第14話

 無機質なコンクリートの壁に囲まれた廃工場にある事務所の一室。父が存命だった頃は、漁業に使う度具を製造していたが、亡くなって以来、売り上げは一気に下がり、まもなくして倒産。以来、交通の便もあまりいいとは言えないこの場所は誰の手にも渡ることなくなく、廃墟と化していた。

 日はすっかり水平線に隠れた。まるでこれから行われる残虐非道な行いに目を背けるかのように。

 本来なら今宵は満月であるにも関わらず、曇り空に覆われていて、月明かりは一切ない。

「お目覚めですか」

 私は椅子に四肢を縛られ、気を失っているグラハムを起こす為に頬を強く叩く。

「こ……ここは?」

 目覚めたグラハムは細目で回りを見回す。

そして、立ち上がろうとするが椅子に縛り付けられているため体を動かすことができない。

「何を……するつもりだ! そんなに杏奈様と一緒にいたいのか」

 グラハムは私を睨む。

「それもありますが、少し聞きたいことがありまして……」

 私はグラハムを見下ろし、問いかける。

「黒澤を知っていますか?」

「知っているとも。数年前に何者かに惨殺された一家のことだろ」

「そうです。一説には牧野グループが関与していると言われていますね」

「どうしてそのことを君が知っているのだ?」

 グラハムは目を見開き、私を凝視する。

 家族の殺害に小原グループが関与しているという噂は世間では流れていない。このことは私と警察内でもごく一部の人間しか知られていないようだ。仮に知られていたとしても恐らく何者かによる圧力によって口封じされてしまったのだろう。

「もし、天海家に生き残りがいたら」

「ま、まさか!」

 グラハムの表情はまるで猛獣に出くわしたかのように引きつり、呼吸が激しくなる。

「目の前に、その生き残りがいたら、あなたはどうしますか?」

 私は仮面を外す。

「私は天海由紀子。不幸ながら生き残った娘です」

 本来の名前を告げ、優しく微笑みかける。

「そうか。君があの……」

 生き残りがいたことに、そしてその生き残りに拉致され、拘束されているという状況に絶望したのか、グラハムは乾いた笑い声をあげる。

「さて、洗いざらい吐いてもらいますわよ。あの日の……ことを!」

 グラハムの白髪を引っ張り、睨みつける。

「知らないことは話せるわけがないでしょう。それに知っていたとしても君に話す舌なんて持ち合わせていない。悪いことは言わない。私を解放するのだ。今なら見過ごしてやろう」

「そうですか」

 案の定、グラハムは白を切り、口を割らない。初めからそういう態度を取ることはわかっていた。

 それならばと私は足元に置いてある工具箱の中から、錆び付いたペンチを取り出す。

 それを見た瞬間、グラハムの顔が一瞬で青褪める。

「お、おい! 待て!」

 これから起こることを察した、グラハムは体を激しく揺らし、拘束を解こうと藻掻く。しかし、結束バンドで縛られた四肢は決して解けることはない。

 私は今からこの手を血で染める。一度、染めてしまえば二度と色は落ちないでしょう。

 グラハムの要求をのめば、もしかすればいつもの空っぽの日常に戻れるでしょうか。いや、戻れない。仇の娘と知ったからには様々な手段を使って杏奈との仲を引き裂こうとするだろう。

 それにグラハムが約束を守る保証なんてどこにもありはしません。

背後にかかっていた橋は既に崩れ落ちている。

 もう、私は普通には戻れない。

 私はペンチを開き、グラハムの右親指の爪を掴む。そして、ゆっくりと痛みを味わわせるように爪を剥がしていく。

「あ、がぁぁあ!」

 とんでもない痛みとショックで静寂だった部屋にグラハムの絶叫が響く。 

 爪と指が完全に離れ、剥がれた爪が床に落ちる。爪があった部分から大量の血が流れている。

「痛いですか?」

 落ちた爪を拾い上げ、それをグラハムに見せつけながら問いかける。グラハムは白目を剥きながら、ゆっくりと頷く。

「なら、わかりますよね?」

「それは……」

 痛い目にあっても尚口を割ろうとしない。余程、忠誠心が厚いのか、それとも本当に知らないのか。しかし、後者なら初めに必死の形相で否定する筈だ。

 なら、口を割るまで続けるしかないとまたペンチで爪を剥がす。

 右人差し指の爪から順に中指、薬指、小指と剥いでいく。剥がす度にグラハムの耳障りな絶叫が静寂に響く。

 きっと殺された家族も同じように悲鳴を上げたのだろうか。そう思うと、より憎しみが深くなる。

「わかった……いうふぐぅ!」

 右手の爪が全て剥がされ、グラハムの足元には血だまりができていた。

 やっと私が脅しなどではなく、本当にやりかねないと知ったグラハムはか細い声で真実を語ろうと口を開く。

 しかし、それは言わせまいとグラハムの口をその辺に落ちていた泥まみれの手拭いで塞ぐ。

「頑なに口を割らないのなら仕方ありませんね」

 真実を吐かせようと拷問したはずなのに、急に真実を語らせまいと口を塞ぐという矛盾した行動にグラハムは目を見開き、私を睨む。まるで悪魔を見ているかのような瞳だ。

 正直、片方の爪を剥いだくらいで話す真実など信憑性に欠ける。恐らく、嘘を交えることは明白。本当のことを話させるためにも徹底的に追い込んで、苦しめて、最後に甘い蜜を目の前に滴らせる必要がある。

 それに個人的に苦しめたかった。

 そうして、私は残る左手の爪をゆっくりと剥がす。

 それでも飽き足らず、足の爪も剥ぐ。

 爪を剥ぐ度に私の心にある何かが粉々に砕け落ちていくような感じがする。爪を剥ぐことに恐怖も何も感じなくなり、終いには包装に使うプチプチを潰すような作業感で爪を剥いでいました。

「もし、私の望む情報を話してくれるのなら解放してあげてもいいですが」

 全ての爪を剥がし終えると口枷代わりの手拭を外し、私はグラハムの前に美味しい餌をぶら下げる。

 拷問前のグラハムなら決して釣られることはなかったでしょう。しかし、痛みと精神的苦痛によってまともな理性を失ったグラハムは勢いよく餌に食らいついた。

「そうだ! 君の家族を殺したのは我々だ!」

「やはり……」

 私は黙ってグラハムの暴露に耳を傾ける。

「会長の差し金だった! 天海はどんな好条件の要求を出しても全くのまない。天海さえどうにかすれば事業を展開できる。だから……」

「それで……殺したと」

 歯を食いしばる。自己の利益の為に他人の命を平気で奪った。そして、私の人生を粉々に砕いた。

 許せない。憎い。殺したい。

「誰が殺したのよ! あなただけじゃないのはわかってる! 複数犯なんでしょ!」

 怒りに身を任せ、グラハムの胸倉を掴み、持ち上げる。

 そして、グラハムの激しく上下に揺らす。椅子が大きな音を立てて倒れる。

「それは……」

「言わないのなら!」

 私はグラハムを思い切り床に叩きつける。

 倒れたグラハムに馬乗りになって、苦痛で歪んだ顔面を何度も殴る。

 鼻は折れ、鼻血が止めどなく流れる。頬は腫れ、歯が砕かれ、口から血が流れている。

「私含めて、三人だ!」

「なら、残りの二人は誰なのですか!」

「リカルドという男とジュリアという女だ!」

「そうですか……」

「真実を言った! だから解放してくれ!」

 頭の中にずっと掛かっていた濃霧が晴れ、すうっと透き通るような開放感が心地よい。

 復讐すべき相手が見つかり、先が見えた。

 先が見たのなら私はそこに向かうしかない。

 そもそも、こんな拷問を行ったのだからもう、後戻りはできない。

「ありがとう。これでやっも吹っ切れた」

 あの日から失われた心からの笑みを浮かべる。

 そして、床に落としていたペンチを拾い、戸惑うことなくグラハムの舌を挟む。

「ひゃっ! ひゃめるぉ!」

「怯えなくていいよ。ただあなたが始めに言った通り、話す舌を引っこ抜くだけだから」

「ひゃっひゃいほうしゅると!」

「解放? そうよ。そんな肥えた肉体から魂を解放すると」

 理不尽な屁理屈にグラハムの瞳に涙を浮かべ、死にたくないと必死に藻掻く。

「聡明なあなたならわかっていたよね。もう助からないことくらい」

 解放すれば警察に駆け込むか、もしくは組織に助けを求めるに決まっている。そうなれば私が返り討ちに遭うだけ。

 何より、グラハムは私の家族を殺した張本人。彼を殺すことで私の復讐が幕を上げる。

 だから、殺すしかない。復讐を果たして、証拠を隠滅する。私にはもう、後戻りはできない。

「では、さよなら。Mrグラハム。地獄でまたお会いしましょう」

 私はこれ以上にない屈託のない笑みを浮かべる。

「しゃ、しゃいごひひはせてくへぇ!」

「……何でしょうか?」

 最後にグラハムは何か言いたそうに口を動かす。

 せめて、辞世の句くらいは読ませてもいいかと思い、私はゆっくりとペンチを離す。

「どうして、私が怪しいと思った?」

「……現場にあなたのブレスレットの欠片が落ちていました」

 すると、グラハムは愛おしそうにブレスレットを見つめながら「そうか」と呟き、天井を見る。

 虚ろな瞳には涙が溜まっていた。

「杏奈様のプレゼントを大切にしなかったあまりに、甘かった故に私は死ぬ」

 グラハムは乾いた笑い声を上げる。

 まるで自分の愚かさを嘲笑うかのように。

「杏奈様。あなただけはどうか……お幸せに……」

 そして、グラハムは満足そうな笑みを浮かべて、舌を出す。

 私は戸惑うことなく、ペンチで舌を挟み、勢いよく舌を引っこ抜いた。

 口から大量の血が吹き出る。想像しがたい痛みと苦しみ故に悲鳴をあげることもできず、グラハムは苦しそうに喉を掻きむしり、痛々しい傷を作り、そのまま白目を剥いて、息絶えた。

 無残に横たわる死体を見下ろし、私は高笑いをあげる。

 これで私の復讐がようやく始まった。

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