65. シャトーブリアン


 ☆ ☆



 予選を通過した5組は商業ギルドの人達に連れられて、今度こそ合法的に王宮に入ることが許された。

 昨日兵士と問答した門も、何の咎めもなく通過できるのは少し拍子抜けした。


 改めて見ると、白いすべすべとした石で造られた王宮は、近くで見ると更に威圧感があって、なによりもとてつもなく大きい。兵舎や別棟などのいくつかの建物の他に、バカほど広い庭があるにもかかわらず、王宮本棟はゲーレの首都シンヨウの城を凌ぐほどの大きさがあった。


 その大きな建物の前にあるバカほど広い庭に私たちは横一列に並べられた。


「さてと、では各自牛を絞めて解体してください」


「ぎゃぁぁぁっ! ついにきちゃったジェノサイドシーン!」

「大袈裟だなティナは……ちょっと血が飛び散って内臓がブシャーってなるだけじゃん……」

「や、やめてくださいそんなこと言うのは……あ、あの……私向こう向いてるのでリアさん解体お願いします!」


 私が弱音を吐くとリアは肩を竦めた。


「いいけど……」

「あぁぁぁぁっ! ちょっと待ってください! 最後に別れを惜しませて!」


 背中に刺している大きな刀を抜こうとするリアを押しのけて、私は牛のティナに抱きついた。自分の命が奪われようとしているにも関わらずティナ(牛)は相変わらず落ち着き払っていた。人間のティナよりも牛のティナの方が大物だ。


(ありがとう……ごめんね……あなたのことは私が責任を持って最高に美味しく料理するから……!)


 もちろん牛のティナは反応しない。まあそれでもいい。


 私は別れを済ませると、牛から離れ後ろを向いて耳を塞いだ。


 しばらく待っていると後ろから肩を叩かれた。恐る恐る振り返るとそこには……。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

「うるさいよティナ」


 私の肩を叩いたリアはティナ(牛)の返り血で全身真っ赤だったのだ。こんなの誰が見たって悲鳴を上げるだろう。血だらけのアマゾネスが大きな刀を持ってニコニコと笑っているのだから。


「化け物……! 魔獣! 妖怪!」

「酷い言われようなんだけど……」


 呆れたような顔のリアは私の手に肉の塊を押し付けてきた。その肉はまだ温かくて……さっきまで元気に生きていた牛の姿を思い出してしまった。私は肉の塊を抱きしめながら泣いた。


「あ、あぁぁぁっ……ティナ……ティナぁぁぁっ!」

「自分の名前を叫びながら泣く人間とか面白すぎるでしょ」


(いや、リアが牛にティナって名前付けたんでしょ! この鬼畜毛玉が!)


 心の中でリアを罵倒すると、改めて肉の塊を見つめる。私がリアに頼んで取り出してもらった部位は牛のヒレ肉──テンダーロイン。その中でも中央付近の分厚く脂身の少ない絶品の希少部位。私たち料理人はその極めて希少な高級肉をこう呼ぶ。──シャトーブリアンと。


(普段はこんな贅沢な食べ方はしないけど、今日は特別。あなたのシャトーブリアンをヘルマー領のために使わせて……!)


 恐らく天国で見ているであろう今は亡き牛のティナにそう心の中で語りかける。腕の中のシャトーブリアンは1キログラムにも満たない。せいぜい700グラムくらいだろうか。

 あんなに大きな牛から、取れるシャトーブリアンはたったこれだけ。それだけ選び抜かれた希少部位だということだ。


 私はこのシャトーブリアンをステーキにしようと思っている。黒猫亭の特製ステーキソースをつけて。悩みに悩んだ結果それが一番牛肉の美味しさが味わえると思ったのだ。



 まだショックから立ち直れていない私はほかの4人の料理人たちと共に王宮の中に連れ込まれた。バカほど大きく白い建物に入った私たちは、内装の豪華さに目を奪われる暇もなく、地下にある厨房に放り込まれ、「じゃあここで料理作れー」みたいなことを言われて放置されるに至る。


(……こんなところで料理したことないから緊張するし……)


 周囲を見回すと、他の4人の料理人はおのおの料理を始めている。──なるほど、やはりステーキを作る者が多そうだ。

 王宮内には料理人しか入れないようで、リアに泣きつくことは出来ないので、腹を括ってやるしかない。


「よーし、調理開始ショータイム!」



 ☆ ☆



 ステーキを焼き終わった私は、抜け殻のようになって厨房内の椅子にへたりこんだ。焼き上がったステーキは、使用人と思しき黒服の人達が持って行ってしまった。別室で毒味の上、王様の元へ運ばれるらしい。

 使用人には「しばらくそこでお待ちください」と言われて待機させられていた。


 その場に立ち会えないので王様の反応が見れないのが残念だが、ベストは尽くした……と思う。他の4人の料理人も4者4様に疲れきった表情を見せていた。──当たり前だが皆私よりも歳上のようで、料理の手際からもかなり優秀な料理人のようだった。



 すると、そのうちの1人が立ち上がって私の元にやってきた。40歳手前くらいの男性だった。白い調理服を着込んで同じく白い帽子を被っているその様は間違いなく名のある料理人なのだろう。


「失礼、お嬢さん」

「なんでしょう?」


 料理人の男は、慇懃無礼な態度で帽子を脱いで一礼した。


「いえ、とても素晴らしい牛肉を使われているなと思いまして」

「当然です。ヘルマー領の自慢の牛ですから」

「ヘルマー領……?」


 私が少し得意げになると、男は驚いた表情をした。


「あのヘルマー領ですか?」

「そうです。あ! の! ヘルマー領です!」


 男の言い方に悪意があったので、気分を損ねた。彼は何がしたいのだろうか?


「なるほど……しかし、食材が良いだけではこの品評会は勝てません」

「……どういう意味ですか?」

「良い食材と料理人の腕前、両方が揃って初めて美味しい料理人が作れる。……そう思いませんか?」

「──私の料理人の腕が未熟だと?」


 そう言われているとしか思えない言い方に思わず眉をひそめる。男は丁寧な口調を崩さないが、その裏に嘲りの意図が見え隠れしていた。恐らくこの場に年若い女の子である私がいることが気に食わないのだろう。

 実際、この場に集められた料理人は私を除いて男の人ばかりだし、料理人界隈は未だに女性人口が少ない。『黒猫亭』の主人も私を料理人として雇う際にはかなり渋ったものだ。結局私の熱意に押されて雇ってくれたのだが。


「恐縮ですがそう見えますな。私は料理一筋30年、物心ついた時から包丁を握ってましたから」


 お前のようなガキに負けるわけがない。──口には出さなかったが恐らく彼は心の中でそう続けるはずだった。


「長くやっていたからといって上手くなるわけでは──」

「──いえ、料理は経験が物を言う世界です。まあ若輩者には分からないのかもしれませんが」


(むかーっ! なにこいつ!)


 私は怒り心頭で言い返してやりたい気持ちでいっぱいだったが、それを必死にこらえる。今何を言っても私の立場が悪くなるだけだろう。他の料理人も見ているし。


 結果的に私が言い負かされたような感じになってしまった。


(今に見てなさい……結果が出ればこんなやつ……)


 その時、厨房の大きな扉が開いて1人の使用人が顔を出した。


「えーっ、それではこれから優秀賞を受賞される方を陛下の御前へお連れしますので……」


 一気に場を緊張が支配した。私がゴクリと唾を飲み込んだ音も響いてしまいそうだ。

 使用人はもったいつけるように大袈裟な咳払いをしてから口を開く。私たちは無意識に背筋を伸ばした。



「──8番の方……」


 立ち上がったのは先程の料理人の男だった。唖然とする私の前で男は私を振り返りながらこんなことを口にした。


「申し遅れてましたね……私はモルダウ伯爵家で料理人をしておりますクリストファー・ヒルレンブラントと申します」

「モルダウ伯爵家……」


(それってマテウスくんがいる……そしてアマゾネスの森を焼いたあのモルダウ伯爵家……)


 クリストファーと名乗った料理人の男は口元にニヤッと笑みを浮かべると使用人に連れられて去っていった。

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