40. 地獄耳

(それにしてもおかしな名前だな……。私の知り合いに一人ゲーレ出身の七天がいたけれど、彼女もあんな感じの名前だったなそういえば)


 私が思いを巡らせていると、イーイーと名乗るフリフリは、さらに喚いてきた。


「どーしたの早くしなさいな! アタシは気が短いの! それともビビって出てこられないの!? やーいやーい! セイファートのチキン野郎ども! ママに迎えに来てもらってさっさと帰りなさい!」

「お嬢様、口が悪いですよ!」


 すると、ヘルマー軍の兵士たちは目に見えて動揺し始めた。今あのイーイーを怒らせて戦いが始まってしまっては勝ち目がない。睨み合いで時間を稼ぐという作戦がおじゃんになってしまうのだ。


「ねぇティナ。あのうるさいの撃ち抜いていい? ここからなら絶対外さないけど」

「ダメですよ! そしたら取り返しのつかないことに……ていうか声が大きいです! 聞こえてたらどうするんですか!?」


 リアが私の隣でわりと大きな声でそんなことを口にするものだから、私は慌ててリアを制止しなければいけなくなった。戦に疎い私でも、今敵の大将っぽい人を殺したらヘルマー領がゲーレ共和国の全勢力をもって潰されることは目に見えている。



「おいこらぁ! 聞こえてんぞそこのネコ耳こらぁ! もういっぺん言ってみろやこらぁ!」


(聞こえてたし……なんて地獄耳!)


「すみません! この子はまだ戦というものがわかっていないので──もごっ!」

「もういっぺん言ってやるぞこらぁ! お前の頭撃ち抜くぞって言ってんだよこのすっとこどっこいこらぁ!」


 謝ろうとした私の口を塞いでリアが対岸へ怒鳴り返す。言い争いが子供のようだ。──恐らく二人とも子どもなのだろうが。


「んだとこらぁ! こっちこいこらぁ! タイマンで勝負してやんぞこらぁ!」

「上等だクソガキこらぁ! ビビっておしっこ漏らしても知らねぇぞこらぁ!」

「泣き入れろこらぁ! 半殺しで勘弁してやんぞこらぁ!」


(あ、やばいどうしようこれ……取り返しのつかないことになっちゃった……?)


 完全に逆上したと思われる二人は、川辺ギリギリまで歩み寄って絶えず残念な語彙力で罵りあっている。精神年齢も似通っているらしい。というかあれではお嬢様ではなくただの山賊みたいなならず者のような……。



 が、その時やっと救世主が現れた。私たちの背後から音もなく現れたユリウスが、リアの後頭部に手刀を叩きつけたのだ。「うきゅっ!?」というよく分からない悲鳴を上げて前にゆっくりと倒れた。

 バシャンと音を立てて入水したリアは完全に気を失っているようで、そのまま川に流されていきそうになったので、私は慌ててその足を掴んで岸に引き上げた。


 対岸ではちょうど同じようにして、ルオシェンというお供の男性によってイーイーが気絶させられているところだった。


 ユリウスは素知らぬ様子で対岸のルオシェンに向けて声をかける。


「うちのバカがすまなかった! 交渉というのであれば、こちらも受けるつもりだ!」

「いえ、こちらこそうちのバカが失礼いたしました! では早速交渉の準備を整えさせていただきます!」


 そう言うと、ルオシェンは気絶したイーイーを肩に担いで陣へと引きあげていく。

 それを見送ったユリウスは、私に視線を向けた。


「……ティナ」

「はい……」


 怒られるのかと思った。リアに好き勝手させた私の監督責任を問われるのかと思ったのだ。しかしユリウスは呆れたように嘆息すると


「どうして俺たちの周りはこんなにも変人だらけなんだろうな……」

「いやそれユリウス様が言います? 私からしてみたらユリウス様も相当な変人ですよ?」


 男の筋肉が大好きな青年なんて王国中探してもユリウスくらいだろう。


「俺に言わせればお前も変人だぞティナ」

「あーはいはいそうですね。フライパンで戦う冒険者なんて所詮変人ですよーだ」

「いじけんなって」


 ユリウスは私の肩をポンポンと叩くと陣地へと去っていった。ユリウスもユリウスで準備があるのだろう。


(……って、リアさん!? 大丈夫かなリアさん……)


 私は気絶しているリアの頬をぺちぺちと叩きながら、目を覚ますまで付き添うことになったのだった。



 ☆ ☆



 程なくして私たちはゲーレ軍の陣へ向かうことになった。ユリウスによると、こちらの方が数が少なく不利なため、こちらから出向いていくらしい。その代わり同伴は三人まで許されていた。ユリウスはその三人を私とミリアムそしてリアを指名した。


 戦闘力を考慮した人選だというが、正直いざ襲われた時には私なんかよりもウーリを連れていった方が百倍役に立つと思うが、そうするとアホなミリアムに喧嘩っ早いリアに、どこか抜けてるユリウスにのんきなウーリと全員がボケキャラになってしまうので交渉には不向きなのかもしれない。



 私とユリウス、リア、ミリアムの四人は、ミリアムが魔法で凍らせた水面の上を歩いて川を渡っていく。この先輩、つくづく便利である。


 ゲーレの本陣は『ゲル』と呼ばれる大きなテントで作られていた。ゲーレ国内には定住しない遊牧民も多数いるらしく、そのような遊牧民が住まいとして使っているのが『ゲル』だ。いつしかそんな『ゲル』は使い勝手の良さから戦場でも使われるようになり、ゲーレ国内に広く浸透している。


 川を渡った私たちは、槍を持った軽装の兵士数人に付き添われながら本陣のゲルに連れていかれた。扱いは客人というよりは捕虜に近かったが、敵国なので致し方ないのかもしれない。


 白いゲルの中は、外から見るよりも広く感じるほどであり、暖炉があったり等内装もしっかりとしていた。


(……これがゲーレ共和国の文化……セイファート王国とはだいぶ違うな)


 ゲーレを料理でしか味わったことがなかった私は新たな衝撃を受けた。


 広いゲルの中にはしっかりと玉座のようなものが作られており、数段高いところに例のフリフリ──イーイーが座していた。近くで見るとほんとに子どもで、12、3歳くらいかもしれない。身につけていたのはこれまたフリフリのゲーレ風ドレス、通称『チャイナドレス』を着こんでいる。玉座の脇には同じくゲーレ風の着物に身を包んだ長身の男性──ルオシェンを始め数名の兵士が控えており、厳かな雰囲気を演出していた。


 ユリウスはイーイーの玉座の前で軽く頭を下げる。服従ではなく、対等な関係であるためそこまで礼を尽くす必要はない。私たちもそれにならうと、イーイーは満足気に頷き玉座から立ち上がった。


「畏まる必要はないぞヘルマーの若造よ……」

「あの、お嬢様。ヘルマー伯爵はお嬢様よりもだいぶ歳上であらせられますが……」

「うぅ……いいのよ! そう言った方が威厳が出るんだから!」


(既に威厳はないような気がするんだけど……!)


 イーイーとルオシェンのやりとりに笑いをこらえていると、イーイーはオホンと一つ咳払いをしてから口を開いた。



「今回アタシたちがわざわざセイファートくんだりまで来てやったのは、アルベルツ侯爵に捕まっているうちの捕虜たちを取り返すためよ!」

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