35. 弟子入り

「直接はやり合いません」

「なんだと!?」


 私の頭の中にあったのは、ヘルマー領にやってくる際に老人に聞いた話だった。彼は確かに「昔はセイファート王国からゲーレ共和国に行くために森を抜ける道が主に使われてたんじゃが、迂回する道ができたせいでヘルマー領に行く行商人はほとんどおらんくなったな」と言っていた。

 その迂回する道が森の北側──つまりはモルダウ伯爵領の方角へ伸びていたのだ。


「ユリウス様、モルダウ伯爵家というのは最近力をつけた家なのでは?」

「そうだな。先代の親父の頃はウチではなくモルダウ伯爵家がアルベルツ侯爵に従属していたというし、そもそもその時は子爵家で伯爵家になったのもここ数年らしい」

「ということはやっぱり、モルダウ伯爵家がヘルマー領を通る行商人を奪っていったんですよ」


 するとユリウスは顎に手を当てて考え込むような仕草をした。一方のキャロルとリアは訳が分からないといった様子でポカンとしている。まあ彼女たちは人間の事情なんて知らないだろうし無理もない。


「あの新しい道か……」

「そうです。一見遠回りに見えますが、モンスターに遭遇する危険が回避できるというだけで行商人たちにとっては魅力的な道……だそうです」

「行商人を呼び戻すことができればモルダウ伯爵家やマテウスへの仕返しになるということか……しかし、どうするんだ? 一度奪われた行商人をどうやって呼び戻す?」


「それは……やっぱりこのヘルマー領がモルダウ領よりも魅力的な土地になるしかないですね……ユリウス様、領地おこしに関する一切を──私に任せていただけますか?」


(正直、いくつか手はあるけれど、上手くいくかどうか……)


 自信はなかった。でもやるしかないと思った。私は魔法に関しては役立たずだから戦闘では役に立てないけれど、それ以外では他の七天よりも役に立てるところを見せないといけない。

 若輩者の私にどこまでできるか分からないが、この領地おこしでユリウス達だけでなくキャロルたちアマゾネスのためにもなるというのなら……。


「……わかった。うちの領地の未来はティナに託す。好きにやれ……責任は俺が取る! ──それだけの料理モノを食べさせてくれたんだからな。ティナになら任せられると思う」

「ユリウス様……」

「わたくしもお手伝いしますわ!」

「なんだかよく分かんないけどあたしも手伝う! ティナについていったら美味しい料理が沢山食べれそうだもん!」


 席から立ち上がりながら宣言するミリアムとリアの姿に、私は涙が出そうになった。


(こんな料理しか取り柄のないようなFランク冒険者を慕ってくれる人がいるなんて……)


 これが料理の持つ魔力というやつなのだろうか。だとしたら、私は他の『七天』とは別の意味での『魔導士』になれているのではないだろうか。


 その様子を満足気に眺めていたキャロルは深く頷いた。


「決まりじゃな。ワシらアマゾネスもティナに全てを託す。きっとティナなら上手く料理してくれるじゃろう……」


(ミリアム先輩といい、なにこの態度の変わりようは……そんなに私の料理が美味しかった? 確かに真心をこめて作っているけれど……)


 ヘルマー領に来てから、ユリウスやウーリ、アントニウスやホラーツなどのギルドマスターたち、ミリアム、そしてキャロルとリア。皆、私の料理を食べてから多かれ少なかれ態度の変化が見られた。ということは……?


 私はある結論に達した。



(これは……強力な武器になるのでは……!?)



 ☆ ☆



 皆が去った円卓の部屋で、私は傾く夕陽を窓から眺めていた。

 北側には一面に森が広がっている。


(この森の向こうにモルダウ領が……そしてマテウスくんが……)


 目を移すと、東側にくっきりと紫がかった山の稜線が見える。私が越えてきた山だ。


(そしてこの向こうはライムントがいるアルベルツ領……)


 ユリウスの言うとおり、アルベルツ侯爵ともゆくゆくはやり合わないといけない時が来る。ライムントも危険な男だ。こちらはモルダウ伯爵家を相手にするよりもさらに数倍も手強いだろう。


(うーん、考えなきゃいけないことが山積みだよ……さっきは勢いに任せて引き受けちゃったけど、私にほんとに出来るのかなぁ……)


 などと悩んでいると、部屋の扉が開いて誰かが入って来る気配がした。


「よお、宰相殿。考え事か?」

「やめてくださいその呼び方は……なんだかくすぐったいです」


 声の主は私の近くに歩いてきて、椅子にどっかりと腰を下ろした。筋肉質な身体にスキンヘッド──ウーリだった。


「まあ、誰もまだ若いティナが完璧にこなすなんて思ってねぇよ。そのためにオレらがいるんだろうが」


 ウーリは励ますように私の背中をバシバシと叩いてくる。『黒猫亭』の主人にもよくそうやって励まされた記憶がある。私は暫し『黒猫亭』の主人のことを思い出して感慨に浸った。


(あ、そうだ。ウーリさんにお礼を言わないと!)



「ウーリさん! 料理を運んでくれたのはあなたですよね? ありがとうございます! 私寝ちゃってて……危うく焦がすところでした」


 私がウーリのスキンヘッドに向かって頭を下げると、彼は慌てて身体の前で手を振った。


「いやいや、別にいいんだよ。ティナは疲れてたし、ティナ一人に料理を任せるのも考えてみたら良くないなと思ってさ……」

「でも、ウーリさんのおかげで料理は焦げずにすんで交渉は上手く──」


 ウーリが私の口の前で人差し指を立てたので、私の言葉は遮られた。


「いんや、交渉が成功したのは間違いなくティナのお陰だ。──どうしてもお礼がしたいってんなら……」

「なんでしょうか? なんでもしますけど!」

「いい歳の女の子が『なんでもする』とか言うなよ……えっと、まあ無理なら別にいいんだがな……」


 そこで一旦言葉を切ったウーリは、照れくさそうに後頭部へ手をやった。


(なんだろう? 恥ずかしいこと? 言い難い事なのかな?)


 なんでもするといった手前なんでもするつもりだったが、些かの不安を覚えた時、ウーリはやっとの思いで口を開いた。



「オレを……弟子にしてくれねぇか?」



「え、えぇぇぇぇぇぇっ!?」


 想像の斜め上を行く要求に私は素っ頓狂な声を上げた。


「いや、無理なら別にいいんだ。忘れてくれ!」

「無理ってことはないんですけど! 私が驚いたのは『私でもいいんですか!?』っていう意味で……」


 すると、ウーリはふっと笑った。強面スキンヘッドのウーリが笑うとこれまた愛嬌がある。


「どうもティナはたまに自己評価が低くなるフシがあるな……この領地のどこを探してもティナほど料理の上手いやつはいないだろうよ。それこそ王都とかに行かない限りはな」

「なるほど、料理の弟子ですか……」


(なぜウーリは料理を勉強したいのだろう? 彼は私と違って身体を使ってユリウス様の役に立つことができるのに……)


「なぜこんな無骨な男が料理に興味を示しているのか、不思議そうな顔だな?」

「いえ……」


 図星だったので思わず言葉に詰まってしまった。ウーリは椅子に座ったまま足を組み、その上に腕を組んで少し前のめりになると、声のトーンを落としながら続ける。



「美味い料理を──食わせてやりたい奴らがいるんだよ」


 そこで彼は意味ありげなウインクをしてきた。私は一瞬心を奪われて、ユリウスがなぜウーリを親衛隊長にしたのかなんとなく分かった気がした。この人と一緒にいたい。そう思わせるような仕草を度々ウーリがしてくるのだ。だいぶずるい。


「ご家族……ですか?」

「ふっ……まあ、想像に任せる」


(深く聞くのは無粋かな……)


 それに、彼が誰に料理を食べさせたいかは私にとっては重要ではなかった。問題は、目の前に真剣に料理を学びたい人がいて、私はその人の期待に応えられるかどうかということ。

 そして答えはすぐに出た。


「やるしか……ないですよね。わかりました。私に教えられることは限られてますから、一緒に料理を作りながら見て覚えてくださいね」

「助かる。ありがとうティナ!」

「いえ、こちらこそ!」


 ウーリが差し出した右手を私は両手でしっかりと掴んだ。ウーリの手は私の手よりも二回りほど大きく、ゴツゴツしていた。それでも私にはその何人もの人を殺し何体もの魔獣を仕留めているであろう手がとても優しい手に見えた。


 しかしその理由がわかるのは、もう少し先のことだった。

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