第二章 紅い魔獣ー4
伽月が女性たちへと押さえていた一番大きな部屋に集まり、彼らは互いの現状と知り得る全てを交換し合った。幻獣のこと、帝国のこと、蒼珠たちの事情、スティルの内情――気づけば早朝の日差しはすっかり真昼のそれに近くなっていた。
「セーラの件は王が取り合わなかったとしても、王太子あたりに頼んでなんとかできなかったのか? 兄さん、懐かれてただろ」
彼女の略取にかかる事の顛末を聞いての透夜の問いかけに、伽月は苦笑して首を振るった。
「いや、宰相殿の抗議でも翻らなかったんだ。きっと誰かの意見で変わるようなものではなかったよ。それに王太子殿は、こういってはなんだが、父王との折り合いが良くないからね。下手に彼から嘆願させては、様々なものがより悪化してしまうだろう」
「ああ……まあ、そうかもな」
思い及ぶ節があるのか、そう透夜は言葉を濁した。そのやりとりに複雑そうな顔をしたピユラを横目で見ながら、蒼珠が問う。
「それで、他に何かスティルに不審なことはなかったか? こう、肌で感じたようなことでいいんだけどよ」
「そうだな。帝国や幻獣に関しては、そちらの為になる内容を持ち合わせていなくて申し訳なかったが、スティルについてなら、いま話したほかに気になることがもうひとつある」
笑みの途切れたその真摯な面差しは凛と強く、どこか気迫があった。なにかを統べていた者の威厳がある。
「先も伝えた通り、旅立ちの支度は整えられていた。わずかたりとも留まる余地もないほど完璧に。これだけでも不審な点ではあるんだが、急かされもしていたし、その場で荷物の中身をすべて検めはしなくてね。けれど、あとできちんと確認してみたら、隠すようにして当家の家宝が出てきたんだ」
「は? その荷物、母上が用意させたんだろ? それにか?」
思わず目を見開いて声を上げた透夜に、伽月は苦笑した。
「ああ。明らかにおかしいだろ? 俺たちでさえ触れることを許さなかったあの母上が、だよ。どうにも国に戻ってほしくないような口ぶりだったし……。だから、セーラの件以上に、スティルにはなにかが起ころうとしているのかもしれないし、母上はそれについて知っているのかもしれない。憶測ではあるけれどね」
「それでなにもない方が、むしろ驚く……」
驚愕冷めぬ様子で、透夜はこぼし、だが、とため息をついた。
「確かに兄さんの話だけでは、実際なにが起きてるのか、もしくは起きるのかは分からないな……。ピユラ、風魔法でまた内情を――特に俺たちの母周辺を探れば、分かったりするか?」
「微妙なところじゃの」
透夜の問いかけにピユラは腕を組む。
「新たな動き、新たな会話、それらは拾えよう。じゃが、その拾った情報がこちらの望む答えそのものかは分からぬ。無論、対象が限定された分、精度も上がる。やる価値はあると思うがな。のちほど試そう」
「それは、あの不思議な姿の男の子――かな? 彼を使って情報を集めるということかい?」
「いや、それよりずっと簡易な魔法じゃ」
振り向いた伽月の柔和な笑みに、首を振りピユラは答えた。
「そなたを探し出した者は――祥雲と呼んでおるのじゃが、あの者は特別じゃ。そうおいそれと呼び出しては、私の魔力が持たぬゆえ、普段は頼らぬ。ちなみに、性別は私にも分からぬな」
「そうなのか。いや、その祥雲くん? にはびっくりしたよ。突然風と共に現れて、次の瞬間には、こう、声に出すのではなく風と共に言葉が伝わるというのか――不思議な感覚だったな。それに、ここでの合流を伝えに来てくれた時は、唐突に女の子の声でしゃべりだしたしね。でも、いま思えば、あれは君の声だったんだね。姫君」
「う、うむ」
優しく微笑む伽月からふいに投げられた呼びかけに、ピユラは顔を赤らめた。慣れていないわけではないはずなのだが、久方ぶりで少しくすぐったかったのだ。だから、透夜がなにやらもの言いたげな目で兄の方を見たのには、ピユラだけが気づけなかった。
「その……驚かせてしまったのは、すまなかったの。祥雲は本人としては人のように声を持たぬのだ。風で取り巻くことで、すべて伝えられるゆえ。じゃが、祥雲の口を借りて他の者の声を伝えることが可能でな。こちらの方が詳細な内容が話せ、意思疎通も出来るゆえ、先の連絡は私が祥雲を通じて行ったのじゃ」
「ああ。確かに話し方も、姫君そのままだったね。彼は無表情なのに、急に元気な可愛い口調で話し出すから、余計に驚いてしまったよ」
「そ、そうか。そうであったか」
重なる笑みになぜか声が上擦り、ピユラは心中で首を傾げた。蒼珠とユリアが透夜にこそこそとなにか囁いているようだが、なにを話しているのかは、彼女の耳には届かなかった。
「それで、その――大変と聞きながら勝手な相談で申し訳ないんだが、彼で私を探したように、セーラを探し出したりも出来るのだろうか?」
伽月の言葉に、これだよ、と小さく透夜が天を仰いだのがようやくピユラにも聞こえたが、その意味までは分からぬまま、ピユラは伽月に答えた。
「可能じゃが、魔法的な守りがあると、確約は出来ぬ。試みるのはもちろん引き受けるが、痕跡も残さず攫いだしたとなると、魔法の使用は十分に考えられよう。あまり、期待にはそえぬやもしれぬ」
「いや、こちらこそ、無理を承知で頼ませてもらっているんだ。あまりにも手がかりがないもので……申し訳ないね。だから、その答えを戴けただけでもありがたい。――深く感謝を、姫君」
「いや、その、あれじゃ、ピユラでよい。ピユラで。透夜なぞ、最初から呼び捨てるような態度であったしの」
頭を垂れる伽月にピユラは頬染めて慌てる。どうにもこの柔和な青年に、柔らかく包み込むような扱いを受けると、胸が騒いで落ち着かない。
「……姫君って態度じゃなかっただろ、お前」
「これじゃ! これぐらいでよい!」
不遜にも顎を手につく崩した姿勢でピユラを見やる透夜をびしっと指し示し、彼女は勢いよく伽月に告げた。その威勢にいささか目を瞠った後、ふわりと慕わしげに彼は微笑む。
「では、お言葉に甘えてピユラちゃんと呼ばせてもらうよ。けれど、なんだか不思議な感じだね。風羅だと思うと、あまり聞かない響きの名のようで」
「うむ……その、自分でつけた……」
素朴にこぼれた伽月の疑問じみた感想に、ぼそぼそと気恥ずかしそうにピユラは視線を逸らした。自分で、と、きょとんと首を傾げる伽月に、恥じ入るピユラに代わって蒼珠が苦笑交じりに応じる。
「いやさぁ、風羅の王族ってのは、名づけ方が独特でな。七つまでは名を持たずに、
「仮の名だからよいか、と父上も快く許してくれたゆえ……いまも、気に入ってはおるのじゃぞ? 呼ばれ慣れておるしな。じゃが、その、由来はいささか……のう……」
もごもごとピユラは言い訳のように口にして、手持無沙汰につんつんと指先を突き合わせる。名前の好悪とは別に、幼少時の勢い、という恥ずかしさを抱え持っているらしい。
だが伽月は素直に微笑ましげに、なるほど、と納得してうなずいた。出会って間もないころ透夜にも同じこと聞かれ、その答えに呆れ顔を返されていた蒼珠としては、そのあたりの反応も実に対照的な兄弟だとつい感じ入ってしまう。透夜の場合は、なにやら重い事情があるのではと慮ってか、わざわざ蒼珠とふたりきりの時にこっそり尋ねてきたので、内容に拍子抜けしたところもあるのかもしれないが。
「ねぇ、透夜。ひょうおん、ひょうい、って?」
ふいに難しそうに眉を寄せていたユリアが、透夜の袖を小さく引っ張った。ああ、とそれに柔らかに応じ、透夜はユリアに身を寄せる。ユリアは文字が読めない。それを当然に踏まえて、丁寧に説明をしてやりだした彼の声音は誰がどう聞いても優しく、自然、伽月や蒼珠の頬を緩ませた。そのせいで一瞬、透夜に睨まれたが、彼らはそろって気づかなかったことにした。
「あれ? そうだとすると、もしかして透夜たちも変? スティルなのに表意文字で書く名前ってこと?」
透夜の解説に頷きながら、ふと新たな疑問にユリアが首を傾いだ。文字にも種類があるなど知らなかったが、いま、透夜が指先で机に記してくれた彼の名は、表音文字の例として先に彼が同じくなぞったユリアの名とは形が随分と違った。
「ああ……俺は実際のところどっちだったのかは分からないが、母が雲竜帝国の人間だからな。あそこは表意文字の文化圏だから、そちらの名づけにならって文字を当てはめられたんだろ。兄さんも名づけが母だったからだな」
「父上、母上には甘かったからねぇ。基本的に、母上がそうしたいって言ったら、二つ返事で頷いてたんじゃないかなぁ」
「兄さんが、それいうか……」
しみじみとこぼす伽月に、正気を疑うといわんばかりの顔で透夜が返す。それに、おや、と意外そうに伽月は瞳を瞬かせた。
「透夜だって、ユリアさんにはそうだろ? 出会ったころから特段に気を使ってたし。ほら、セーラが気を利かせて選んだ贈り物、毎回律義に持って、」
「いいからそれは黙ってろ! あとあれは気を利かせたじゃなくて、余計な世話という!」
「え? なになに? 蒼珠くん、とっても聞きた~い!」
「お前はますます黙ってろ!」
「贈り物? なんじゃ?」
「あれ嬉しかったなぁ。あのね、お菓子とかお花とか、」
「ユリア! 嬉しかったのはいいが、そこは蒸し返すな」
「ほら、ユリアさんには言い方が柔らか、」
「兄さん! 黙ってろっていっただろ! だいたい、兄さんほどじゃないからな? さっきも相手がピユラだから良かったものの、何度あの手のやらかしをしてると思ってる。いい加減意識しろ! 意図せず相手を揺さぶって気持ちを上げておいて、セーラで叩き落とすな! 『セーラしか見えてないと知ってたけれど』と、泣きつく令嬢の数々を、たびたび相手してたのは俺だからな!」
「いやぁ、なんでろうな……気づくとそうなってて。それについては透夜には迷惑かけたよ」
心底面目なさそうに頬を掻いて詫びる伽月に、額に手をやり盛大に溜息をついて、力なく透夜は呻く。
「あの手の相手には、話を聞いたあと何度か追いかけられてるんだ……。あれが、きつい……」
「透夜、そういう時に意外と親身に聞いてやるからなぁ。情が移っちゃうんだろうなぁ」
「もとは兄さんのせいだろ! なんで他人事なうえ、若干嬉しそうなんだよ!」
「いや、透夜のいい面が他の人にも伝わるのは、どんな形であれ嬉しいな、と」
「相手が悪い! こっちは迷惑なんだ!」
にこにこと悪気のない兄に透夜は咆える。
「やだ、この兄弟怖い。女の敵だわ」
「俺は違う! そこは一緒にするな!」
妙なしなを作って口元にそろえた指先をやる蒼珠に、噛みつかんばかりに透夜は怒鳴った。だが、蒼珠はその肩を楽しげに抱き寄せる。
「おいおい、無意識なとこも一緒かよ~。お前ら似てないと思ったけど似てるわ~」
離せ、重いと、綺麗な顔を顰め、透夜が聞き慣れてきた文句を重ねて言い放つも、蒼珠は笑うばかりで解放する素振りもない。兄も兄で、それを微笑ましそうに見つめるだけだ。
「……ユリア、なにやら女の敵らしいが、大丈夫か? 私にはふたりともよい奴に思えるが」
騒ぐ男たちを背に、そうピユラが真っ直ぐな目で振り向いてきたのに、ユリアは柔らかに苦笑した。
「そうだね。たぶん、ピユラちゃんの心配してる意味としては大丈夫かなぁ」
そうなのか、とピユラは首を傾げる。その紫の瞳に、ふふっと笑みをもらして、ユリアはそっと囁いた。
「この話の続きは、夜の女の子の内緒のお話でしよ。ね?」
「う、うむ!」
彼女の淡い水色の双眸に、どこか艶めく悪戯心が溢れる。そこにかすか大人びた秘密の香りを感じて、ピユラはよくは分からぬままながら、久方ぶりに胸をときめかせて頷いた。
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