授業・特二色と裏四色 おまけ
「シロ……ねぇ、シロ」
授業を終えたその足で、クロは彼女の部屋を訪れていた。
すこし早めに終わったために、まだアオとキィは学園から帰ってきていない。
アカもまた下の階にいるため、今この二階にはふたりきりだ。
だというのにクロの声は小さく、扉を叩くノックも弱弱しい。
まるで、呼びかけに答えてほしくないような風情だ。躊躇いが、そこにはあった。
「起きてる? もし起きてたら話したいんだけど」
「むぅ……」
けれど、さほどもなくドア向こうから小さく物音が聞こえてきた。
思わずびくりと震える。次の句が続かない。
黙っていると、すこしで気だるげで眠たげな声が扉越しに届く。
「……なんじゃぁ?」
「あ。起きてたのね! 入っていいかしら」
「ん。ええよぉ」
「…………」
僅かに空白を置き、心を落ち着かせてからドアを開く。
いつものように瞼をこすり身を起こすシロがいた。
まだぼーっとしているのか、舟をこぎながらも言葉は間延びはしてもほつれはなく。
「べつに返事せんでも入ってくれてええんよ?」
「最後にはそうするつもりだったけど……」
できれば、許可を得てから入室したい。
そのように躾けられたクロは、その通りにしないとむず痒い。
淑女たるには、そうあろうとすることが大事。
……と、それは建前なのか本音なのか、クロ自身にもわからなかった。
恐ろしいことは遠ざけたい。嫌なことがあるのならそれまでの間を引き伸ばしたい。
当たり前の、しかし子供のような逃避感情がなかったとは言えない。
ふぅん、とシロは感心なのだが無関心なのだかわからない調子で頷いて。
「で、なんじゃ。シロになんぞ用でもあるんかいの?」
何気ないその一言で、入室したクロは停止する。
俯いて、瞑目して、怯えを振り切って。
顔を上げ、目を開く。まっすぐにシロと視線を合わせて。
「シロ……」ばっと頭を下げた「ごめんなさいっ」
「……なんのことじゃ?」
困惑、というより単純に困ったといった風情で、シロはいう。
本当に謝罪の要件に心当たりがない。寝ている間に悪戯でもされただろうか。
クロは頭を下げたままで。
「ずっと、ずっとわたし、シロのこと怠け者だって思ってて。でもほんとは眠りながらがんばってるって聞いて……それで」
「あー、それ」
合点が入って、同時にさらに微妙な面持ちになる。困るの色合いが多少変わる。
んんー、とちょっと億劫そうに唸り声をあげ、シロはベッドで胡坐をかいて頬杖をつく。
そしてほぅとため息をひとつ。
「……なんで、ここの子らはそういうんなんじゃろな」
「え」
言葉の意味が掴めないでいると、シロは懐かしむように目を細める。
「アオも、キィも、な。それを知ったらすぐに謝りに来たんじゃ。せんせーにいらん言うてもらったはずじゃのに」
「……わたしも言われたわ。シロがそれを望んでるんだからって」
「うん。ほーじゃよ」
「でも、それでも謝りたかったわ」
怠惰だと、言葉にして指摘したことはなかった。
けれど、態度や目つきでほんの僅かなりとも蔑みが現れていなかったとは思えない。言葉以外が、シロを傷つけないとどうして言えるのか。
なんて愚か――尊敬すべき姉弟子を、すこしでも疑った。
クロはどうしようもない馬鹿な子だ。
本質をよく知りもしないで見かけだけで判断して、浅はかな思考で決めつけて。
それで自分のほうががんばってるだなんてどの口が言えたものか。
重い自己嫌悪で一向に頭を上げないクロに、シロは笑った。
「シロは、シロはな――おねぇちゃんなんよ」
「っ」
俯いたせいで見えずとも、クロにはその綺麗な笑みを想像できた。
だから余計に動揺する。どうしてそこで笑えるのか。
「シロは、みんなのおねぇちゃん。じゃけぇ格好悪いところは見せられんじゃろ」
「がんばってる姿がカッコ悪いだなんて思わない!」
思わず顔をあげて叫ぶが、柔らかな笑顔で受け止められて、なにも言えなくなる。
あぁ、このひとは本当に年上なんだなと、何故だか理解させられた。
そう、シロはクロのお姉ちゃん……染み入るように事実が心に溶けていく。
「ほうじゃね。シロもそう思うよ。でもこれはそれとは別じゃ」泥臭い努力の良し悪しの話ではなく「上にいるひとは、いつでも余裕を見せなきゃいかんのじゃ。下にいるひとが不安にならんように。
せんせーがそうしちょるように」
「ぁ」
長姉であるシロが眠たげに緩く笑っている、それがこの屋敷にどれだけの安らぎをもたらしているか。
本来、魔術師の弟子同士というのは競争相手でもある。
切磋琢磨のはずがいつのまにか蹴落とし合いになり、嫉妬や増長が飛び交うなんて当たり前。そうした険悪なムードの弟子関係というのは実際に多く見受けられる。
本当に、なんの裏もなく――まるで姉妹のように。
それは非常に幸運で、なにより得難い幸福だろう。
だが無論、一切の不和の種がなかったわけでもない。
彼女らは理不尽な呪詛を刻み込まれ、心に大きな傷を負っている。
世を恨み、ひとを嫌悪する――動機があった。
心を歪ませ、暗澹に染まった思考になる――理由があった。
もしなにかすこしでも傾けば、彼女らだって嫌い合いいがみ合っていておかしくはなかった。
今がこうして問題なく過ごせているのは、少女たちの善性と師の教え、そしてそれを危惧した長姉の計らいによる。
陰日向に妹弟子たちを見つめて、師の届かぬところでさりげなく助力を。
偉ぶらず、むしろ過小評価されるよう努めて、かつ蔑まれないような立ち居振る舞いで。
静かに、人知れず、シロは屋敷を見守っている。
「いうて、いまはほんとに寝ちょるだけじゃけど」
もう不安もない。
自分が寝てても大丈夫。
それくらい、シロは妹たちを信じている。憂いなく安眠できる。
なのにそんな暗い顔でいるのはよしてくれ。
シロは、立ち上がってぎゅっとクロの手を握る。
ふたりは対等な高さでその目を合わせる。
「なぁ、クロ」
「……なに」
「心配せんでも、シロはクロを嫌いになったりしとらんよ」
「っ」
最も恐れることを見抜かれて、クロは目を見開いて、けれどなにも言えなくて。
シロは全部わかってるといった風情で笑っている。
「クロかて、シロが怠け者ち思おてても嫌わんでくれたじゃろ? 謝ってくれたじゃろ? じゃあ嫌うところなんてないじゃろ」
「シロ、わたし……でも」
嫌われたくないから謝っただけではないのか。
嫌われたくないから嫌えなかっただけではないのか。
自らの心が、あまり信用ならない。
「不必要に謝らんでええ。余計に卑下せんでええ。クロはいい子じゃけど、ちぃとばっか後ろ向きじゃ。もうすこし気楽に生きようや」
「そうね。うん。シロの、言う通りね」
勝手に張りつめて、勝手に追い込んで。
それで迷惑をかけては世話がない。
姉妹を信じているのなら、もうすこしばかり関係性において楽観的でもいいのかもしれない。
「まあ、なんかあったらいつでもおねーさんに頼ってもええけぇ、また来んちゃい」
「うん……うんっ!」
いつかも言われた言葉。
今度こそは迷いなく頷くことができて、また一歩距離が近づいた気がした。
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