第3話 fire birds
ファフニール邸のニーズヘッグの部屋には、多くの書物があった。
ファフニール家が1000年の歴史をかけて集めた書物は何万冊もあり、兵法書や政治や経済について記されたものも多かったが、大半はそういったものとは関係がない、彼が騎士としてではない形で未来の礎になりたいと願うものであった。
それらの書物を読み、自らも未来に何かを書き残していく。
そんな風に一生を愛する人と過ごすことができるなら、それ以上に幸せなことはないように思えた。
地位や名声などいらなかった。
ただそれだけでよかった。
彼は、たまにではあるが、兵法書や、竜騎士の歴史についての本を読むことがあった。
ランスに残された古い書物には、最古の騎兵は動物が曳行(えいこう。引っ張る、を意味する言葉)する戦車に乗った兵士であったとされていた。
詳細が記された書物はなかったが、戦車といっても、おそらくは数人の兵士と多くの武器を乗せた馬車のようなものであったのだろう。
後に動物に跨る騎兵に移行していったとあった。
戦車を動物に曳行させる騎兵には、後にスタンダードとなる動物に跨がる騎兵よりも弱点が数多くあったであろうことは容易に想像がついた。
戦車が重ければ重いほど、その機動性は落ち、それを補うためには動物の数を増やすか、戦車に乗せる武器や人の数を減らす必要があったと思われる。
兵士が何人も同じ場所に固まっているのも問題であっただろう。
曳行する動物が殺されてしまえば、戦車は動かなくなってしまう。
敵兵にあっという間に取り囲まれ、兵士が戦車から飛び出したところで、すぐに殺されてしまったに違いなかった。
この世界では、神が7日間かけて天地創造を行ったとされる年を元年とする、世界創造紀元という暦が用いられており、今年は世界創造紀元7529年だった。
神話の時代から、現在へと地続きになる人の時代へと移り変わったのは、おそらくエウロペやランスが建国された、2~3000年前のことだろう。
人の歴史は戦争の歴史だ。
ランスの騎兵が、現在の竜騎士の形にたどりつくまでに、一体どれだけの命が犠牲になったのか、想像もつかなかった。
現在の形でさえ、未来の戦争のための礎でしかないのだ。
一体いつまで、領土であったり、エーテルなどといった資源のために戦争などという愚行を人は繰り返すのだろう。
戦争で得をする者など、ほんの一握りに過ぎず、それ以外の者たちにとっては悲しみや憎しみしか生まないというのに。
武力などというものがあるからいけないのだろうか?
世界中の国家が武力を持たなければ戦争はなくなるのか?
いや、きっと、なくなりはしない。
調理道具をはじめ、武器にしようと思えば武器になるものはいくらでもある。
ニーズヘッグが今その手に持つ分厚い本ですら、人の頭に向かって振り下ろせば武器になるのだ。
エウロペにとっての魔法がそのいい例だ。エーテルの枯渇が深刻化するほど、戦で魔法を使ったのだから。
使い方次第で武器になってしまうものをすべて失ったとしても、素手で戦争を行うのがきっと人という生き物だ。
ニーズヘッグは、同じ未来のための礎となるなら、小説や詩、演劇や戯曲のための礎となりたかった。
ランスは大陸の最も東に位置していた。
エウロペはランスの西にあり、百数十年前の戦争でふたつの国が、真っ先に滅ぼした「ペイン」は、ランスの南にあった。
先に戦争をしかけたのはランスとエウロペだというのに、敗戦を悟ったペインが禁忌の秘術に手を出し、死者の軍隊を作り出してしまったために、王族や軍の上層部の人間はすべて処刑されてしまった。
だが、王族の中でたったひとりだけ処刑を免れた者がいた。
ペインが敗戦へと向かう中で生まれた、生後数ヶ月の王女だった。
その存在は、自国の民にすら隠されていた。
ペインのその王女は、ランスの当時の聖竜騎士(=竜騎士団長)に保護され、養女として迎えられた。
その聖竜騎士はニーズヘッグらファフニール家の先祖にあたり、名前もまた彼と同じ「ニーズヘッグ・ファフニール」であった。
彼や4人の兄たちには、ファフニール家が輩出した偉大な聖竜騎士の名前がそれぞれつけられていた。
「きっとわたしのご先祖様を助けてくれた聖竜騎士様は、あなたのように優しい人だったのでしょうね」
聖竜騎士ニーズヘッグ・ファフニールが養女に迎えたペインの王女の子孫は、ニーズヘッグの幼なじみであった。
アルマ・ステュム・パーリデ。
彼のひとつ年上で、今年で23歳になる。
読書に夢中になっていたからか、ニーズヘッグは後ろから抱きしめられるまで、彼女が自分に会いに来ていたことに気づかなかった。
「伝記を読んだの。あなたと同じように、小説や詩や演劇や戯曲を愛していたそうよ。
そして、あなたと同じように、戦をとても嫌っていた」
ニーズヘッグは、なるほどと思った。
この部屋にある書物の大半は、その百数十年前のニーズヘッグ・ファフニールが集めたものなのだろう。
彼は、自分と同じ名前を持つ先祖に感謝しながらも、
「本当に戦を嫌う者に、ランスの竜騎士団を率いることなどできないよ、アルマ」
彼女にそう言った。
アルマもまた何故か、たったひとり処刑を免れたペインの王女と同じ名前を与えられていた。
「彼は、敵兵の命を奪うことを良しとはしなかったそうよ。
武器を壊したり奪ったり、戦意を喪失させ、逃がす。
彼にしかできないやり方で戦をしようとした」
「だから、先の戦争でエウロペの魔法使いの何倍もの竜騎士が死んだんだね」
「どういうこと?」
「戦でそんなことをしていたら、敵兵は武器を手にして再び襲ってくるだけだ。
彼がしようとしたことは、人としては正しかったかもしれない。
けれど、そのために自分の部下が大勢死んでしまったら何の意味もない。
彼は結果として、竜騎士団を率いる者としてだけでなく、人としても大きな間違いを犯した」
「ニーズヘッグもそんな風に考えてしまうのね。
伝記の著者や当時の竜騎士団の人達も同じ意見だったわ。
あなたは、聖竜騎士だったニーズヘッグよりもきっと戦に向いてるわ」
アルマは彼に少し失望したように、彼には見えた。
幼い頃から、ふたりはずっと一緒だった。
ニーズヘッグはアルマを愛していたし、アルマもまたニーズヘッグを愛してくれていた。
しかし、ニーズヘッグの父は、ふたりの結婚の条件として、彼が竜騎士になることを挙げた。
だからニーズヘッグはドラゴンに知恵を示し、ドラゴンは彼の命が尽きるまで彼だけをその背に乗せる契約をかわした。
彼はすでに竜騎士としてドラゴンに選ばれていたが、その背に乗ることがどうしてもできなかった。
そんな彼を父は竜騎士として認めてはくれなかった。
「昨日、あなたのお父様から縁談のお話を頂いたの」
アルマは言った。
そう、とだけニーズヘッグは答えた。
「ドラゴンの背に乗れないあなたのことは、もう忘れろと言われた。
縁談の相手は、現・聖竜騎士であるジルニトラ・リムドブルムの息子、バラウール・リムドブルムだそうよ」
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