我輩は竜である。名前などつけてもらえるはずもない。
どらぽんず
ひとつめの話
第1話
我輩は竜である。
名前などつけてもらえるはずもない。
我輩からしてみれば不本意な悪名や風評が、これから先において、広まることはあるかもしれないが。
●
生を実感するということは、自我の覚醒を意味する。
他がある。自分がある。
その両者を感覚することが生の始まりであると思うわけだが、そういう意味で言うのなら、我輩が生まれたのは今この瞬間ということになるだろう。
まず初めに感じたものは光の眩しさだった。
薄いまぶたを通して目に入ってきた白い陽光の強い刺激が、覚醒直後にぼんやりとしていた意識を直撃したのである。
痛みすら伴ったその目覚ましには、意識が生じた直後で何がなにやらわかっていなかったということもあり、憤りすら覚えて、つい大声をあげてしまったわけなのだけれども。
産声とは世界に生まれたことを他に示す行為であるとするならば、これ以上ない産声をあげられたことだろうと思うことにしておいた。
正直なところを言えば、この程度のことで声を荒げてしまうなどということは、竜という生き物にしては情けないことこの上ないので、そういうことにしておかなければ精神衛生上よろしくないというだけのことであるのだが。
……誰にも言わなければバレないことだ。
そういうことである。
さて、体感上は永遠にも思われるほどの長い間、強い光によって視界を焼かれて痛みに悶え苦しんだ後で、ようやく機能を回復した視界に映ったのは広く澄んだ青空であった。
……どうやら自分は声をあげている間に顔をあげていたらしい。
視線の先にある空は快晴だった。
慣れれば陽光も心地のよい塩梅の暖かさがあり、空気もからっとしていて、大変過ごしやすい日和であることがわかった。
そうなると、先ほどまで感じていた痛みも何もかもを記憶の片隅へと追いやって、
……こんないい日に生まれることが出来たとは、なんとめでたいことだろうか。
と考えを直したりするのだから、我が事ながら、まったくいい加減で現金なものであると強く思う。
そして、そんな思考に心の中で笑みを浮かべながら顔を下げると、自分がどのような場所に居るのかが理解できた。
視線が上から下へと移動する最中に、空の青に別の色が混ざっていく。
周囲に乱立する木々と下草が地面を覆う緑と、下草の間からわずかに覗く土の色だ。
……森か、林か。
この場所をどう呼ぶことが適当であるのかは判然としないけれども、そういう場所に自分はいるのだという事実を認識する。
……もっと情報が欲しいところであるな。
そう考えて己の背中に意識を向ければ、たたまれていた翼がはばたきを始める。
翼の動きに押しやられた空気が風を生む。
生まれた風が木々の間を走り抜けて葉が擦れる音を生じさせる。
ざわざわと鳴るその音を楽しいものだと感じながら、翼をさらに強く動かした。
翼をうつ音が葉鳴りを掻き消した瞬間に飛ぶ。
飛んだ。
……体が浮くとはこういう感覚か。
全身が浮くという不安定さを感じることに悦びを覚えながら、さらに広く見えるようになった世界へと意識を移す。
目の前には青い空がある。
眼下には木々の緑が広がっている。
ただ、緑の密度はそれほど高くなかったらしい。
遠くから眺めてみれば、緑の下にある色もよく見えた。
緑の隙間から覗いているのは、土と岩の色だった。
視線を巡らせて周囲を見れば、岩肌が多く見える山もあった。
……山間地帯というやつであろうか。
そう思い、もっと注意深く観察をしてみれば、様々な場所に色々な生き物の姿も見えた。
「…………」
どれがどういう生き物かまではわからない。
知っている気もするが名前は出てこないという感覚だけがある。
それは、この場所に対する情報においてもそうだった。
それは、己自身への認識でもそうだった。
――自分は竜である。
納得できる事実はそれだけだった。
他の物事については、情報はあっても認識が認識が追いついていない。
――わかっているのにわかっていない、という感覚が全身にまとわりついて離れてくれない。
この感覚が不快というものかと、そう考えて。
これからもこの感覚は消えてなくならないのだろうかという不安や焦燥も頭の片隅を過ぎったけれど。
……素晴らしい眺めだ。
この景色を認めることが出来たことは悪いことではないだろうと、自分の中でひとつの結論を出してから、生じてしまった負の感情を払い飛ばすように大声をあげた。
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