第14話 別れの冷たい涙と、珈琲の香り。その1

パタン……。


ドアが静かに閉まり、仁奈と琉斗が店に入ってきた。

仁奈はこの場に琢磨がいる事に驚き、ドアの前で立ち尽くしていた。


「仁奈、こっちに来てそこに座って」

「…………」


だが仁奈は『何をするの?』と俺の顔を見て一瞬睨み、そして何処に座かろうかと迷っていた。


「仁奈さん、さぁ……どうぞ」


琢磨は立ち上がると、自分の隣のイスを引き座るように促した。

仕方無くそのイスに座ったが、とても居心地が悪そうだ……。

だが、それも気にならなくなるだろう。

肝心なのは……これからだからな。


「じゃ、話を始めるぞ」


俺がそう言った時、一斉に視線が集まった。

さて、どうなるか……俺の腕次第だな。



「あっ、由樹ちゃん!」

「光さん、お二人を案内してきました」

「こんばんは!ようこそ、いらっしゃいませ!」


私達が戻る頃には陽がすっかり落ちていて、辺りが暗くなっていた。

だけど、店の明かりや外にも照明をつけていたので、この場がさらに賑やかに見えた。



「光くん、こんばんは」

「あっ、あの……こんばんは。今日は、由樹先輩にお誘いしていただいて……」


瞳ちゃんはすごく緊張しているみたいで、梓さんの後ろからコッソリ顔を出した。

光さんがイケメンだからかな?


「アハハ!そんなに堅苦しくなくて大丈夫だよ?楽しんでいってね」

「はいっ!」


光さんは二人を和ませると、梓さんと瞳ちゃんを空いている席に案内してくれた。


「あら、この子は?」


梓さんが、剛士さんの横にちょこんと座っている男の子を見て、光さんに聞いていた。


「あぁ、その子は……仁奈の子で、真くんです」

「そうなの。じゃ、あの子も来てるのね」

「はい。今は、店の方にいますよ」


そっか……梓さんは昔からの常連さんだから、仁奈さんの事知っているんですね。

光さんと梓さんは真くんを間に座らせ、楽しそうに話していた。

そして瞳ちゃんは光さんに聞かれないように、そっと私に話し掛けてきた。


「あの……由樹さん、光さんって彼女いますか?」

「えっ?」

「……確か、いない筈だよ?」

「良かった」


やっぱり、光さんがタイプだったのかも。

瞳ちゃんを誘って良かった。

光さん次第だけど、もしかしたら……よね?



「うぇ~ん!」

「あらあらあら、大変!ママがいないから寂しくなっちゃったかしら?」


梓さんが真くんを抱き上げてあやしているけど、なかなか泣き止んでくれないみたい。


「どうしよう……泣き止まないな。俺、真くんを仁奈の所に連れていきます!」

「光さん、私が連れていきますよ」


せっかく瞳ちゃんが来てくれたのに、光さんをこの場から離しちゃうなんて可哀想。

ここは私の出番よねと、自ら申し出てみた。


「じゃ、頼んでいいかな。何だか真くんは、男に抱かれるのが嫌いみたいだし。まぁ……俺もそうだけどね」


光さん……大人と子供は違いますよ?と苦笑しつつも、私は真くんをあやすように抱きかかえた。


「では、真くんを連れていきますね」

「うん、店の表の入口が開いてるから」

「はい、わかりました」


私は真くんを抱いて歩き、仁奈さんへ託す為に店のドアを開けた。



私が真くんをあやしていたからか、店に入った頃には泣き止んでいた。

でも、きっとママに会いたいんだと思っていたので、私はそのまま仁奈さんの所へと歩みを進めようとした。

しかし静かな店内で誰かが声を発し、私の足は歩みを止めてしまったのでした。


「真は、俺と仁奈の子だ」


えっ……。

今のは……蓮斗さん?

しかも、すごく怒っている……。

やっぱり……真くんは、蓮斗さんの子だったんだ。

怒りながらはっきり言わなくてもいいのに。

本人から聞くのは、やっぱりショックだな……。



「うわぁ~ん!」

「真!?」


店に入った途端聞こえた怒鳴り声に驚いてしまい、真くんは再び大泣きをし始めてしまった。

仁奈さんは慌てて駆け寄ってきて、真くんを腕の中に抱きあやし始めた為、会話は中断された。


「……蓮斗さん、お邪魔してしまいすみません。真くんが泣き止まなくて」

「由樹、お前……具合は?」


蓮斗さん、私が具合悪かったって知ってたの?

あっ……そうか、さっき帰る前に宗助さんが言ってくれていたんだね。


「梓さんと瞳ちゃんを、招待したので……だから戻ってきたんです。でも……やっぱり帰りますね」


何だか……目の前がクラクラして、寒気がするし。

私は精一杯の笑顔で蓮斗さんに挨拶を済ませ、店のドアへと自分の体を方向転換させた。

その時、キーンと耳鳴りがなった気がした。



「……由樹ちゃん!?」


遠くで……琉斗さんの心配する声と琢磨さんが何か言っているのが聞こえた。

どうしたんだろう?と思った時には、私の体が膝から崩れ落ちて目の前が真っ暗に……。

そして私が倒れる瞬間、蓮斗さんが私に向かって手を伸ばしていた。



「目覚め次第、由樹は連れて帰ります」


宗助が俺を睨み、そう強く言った。

全く……琢磨が宗助を呼びに行ったりするから、騒がしくなったな。


「……熱もあるみたいだし、無理させない方が良いよ」


琉斗の言う通りだ。

それと、もう少し静かにしてやれよ。


「ここにいたら、由樹の具合が悪化するかもしれない。だから、連れて帰りたいんです」


宗助が何故そう言うのかは、解る。

だが……こんな状態の由樹を、家に帰す事は出来ないだろう。



「では、私の家に連れて行きます。由樹ちゃんの看病を私にさせてもらえないかしら?」

「奥様……」


木村社長は真を連れた由樹が心配だったらしく、タイミング良く店の中にいた。


そうだな……。

木村社長なら、宗助に預けるより安心出来るかもしれない。


「わかりました。奥様にお願いします。琉斗、奥様の家まで運転を頼む。俺は、由樹を運ぶから。宗助、お前はどうする?ホテルまで送るか?」

「はい、お願いします」


宗助は、たぶん……由樹の側で看病したいんだろうが、奥様の家まで上がってまでは無理だろうと察したのだろう。


俺だって、本当はこの家に置いておきたいんだ。

お互い、我慢するしかないんだよ。

琉斗は外にいる剛士さんに事情を話し、玄関先に車をつけた。

そして俺達は由樹を乗せ、木村社長の家に行った。


「先輩、俺……ここで失礼します。木村さん、由樹をお願いします」

「わかりました」


宗助は到着した途端、送ってくれなくて良いと言い出した。

俺に貸しを作りたくないらしい。

こんなのは貸し借りではないと思うが。


「宗助くん、ここからじゃホテルまでかなり遠いし、暗くて道が分からないだろ?だから、僕が送っていくよ」

「ありがとうございます。確かに……真っ暗で道が見えませんね。では、お言葉に甘えて琉斗さんにお願いします」


琉斗の申し出は受けるのか。

まぁ、俺でも……断るだろうな。


「琉斗、宗助を頼むな」

「了解です」


俺は由樹を再び抱きかかえて車から降ろすと二人を見送り、木村社長の家の中へ入っていった。



「蓮斗くん、こっちに布団敷いたから……ここに由樹ちゃんを寝かせてもらえる?」

「はい」


俺は由樹をそっと布団に寝かせると、顔にかかった髪をそっと顔からよける。

普段……こんなにじっと顔を見る事は無かったが、コイツ愛らしい唇をしていたんだな。

由樹が具合悪くて寝ているのに、そんな邪な考えが浮かんでしまっていた。


「……蓮斗くん、茶の間に来てくれる?少し話があるの」

「はい」


由樹と離れがたかったが、奥様に呼ばれてしまった為後ろ髪を引かれつつその場を立った。

奥様は俺にお茶を飲むように言った後、真剣な顔で質問してきた。


「真くんは、蓮斗くんの子じゃないわよね?」と。


何故……そんな質問をしてきたのか。

俺と仁奈の関係は知っていても、深くは知らない筈だ。

だから俺も、奥様に質問を返してみた。


「急にどうしたんですか?」と。


まさか……実は、仁奈から何か聞いたとか?

いや、そんな事は有り得ないな。

仁奈と奥様は、由樹が倒れた時少し顔を会わせただけだ。

こんな考えが俺の中でされていたが、奥様からは予想外の答えが返ってきた。


「由樹ちゃんは、蓮斗くんに好意を持っていると思うの。でも、それを隠して苦しんでいるし。それに、私が見た限り……真くんは蓮斗くんに似ていないような気がするの」


由樹を娘の様に思って接していたから、心配なんだろう。

本当に……奥様には敵わないよな。

真の事は、俺と似てるとか似ていないとか……分からない。

でも由樹が俺に気があるというのは……少し感じてはいた。

だから、少し自惚れてしまっていたのも事実だ。

もしそうだったとしても、宗助が現れたからどうなんだろうな。

以前の恋愛感情が沸き上がって、再び火をつける可能性だってあるんだよ……。

だから、俺に由樹を止める権利なんて無いんだ。

愛していた宗助が、由樹をここまで迎えに来てしまったんだから。


はぁ……。

自分でも分かっているんだ。

何をごちゃごちゃと考えているんだってな。

愛しているなら、由樹を宗助から奪ってしまえば良い。

でも、俺には出来ない。

由樹の幸せを、俺のワガママで壊したくないんだ。


いや……そうではない。

俺は、由樹に……別れを告げられるのが怖いだけなんだ。

だから、本心をさらけ出すことが出来ない。

全く……情けない男だよ。



「奥様、真の父親の事は仁奈にしか分からない事です。でも、俺の子に間違いないと言われれば、真は育てるつもりです」

「……そうね。仁奈ちゃん次第よね」


そうだ。

仁奈が突然……1年ぶりに訪ねてきて、真を俺の子供だと言った。


それを聞いて驚き、言葉にならなかった。

何故なら仁奈とは終わっていたし、突然そんな事言われるなんて思ってもいなかったんだ。

それが事実なら、これから家族として暮らしていく事も考える必要があるしな。


buuu……

buuu……


メールか……


『兄さん、外で待ってる』


琉斗が着いたようだ。


「奥様、琉斗が迎えに来たようです。由樹を……お願いします」

「えぇ。蓮斗くん、あまり思い詰めないで」


「ハハハ……大丈夫ですよ。奥様、由樹が目覚めたら彼女を自由にしてあげて下さい」


俺は……由樹を迎えに来れる立場でもないしな。


「……それで良いの?」

「はい」


由樹が幸せになってくれるなら……。



俺は再び由樹の事を頼むと、琉斗が待つ車に乗り込んだ。


「兄さん、由樹さんは……」

「……多分、アイツと行くだろうな」

「そうだよね……」


琉斗も由樹を好きなんだな……。

何ともいえない空気が、車内を流れる。


俺はふぅ……と息を吐き、シートに深く座った。

その時、フッと俺の脳裏や体に由樹を抱えた記憶や体温が甦った。

由樹が着けていた仄かな残り香が、俺の心をぎゅっと締め付けた。


「由樹は、幸せになって帰ってくるよ」

「うん……」


それから家に着くまで車内はずっと静かで、ただ由樹を想って、前を向いていた。

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