第27話 過去・中
安井は非番だった。それで、急遽彼の自宅へと向かった。
彼の家は地下鉄の『
「……篠崎君」
インターフォンを鳴らすと、少し年を取ったかのようなこじんまりとした家から、安井が顔を覗かせて顔を曇らせた。チラリと櫻子と笹部も確認して、何かを悟ったようだ。諦めたように玄関のドアを開いた。
「一人暮らしで、散らかってますが――どうぞ」
「失礼ですが、ご家族は?」
案内されるまま玄関を上がり居間に通されると、櫻子は部屋の様子を窺った。「散らかっている」と言ったが、安井の家は質素で物があまりなかった。丁寧に掃除もされていて、言われなければ男の一人暮らしには見えなかった。
「仕事ばかりで、女房には逃げられました。子供は早くに亡くしたので、気楽な一人暮らしです」
その言葉に、居間の隅に置かれた小さな仏壇を見つけた。笑顔の少女の古くなった写真が飾られていてた。
「挨拶をさせていただいても、よろしいでしょうか?」
そう櫻子が尋ねると、安井は驚いたような嬉しいような――複雑な笑みを浮かべて頷いた。それを確認してから、櫻子と篠崎は仏壇に手を合わせた。それから、安井が案内をした窓際に置かれた机の前に腰を落としす。笹部は廊下でそれをしばらく眺めていたが、黙って櫻子の隣に座った。
「有難うございます。麦茶です、良ければ」
子供の仏壇に手を合わせてくれた櫻子に頭を下げると、安井は冷たいお茶を用意して机にグラスを並べた。
「……サキちゃんの事ですね。アイリに送った写真で、分かって貰えましたか」
安井は冷蔵庫からビールを取り出すと櫻子の正面に座り、炭酸の音を立ててその缶を開けて一口飲んだ。それから、そうゆっくり口を開いた。
「はい。榊光汰さんが、国府方紗季さんになった経緯をご存じですね?」
安井は頷いて、自分が手にしているよく冷えたビールに視線を落とした。
「光汰は、十八歳で紗季になりました――国府方、は母親の姓ですわ。光汰は、中学の頃から不良グループと行動してました。万引きやら町の破壊行動で、私共と顔見知りになって――ポツポツ自分の事を話してくれるようになったんですわ。それに、
安井は思い出すように呟きながら、ビールをもう一口飲む。
「光汰のお父さんは、家庭に関心ない父親でした。光汰を産んだ母親さえも、子供に全く関心がなかったそうです。家で毎日喧嘩してる両親から、光汰は逃げてたんやと思います。そんな中、悠子ちゃんと付き合って不良グループを、抜けようとしました。けど、不良グループが足抜けしようとした光汰を……ひどい話ですが、レイプしたんです。制裁ってやつですなぁ……集団に襲われてボロボロになってうろうろと街を歩いていた光汰を、私はたまたま見つけました。私は光汰を保護して、すぐに病院へ連れて行きました。まだ、光汰は十七歳になったばかりの頃です」
篠原は、驚いたように目を見開いた――まるで、ドラマの中の出来事だ。
「それから、光汰は精神を病んだみたいです。家に引きこもって、それが原因で両親は離婚しました。父親が出て行った家に母親はすぐに新しい男を作ったんですが――光汰が母親の下着を身に着けてその男を誘惑したと……」
安井の表情は、篠原には良く分からない。泣いているようにも困っているようにも見えた。篠原が見た事がない顔だった。
「母親が仕事に出ている間に関係が続き、男は光汰に骨抜きになっていたようです。情事の現場を見た母親と光汰と男とで、盛大に喧嘩したようです。母親の通帳を持ち出して家を飛び出した光汰と、仕事終わりの私は偶然出会いました。母親のワンピースを着た、どこか――痛々しくて可哀そうな光汰に……」
「この家に連れてきたんですか?」
未成年者を、保護者の承諾なく自宅に連れて帰るのは犯罪だ。安井が警察官であっても、公的な手続きがない限り誘拐と見なされる行為なのだ。それでも安井は誤魔化さず、ゆっくり頷いた。
「はい。落ち着かせてから、今までの事を光汰から聞きました。久しぶりに会った彼は、自分は女だと――そう光汰は思いこんでいました。死ぬか女になりきるか――あの時、光汰を病院に連れて行くべきでした。私は、大事な選択を、間違えてしまったんです」
どこか遠くを見つめている、ハスキーボイスのサキ。篠原には想像もつかない壮絶な体験を、十七の少年が体験していたなんて思いもしなかった。
「次の日、光汰はこの家を出て行きました。修学旅行用に作っていたパスポートを使い、母親の通帳から引き出した金でタイへ渡って、性転換手術を受けたそうです」
「渡部悠子は、ひょっとしてあの写真の……?」
アイリに渡した写真のもう一人の人物を、安井に尋ねる。あの写真に写っている『ユウ』は、男性に見える。しかしそうではないと答えが分かっていたが、櫻子は確認のために聞かなければならなかった。
「すみません、一つ嘘をつきました。私がたまたまレイプされた光汰を見つけた訳ではないんです――悠子ちゃんから、電話を貰って光汰を助けに行ったんです」
「渡部悠子は、榊光汰と一緒にタイに行って男になったんですね?」
櫻子の問いに、安井は力なく頷いた。
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