第一章 遭遇ー4

 肩で息をつきながら、拳を振るわせたピユラの叫び声が、裏路地に響いた。

「どういうことじゃ!」

「いや、知らねぇよ」

 疲れた声が隣から落ちる。


 明けた次の日、魔力を消耗し早々に寝着いたからか、ピユラの目覚めは早かった。そのため、街を照らし出した朝陽に誘われて、蒼珠を伴い早朝の散歩を楽しむことにしたのだ。だが、宿を離れてしばらくしたところで、昨日見覚えのある男たちに突如襲われた。数が多かったため無難に逃げるに徹し、なんとかその手を逃れて、気づけばここに辿り着いていたとうわけだ。


 建物に囲われた路地の上に細くのぞく空を見上げれば、ぼんやりと光に濡れたばかりの淡い空色ではなく、しっかりと朝を迎えきった目覚めの色になっていた。少なくとも、起きそめたばかりの街を堪能するというピユラの散歩の目的は、もう台無しであろう。路地を抜けた先に市がたっているのか、はっきりと商人たちの呼び込みの声が響いてきている。街はもう完全に動き出していた。


「なぜあの者たちが妾たちを襲うのじゃ! 相手など誰でもよい人攫いであったのか?」

「それは分かんねぇけど、お前、昨日風魔法を使ったんだろ?」

 立腹するピユラを宥めるように、落ち着いた声で蒼珠はいう。

「どういう目的で動いている奴らなのかは知らんが、魔法使いってことで、目をつけられた可能性はあるぜ。風魔法って悟られたかまでは、どの程度分かりやすく使っちまったかによるけどよ」

「う、む……」

 急速に勢いをそがれて、ピユラは視線を彷徨わせた。これは相当分かりやすく使ったな、と蒼珠はにらむ。あえて声音を低く落とし、蒼珠は続けた。

「ピユラ。なんか自覚があるみたいだからこれ以上はいわねぇが、本当に気をつけろよ。そうそう魔法は使うな。いいな?」

「うむ……。分かったのじゃ。すまぬ、蒼珠」

 事態が事態なだけに殊勝に項垂れるピユラに、蒼珠は苦笑した。その大きな手でわしゃわしゃと彼女の髪をかきまぜてやる。

「ま、ともかく、いまは逃げ切った。今日にはこの街を出て、さっさと奴らとは縁を切ろうぜ。ひとまず、ここから抜けて向こうに行くぞ。市が出てるみたいだからな。万一また見つけられても、人が多けりゃ、あの手の奴らも下手に仕掛けてこれないだろ」

「そうじゃな。ついでに昨日買い損ねた物も買い足し、昼前にはこの街を出るのがよかろうな」

 蒼珠に手を引かれていざなわれ、浮き立った調子でピユラは笑った。生来、明るく賑やかなところが好きな少女なのだ。


(あんなことさえなけりゃ、本当に――こういう機会を陰りなく楽しませてやれたんだろうにな……)

 詮無い事に思いを馳せているとは蒼珠も分かっている。そもそも、国が滅びなければ、彼女はその外へ出ることはなかっただろう。だから、そこはなんとも皮肉なことだ。


 路地を抜けでれば、もうすぐに雑踏のただ中だった。仕入れの行商人や旅人、街の住人から、馬から、荷車までが、広い道を様々に行き交い、商いの声がそこここから聞こえてくる。この市は常に店があるというわけではなく、時間になると商人たちが品を広げる形態の場所のようだ。基本はどこも石畳の道端に商品を広げ、それを買い手がのぞき込んでいる。


 抑えきれぬ目の輝きをそのままに、きょろきょろとピユラは左右へ首を巡らした。蒼珠はやれやれとばかりに笑みを交えて見守るのみで、なにもいわない。どちらに進み、どこを見るかは、ピユラの一存でよいということだ。


 しかし、それを決める前に、またしても昨日見かけた姿がピユラの視界に飛び込んできた。背の中ほどまでの柔らかな癖のある栗色の髪と、優しい水辺の色の瞳の少女。そして、彼女を守っていた紫黒の髪と双眸を持つ、浅黒い肌と泣きぼくろが印象的な少年。何やら装身用の小物の店を楽しむ少女に、手持無沙汰に少年が付き合っているようだった。


『透夜。ほら、これとか可愛い』

『いやなんでそこで俺につける! 自分に試せ! で、そいつが欲しいのか?』

『お! 兄ちゃん、話が分かるねぇ! こいつはお買い得だよ~。いまなら、銀貨よ、』

『おじさん、でもこれ、ちょっとこの留め金が弱いみたい』

 勢いよく彼と商談を進めようとする相手に、ふわりと少女の優しい声が割り込んだ。

『私、髪質が少し硬めだから、これだとちょっと心もとないかな。だから、買うのはまたの機会にします。ね? 透夜』

『あ、ああ。別にそれでいいなら、構わないが……』

『うん! 大丈夫。それではありがとうございました』


 有無を言わせず爽やかに商売の手を逃げ切って、少女は彼の背を押して店の前を立ち去った。本当に良かったのかと問う声に、見て楽しむので十分だよ、と弾む音色が答えているのも聞こえてくる。


「……ふむ。関係性がよく分かる」

「なんだ? 昨日の奴らじゃん」

 感慨深げに頷くピユラの視線の先を追いかけて、蒼珠が声をあげた。


「なんか、いいのか悪いのか、なにかと昨日の縁が続いてんなぁ」

「そうじゃな。まあ、せっかくじゃ。あの男たちがまだこの街でうろついてることと、妾たちが振り切った場所を教えてやろう。なにかの助けになるかもしれぬ」

「ま、別にそれは構わねぇけど……向こうも気づいたみてぇだし」

 蒼珠は唇に笑みを引いた。もしかしたら、もう少し前から気づいていたのかもしれない。少年になにか告げられた少女が、驚いた眼でこちらを見たのと目が合った。

親しげに手を振られる。その後ろで少年が苦い顔をして額に手をやったのに、妙な親近感を覚えた。


「あいつ……同じ香りがすんだけど……」

「どういうことじゃ?」

 思わず真顔で零した蒼珠に、ピユラが首を傾いだ時だ。雑踏に明らかに異質な音が響いた。市をそぞろ歩くような音ではない、一直線に向かってくる複数の駆ける足音。


 蒼珠は周囲に視線を巡らせた。瞬間、人波を押しのけながら突き進んできた影が、彼らの前に躍り出た。行く手を読まれていたかと舌打ちし、その手の白刃からピユラを抱き込み身をかわす。


 石畳に狙いを失った剣がぶつかり、硬質な音が辺りにこだました。砕かれた石の破片が周囲に飛び散る。

 賑わいの声が悲鳴にぬり変わった。身一つで、荷物を抱えて、様々に逃げまどう人々を縫って、男たちがなだれ込んでくる。例の標的もいます、との叫び声が喧騒の中に溶け込み混じった。それと同時に、複数の影が蒼珠たちを過ぎて走り抜ける。

(やべっ……!)

 よりにもよって追手を招き込む形になってしまったと、慌てて蒼珠は少年たちへと首を巡らせた。すでに少女を背後に庇い、剣を抜き放った少年が向かってきた相手を抑え込み、斬り伏せている。その一瞬、蒼珠へと向けられた射るような視線から、共謀とまでは疑われていないながら、完全にこの偶然の責を問われていると知れた。


(ま、そうだよな。俺ら狙いで流れてったの、明らかだったもんな)

 目の前の男の剣のひと薙ぎを交わして蹴り飛ばし、蒼珠は面倒な事態にひそかに溜息を吐いた。

 だが相手は多数の上、どうにもなかなかに腕がたつ。蒼珠たちと、あの少年たち、それぞれにこの囲まれた状況を切り抜けるというのはいささか難儀なことだろう。


 蒼珠はピユラを小脇に抱き直すと、隠し持っていた小刀を器用に複数掴み取り、斬りかかってきた男たちへと投げつけた。そのまま動きの止まった隙をついて少年の方へと駆け出し、剣を引き抜きざま、彼と対峙していた男の背中を斬りつける。

 獲物を取り落とし、鮮血を散らして呻きながら倒れ込む男の向こう、構えた少年へ蒼珠はにっと笑いかけた。

「こいつを頼みたい!」

「は?」


 敵意がない印とばかりに、少年たちへと刃を向けた男を加えて蹴り倒し、蒼珠は彼が背に庇う少女の方へと、ピユラを押し付けるように下ろした。

 当然、頬を膨らませてピユラが抗議の声を張り上げる。

「どういうことじゃ! 蒼珠!」

「周り固められてる上、ちょっと多勢に無勢過ぎんだろ、この状況。同じ奴らに狙われてる身だ。お互い上手く逃げ切るために、力貸しあおうって提案してんだよ」

 それはピユラへの返答でもあり、少年への提言でもあった。理解して、ピユラより先に彼が口を開いて答える。

「こいつを俺に任せたってことは、ここはお前が防いで、俺に突破口を開き、連れて逃げろってことか?」

「そいうこと。話が早くて助かんぜ」

 その間も振りかぶられた剣を捌き、持ち手を斬って捨て、少女たちを互いに合わせた背の間に庇いながら、ふたりは男たちとの間合いをはかりあう。


 蒼珠とて、少年たちが善良なる者ではない可能性を考えないわけではない。頭の片隅では、その万一の場合へも思考を巡らせている。けれど、いまはすべてに万全を期して判断を下せる時間はない。ここを切り抜ける。まずはそれからだ。

 少年もそこは同じ結論に至ったのだろう。束の間逡巡してすぐに、いいだろうと頷いた。


「こいつが何もしないなら、任されてやる。必ずな」

「ああ。頼んだぜ。ここは引き受けた」

「落ち合う場所は?」

「残念ながら土地勘がねぇ。だが、ピユラがいるなら分かる。いい場所見つけてくれ」

「――便利だな。分かった」


 言うが早いか、どこに隠し持っていたのか少年も小刀を取り出し、間合いを詰めようと機をはかっていた男たちへと投げ放った。狙い過たず青い空に真紅の血が吹きあがり、前衛が二、三人、呻き声と共に倒れ込む。


「走るぞ!」

「行け! ピユラ!」

 剣ばかりだった相手からの思いもかけぬ飛び道具に戸惑いの走った間隙を縫って、少年が目の前の敵の壁切り崩すし、突き抜ける。


「っと! 行かせねぇよ!」

 追いすがる男たちをその手の剣と拳でとどめきって、蒼珠が笑った。

 ピユラがいれば場所が分かるという蒼珠の言葉に、彼は問い直しもせずに納得した。便利、という単語をこぼしたことから、おそらく昨日の一件で彼にも風魔法の使い手であることが知られているうえ、都合よくその知識も多少持ってくれていたのだろう。

 すでにふたりを引き連れ、姿の見えなくなった少年はおそらく安心に足る相手だ。いまのわずか一時、背を貸しあっただけだが、蒼珠の理屈抜きの直感はそう告げていた。


(こいつらの追撃が避けようもなかったってんなら、あいつらとここで再会できたのは、幸運だったかもな)

 蒼珠に阻まれているためか、彼を取り囲む男たちに、少年らを追いかけようという素振りはない。それにかすか違和感を覚えつつも、蒼珠は彼らへ剣の切っ先を向けた。

(ともかく、あとは俺がどううまく逃げ切るかだ――!)

 澄んだ空へ獣のように跳躍し、蒼珠は男たちへ挑みかかった。

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