第29話 社員旅行は甘い誘惑の香り。その3

「由樹、今から湯に行くのか?」


「あっ、蓮斗さん……。はい、そうなんです」


でも、永瀬さんに声をかけたくて……と事情を話した。


「あぁ、それなら……陽毅の所だろ?一緒にいくか?」

「ありがとうございます」


良かった……。

いつも一緒に働いている仲間とはいえ、この浴衣姿で部屋にお邪魔するのは抵抗があったのよね……。



「俺もついでだし、気にするな」


そう言ったが、他の奴には見せなくないという……俺の独占欲が働いていた。


由樹がこんな姿で1人男の部屋に入ってみろ、アイツ等が見たら……どう思うか。

剛士さんは信頼しているし、娘のように思っているだろうから大丈夫だとしても、陽毅や光……もしかしたら琉斗まで由樹の色気に見惚れるだろう。

そうしたら、何が起こるか分からない。


それなのに、由樹は全くの自覚なしだから……俺が困るんだ。

だからこうして、俺が守ってやらなくてはな。


「そういえば、蓮斗さんは何か用事があったんですか?」

「いや、特にないが……」


由樹に会いたくて……だなんて、恥ずかしくて言えるかよ。


「そうですか?」


こういう所は、変に勘ぐらなくて良んだよ……。

あぁ、なんて色っぽいんだろう。

陽毅の部屋に行かずに、俺の部屋に連れ込んでしまおうか……。

由樹の艶かしい姿を見ていると、そんな気持ちが出てきてしまう。

だが、今は我慢しなくては……と俺の理性と色欲とがギリギリの所で戦っていた。



「ここだな」


剛士さんと陽毅の部屋……『海の間』だ。


「あっ、そうです」


コンコン……。


「陽毅、いるか?」

「はい、今開けます」


カチャ……。


「あっ、陽毅さん……あの」


由樹が、陽毅を見て頬を赤らめている。

見慣れているヤツなのに、どうしたんだ?


はぁ……そうか。

浴衣がはだけて、胸板が見えているからか……。

こんなのを見て恥ずかしがるな、相手は陽毅だぞ?


俺なら、もっと…………。


『あの……蓮斗さん』

由樹が後ろから俺の服を引っ張り、小声で何かを訴えていた。

どうした?こんな可愛い仕草をして。

やはり、このまま俺の部屋に……。


「なんだ、由樹もいたのか。オーナー、何かあったんですか?」


そうだ、由樹の用件!

思考を脱線させている場合じゃ無かった。


「陽毅、永瀬が部屋に来てないか?」

「あぁ、由奈なら来ましたよ。でも、部屋を眺めてから、すぐに光の部屋を見に行きましたけど」


……光の部屋?

永瀬は陽毅と仲が良いと思ったんだけど、違ったのか?


「本当に皆の部屋を見に行ったみたいですね。陽毅さん、ありがとうございました。私、『星の間』に行ってみます」


由樹はそう言うと、サッと部屋を出て『星の間』へ歩いていた。


「おい、由樹?」


様子がおかしいが……どうしたんだ?

俺はすぐに後を追って、由樹の腕を掴んだ。


「蓮斗さん、もしかしたら……永瀬さんが部屋で待っているかもしれませんよ?」


由樹は俺の目を見ずに、そう答えた。


「何?さっきの話を聞いていなかったのか?永瀬は光達の部屋にいるんだろ?」


何、訳の分からない事を言っているんだか……。

アイツが俺の部屋にいるなんて、何故そんな考えに行き着くんだよ。


「……何となくです。私、やっぱりお風呂に行ってきますね」


由樹は俺の腕を振りほどくと、廊下を走って行ってしまった。


……一体どうしたんだ?

陽毅の部屋に行ってから様子が変だし……。

由樹の様子が気になるが、女湯まではついていけないしな……。

とりあえず、俺も湯に入るか。

浴衣に着替える為、俺は自分の部屋に戻っていった。



カチャ……。

部屋に入ると、明かりがついていた。

消したはずなのに変だな……。

不思議な思いつつも、和箪笥の引き戸を開け、浴衣や帯を取り出した。


それにしても、由樹はどうしたんだろうか……。

陽毅の胸板がそんなに良かったとか?

いや、それなら俺の方が良いに決まってる。

アイツとは鍛え方が違うんだからな。


では、何だ?

すごくモヤモヤしていて、気分が悪い。

とにかく、湯から出たら由樹に会うしかないな。


カタン……。


浴衣に着替え部屋を出ようとしたら、浴室の方で音がした。


「……誰かいるのか?」


俺一人の部屋にいる筈は無いが、少し強めに声を掛けた。

しかし、返事は無い。


やはり気のせいだったな……と安堵し、部屋を出ようとドアに手を掛けた。


その時……。


『……蓮斗さん、いかないで』


浴室の方から泣きながら話す声が聞こえた。

そして、……バタン、と戸が開いた音がし、背後から強く抱きしめられた……。


「誰だ?」


勝手に部屋に入ってきて、しかも……泣いてるだなんて、こんな状況はあり得ないだろ?

俺はその人物を確かめる為に、腰に回された手をほどいた。


俺に腕を掴まれた人物は、バスタオルを1枚だけ身に付けた女性だった。

だが、俯いたままで顔が見えない。

俺はイライラしつつ、そいつの顎を上にあげ……顔を確認した。


「…………」


「お前、何故ここにいる!?」


その人物は、『永瀬由奈』だった。

『星の間』にいる筈のヤツが、すがるような瞳で、俺を見ていた。

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