体を預けてみた。頭にポンとユリウスの手が乗って二、三回撫でられる。──気持ちいい、そして懐かしかった。


(あぁ、私の夢はこの人のお嫁さんになって一緒にヘルマー領を守ることなんだ……)


 心からそう思った。──願わくばその夢が現実になることを。

 私は心の中でしばらく、白い魔力を湛える満月に祈っていたのだった。

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