背の高いサンタクロース?捕食だ!

 初めて契りを結んだあの日のように、この日も分厚い雲によって太陽が隠され、空気は肌を刺すように冷たかった。


 真咲は電車に乗り込み、例の少年――葛城結乃との待ち合わせ場所となっている駅へと向かっていた。

 真咲は、決して今の彼氏のことを愛していないわけではなかった。それでも結乃に手を出したのは、彼の姿に、在りし日の弟の面影を見たからである。

 結乃の顔の作りが怜に特段似ているというわけではない。けれども、怜の持っていたある種の中性美が、結乃には宿っていた。そのことで彼に興味を持った真咲は、つい彼を誘い、その初めてを奪ったのである。


 結乃が真咲の多くを知らないように、真咲もまた結乃について多くを知っているわけではなかった。怜と長い付き合いであったこと以外に知っているのは、真咲が実家を離れて暮らしている間に結乃の父親が亡くなり母子家庭になっていたことと、真咲とのが、彼にとっての初体験であったことぐらいなものである。


「ああ、先に来てたのね」


 待ち合わせ場所には、結乃がすでに待っていた。彼の狭い肩には力が入っており、顔は頬紅でも塗ったかのように朱がさしている。すでに何度か会っていて、体を重ねている間柄でもあるのに、この日の彼はいつにも増して緊張しているようだ。その初心うぶなところも、真咲の心をたぎらせた。


 二人が足を運んだのは、都内の水族館であった。

 

 水槽の中を、色とりどりの魚が、あるいは優美に、あるいはせわしく泳いでいる。その中でいっとう結乃の目を引いていたのは、我が物顔で泳ぎ回るオオメジロザメであった。

 彼らは強い。彼らは速い。彼らは怖い。まるで敵などいないとばかりに、この丸みを帯びた体の肉食魚類は悠然と泳いで、その威容を人間たちに晒していた。顔立ちはどこかぼうっとしていてうすのろそうではあるが、そうでありながら言いようもない威圧感を漂わせている。

 怜には、妙ちきりんな趣味があった。彼はサメが人を襲うパニック映画を好んでおり、結乃は彼の家に上がった時、何度も一緒にそれらの映画を視聴した。たいていの作品は安っぽかったり、冗長であったり、シナリオが破綻していたりして退屈きわまりなく、怜もそれらの多くを容赦なくこき下ろしていた。曰く、一部の名作良作を除いて、このジャンルの映画はどうしようもなくくだらないのだと。それでも、彼はこの持病のような趣味をやめなかった。中学に上がった後も、結乃は数回サメ映画を見せられたのであった。

 

 不意に、オオメジロザメと目が合った……結乃はそんな気がしたが、オオメジロザメは透明な壁で隔てられた向こう側の陸生哺乳類など意も介さずといった風に泳いでいる。

 一瞬、怜が水槽の向こう側で、オオメジロザメが自分を見ているような……そんな思いにとらわれた。けれども少し間をおいて冷静になった結乃は、そんな馬鹿な話があるわけはない、と、先刻の妄想を一蹴した。

 だが、それを取っかかりとして、今まで思考の片隅に追いやっていた怜のことを、結乃は再び思い出した。

 もし、真咲と自分の関係を知ったら、怜はどう思うだろうか……少なくとも、彼は歓迎しないような気がする。もっとも、そのようなことを考えるのは、死んだ子の年を数えるより無意味なことであった。


 続いて、二人はシャチの水槽の前に来た。凶悪さと愛嬌がないまぜになったような、この不思議な海棲哺乳類は、複数匹で仲睦まじげに戯れていた。

 この白黒の生物は、海において向かうところ敵なしの最上位捕食者である。名作映画「ジョーズ」で知られるホホジロザメでさえもシャチにとっては餌に過ぎない。怜の見ていた映画ではサメに殺されたシャチが打ち上げられているシーンがあったが、現実の力関係は全く逆なのだ。

 

 そうしてあらかた回り終えた二人は、水族館を出た。向かう先は、真咲の済むアパートである。


***


 異変は、結乃と真咲が水族館を後にした直後に、大勢の人の目の前で起こった。


 突如、シャチ水槽の水面が、青白く発光した。この段階では、まだ客は何かの演出としか思わなかった。

 シャチ水槽は密閉型ではなく、上部が空いている。そのためシャチが飛び跳ねるとしぶきが客にかかったりするのだが、それがためにシャチをより身近に感じることができると人気の場所であった。

 そのシャチ水槽から、青白く細長い体をしたものが飛び出してきた。それがシャチではないことは、姿形から明らかである。

 シャチ以上の大きさを持ったそれは水面から勢いよく飛び出すと、シャチ水槽の前に立っていた、角刈り頭の男性に飛びかかり、頭から食らってしまった。


 その一瞬の出来事は、この場を狂騒のるつぼに落とすのに十分であった。


 人々は叫び声を上げながら、蜘蛛の子を散らすように散っていった。状況をはっきりと理解できている者はそうおらず、「不可解な出来事によって、一瞬のうちに人が頭部をなくして死んだ」という事実だけが、人々を恐怖せしめた。

 青白いサメはふわふわと、まるで足のない幽霊のように宙を浮きながら、まるで水中にいるかのように空中を泳いでいる。そのサメが狙いをつけたのは、一人の若い女性であった。

 女性は、先の角刈り頭の妻であった。つい先日に彼の子を身ごもっていることが分かり、お腹が大きくなる前にと、二人の思い出の場所であるこの水族館に足を運んだのである。その時はまさか、夫がこの場所で理不尽に命を落とすとは予期していなかった。

 サメの泳ぐ速度は、恐ろしく速かった。あっという間に追いついたサメは、女性の頭にかじりつき、そのまま横倒しにしてしまった。


 女性を呑み込んだサメは、逃げる人々を追いかけて売店に突入し、そこでも何人かを食らった。その時、カウンター付近に置かれていたサンタの人形にかぶせられていたサンタ帽が、サメの背びれに引っかかった。まるで背びれにサンタ帽をかぶったかのような出で立ちとなったサメは、そのまま霧のように消えていってしまった。


 この時、水族館から我先にと逃げ出す人々を、敷地の外から眺める者があった。黒い修道服を着た、細身な白人系の中年男性は、険しい表情で狂乱する人々を見つめている。


「来たか……」

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