#10  手慣れた準備

「それより、パソコンよ! マジキャスから支給されたのがあるんだけど……」

 神崎は、勉強机の上にあったノートパソコンをテーブルの上に置いた。

 ……有名どころのゲーミングノートだな。

 けっこうゴツくて、この部屋では明らかに浮いている。


「触っていいか?」

「触らないと始まらないでしょ」

 一応断ってからノートパソコンを開く。

「やるのはいいけど、自分でも覚えてくれよ? たぶん毎回設定がいるはずだし」

「うぐ……」

「神崎ってパソコン苦手なの?」

「自慢じゃないけど、ライバーになるまで触ったこともなかったわ!」

「本当に自慢じゃないな」

 いまどきの女子高生ならそんなもんだろうか。ネット利用はほとんどスマホで、パソコンなんて情報の授業で触るくらい。俺もいまどきの高校生だけどな。


「ひょっとして、配信環境以前にパソコンの操作が全然わからない?」

「うん」

「マジか……」

 同じ年代でも男女でそんなにちがうのか。それとも、これがリア充とオタクの違いなのか?


「それなら、おまえが操作して、俺が後ろから説明するか?」

「イヤよ! あんたが後ろからのしかかってくるみたいで怖いじゃない!」

 自称・空手の有段者がそう言った。

「おまえな……じゃあ、俺が説明しながら操作するから、後ろから見て覚えろよ」

「それならいいわ」

「ったく、教えるのはこっちだってのに。覚えられなくても自己責任だからな」

 こういうのは、見てるだけだとなかなか覚えられないもんだ。自分で操作しながらのほうが理解が早いと思ったんだけどな。


「べつに、使ったことがないってだけで、機械音痴なわけじゃないし。基本的にはスマホと一緒でしょ? マウスとかキーボードとかはよくわかんないけどさ」

「それもそうか。じゃあ、起動して……おっ、早いな」

「そうなの? スマホなら一瞬じゃない」

「パソコンは電源入れっぱなしじゃないから」


 俺はデスクトップをざっと見る。

「配信に必要なアプリは全部入れてくれてるみたいだな」

「有料のアプリも事務所で課金してくれてるって言ってたわ」

「じゃあ使えよな、もったいない」

 ブツブツ言いながら、俺はアプリを開いて配信画面を作ってみる。


「マイチューブのコメントを取り込むには……ええと、調べるか」

「なによ、あんたもわかんないんじゃない」

「こういうのは検索すれば誰かがまとめてくれてるから。おっ、これか。コメントをポップアウトして、配信画面にドラッグ。サイズ調整はこれ。背景を消すには……CSSで指定するのか」

「なにこれ、暗号?」

「コメ欄の背景を消す魔法の言葉だな。俺もちゃんと理解できてる自信はない。自動生成できるサイトがあるのか……英語だけど、わかるか?」

「小さい頃海外にいたから、英語はそれなりにわかるわよ」

「へえ。羨ましい話だな」

 英語に不安がないっていうのは、受験では絶対有利だよな。


「それよりあんた、パソコン使いながらぶつぶつ言うの、いかにもオタクって感じよね。ハマりすぎてて笑っちゃうわ! ぷくくく……!」

「おまえのために説明してるんだるるおぉぉっ!?」

「よくわかんないけど、さっきのまとめの通りにやればいいんでしょ? あんたにできたんだからわたしにも当然できるはずよね。なんだ、思ったより簡単じゃない! これならあんたに頼むまでもなかったかしら」

「そ、ソウデスネ……」

 俺は頬を引きつらせる。

 言いたい放題言いやがって。温厚なかざみんが着拒するわけだ!


 俺は大きくため息をつくと、気を取り直して画面に戻る。

「顔認識のアプリはこれだろ、モデルは……入ってるな。

 おお、すげえ! これが七星エリカの生モデルか! ぬるぬる動く! テクスチャすげえ! うおおおっ!」


 俺は、画面をドラッグして七星エリカの3Dモデルを回転させる。

 普段の配信ではこんなに動かないから新鮮だ。

 しかも、俺の意のままにキャラが動く! 視点が動く!

 俺はいろんな角度からモデルを鑑賞し――ガッ!と、マウスを握る手を掴まれた。


「ちょっとあんた! なに当然のようにスカート覗こうとしてんのよ!?」

「ハッ! ついクセで」

「どんなクセよ! クセっていうか性癖じゃない! わたしのパンツ覗かないでよね!」

「す、すまん。大丈夫、リアルのおまえには興味ないから」

「それ、何気に失礼よね!? っていうか、エリカにはきっちり萌えてるってことじゃないの!」

「あーあー知らない知らない。えっと、モデルを配信アプリの枠に入れればいいんだろ」

「誤魔化すんじゃないわよ! って、あら、いいじゃない。キャラとコメント欄ができたわ!」

「背景画像とかBGMとかもらってたりする?」

「使えそうなのを入れておいたって言ってたけど」


「お、あったな。これで……どうだ!」

 天の河を背景に、画面中央に七星エリカ。

 エリカがいつも配信で流してるBGMがかかり、画面右上にはコメント欄。

 エリカが頼りなげにふらついてるのは、カメラがパソコンの前にいる俺の顔を認識してるせいだな。


「へえ! それっぽくなったじゃない!」

 俺の肩越しに画面を覗きこんで、神崎がはしゃぐ。

 混じり気のない神崎の笑顔が、俺の顔のすぐ横に現れる。


(ち、近っ!)

 作業に夢中になって気づいてなかったが、触れそうなほど近くに神崎がいる。

 ふんわりと甘い女の子の匂い。神崎が身を乗り出すたびに、なにか弾力のあるものが俺の背中をかすめてる。


「やるじゃない! まるで自分でもやったことがあるみたいね!」

「……ライバー見てるうちに気になって、アプリをいじったりはしてたから」

「へええ! 見上げた向上心じゃない! 自分でも・・・・配信を・・・やってみよう・・・・・なんて! ま、あんたじゃリスナーが集まらないでしょうけどね!」

 当然のように、神崎が言ってくる。


 俺は慌てて、

「い、いや、配信するつもりはねえよ。ただ、ライバーの話についてきたかったからさ。たまに、配信でも機材やアプリの話してるじゃん?」

「ふぅん? よくわかんないわね。興味あるならやってみればいいのに。Vtuberなら、あんたの顔が悪くても関係ないわけだし」

「……か、顔が悪くて悪かったな」

 いっそう近づいてきた神崎から、身を屈めるようにして距離を取る。


「……ん? あんた、なんでさっきから前かがみになってんのよ。何か隠してるわけ?」

「あ、おい! 覗くな!」

 神崎が身を乗り出し、俺の肩から俺の手元を覗く。

 当然、思春期男子のデリケートな部分も目に入るわけで……

「なっ、なにおっきくしてんのよバカぁぁぁっ!」

「どわああっ!?」

 おもいっきり突き飛ばされ、テーブルの脇に置かれた飲み物に、頭から突っ込んだ。大事な配信用PCを守ろうとして避けれなかったんだ。


「つ、冷たっ!」

「ちょっと、なにやってんのよ!」

「それは俺のセリフだろ!」

「あんたがエロいこと考えてるからいけないんでしょ!?」

「おまえがくっついてきたんだろ! 男ならこうなるっての!」

「へ、へえ……そうなんだ」

「ちょ、ガン見してんじゃねえよ! っていうか、タオルか何か貸してくれ。ベタベタする」

 二人分のジュースを頭からかぶったせいで、上半身がべとべとだ。


「タオルくらいじゃどうにもなんないでしょ。しょうがないわね……お風呂使って。そのあいだに服を洗って乾燥機にかけるわ」

「悪いけどそうさせてもらうか」

「……言っとくけど、お風呂の中で変なことしないでよ?」

「しねえよ!」

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