15:クリーンヒットです

「頼む、兄貴。園田さんをこのまま0号館に住ませてあげてくれ」

「お願いします。私にできることがあれば何でもします」

 0号館の絶対君主たる総司の部屋で、菜乃花は千影に続いて深く頭を下げた。


「……。千影がおれに頼みごとをするなんてねえ……」

 パソコンの前に置かれた立派な椅子に足を組んで座り、総司は切れ長の目を細めた。


「そんなに園田さんのこと気に入ってるんだ?」

「ああ。大事な友人だと思ってる」

 千影の返答には迷いがなかった。

 友人の前に『大事な』という形容がついたことが嬉しくて、胸の内に小さな明かりが灯ったかのようだ。


「友人、ね。言いたいことはわかったから顔を上げなよ、二人とも」

 恐る恐る顔を上げる。

 ここに来るまでに菜乃花が泣いたことは顔を見た瞬間にわかっただろう。

 泣き腫らした顔を見られるのは少々恥ずかしい。


 それでも、総司は同情の片鱗すら見せず、報告書でも読み上げるような口調で言った。


「知ってるとは思うけど、まず前提として一般庶民に0号館に住む資格はない。ここは上流階級の子女だけが住める特別な場所で、普通なら希望を出しても審査で弾かれる。園田さんはあくまで特例だ。千影が怪我をさせてしまったから、理事長や先生方に頼み込んで、期間限定という条件付きで特別に許可を得たんだよ。4号館に戻りたくないのは園田さんの個人的な理由だろ? おれに面倒を見る義理はない」


 返す言葉がなかった。

 普段は総司をからかって楽しんでいる要も、いまばかりは壁際に控えて何も言わない。


 従者としての立場をわきまえ、ただの置物としてそこにいる。


「なんでもするっていうけどさ。君にできることは誰にだってできるんだよ。おれにとって君は必要ない。なるほど君は千影の友人なのかもしれない。でも、だから何? 君を住まわせることでおれに何のメリットがある?」


 総司は笑っても怒ってもいない。

 ただひたすら静かな目が、平坦な口調が、容赦なく菜乃花を追い詰める。


「有用性を示してみせてよ。それが無理なら却下。話は終わりだ」


 興味を失くした玩具を放るように、総司が手を振る。

 菜乃花は何も言えず、ただ立ち尽くした。


 雨の音が、空しく部屋に響いている。


(……やっぱりダメだよね。そりゃそうだよね……)

 唇を噛んで俯く。


 なんでもするとまで言っても必要ないと切り捨てられたのだから、これ以上は時間の無駄だ。

 交渉の余地などない。

 菜乃花には4号館に戻る未来しかありえない。

 結局、ここまで来ても、それを痛感させられただけだった。


(……諦めよう)

 菜乃花は腹を括った。

 胸の中では膨大な感情が渦巻いているが、自分自身で処理するしかない。

 元より、菜乃花の感情など総司には関係ないのだから。


「……わかりま――」

「兄貴」

 菜乃花の台詞を遮って、千影が総司に呼びかけた。


「俺、数学の抜き打ちテストで20点だった」

「……悲惨だね」

 総司は憐れむような目で弟を見た。


「ああ。100点が当然の兄貴にとっては悲惨でしかないだろうけど、前のテストじゃ9点だったんだ。これでも倍以上の点数だったんだよ。そしてそれを、園田さんは凄いって褒めてくれた。20点取れたのは園田さんのおかげなんだ」

 千影は菜乃花に顔を向けてから、再び総司に目を戻した。


「俺は毎日園田さんに勉強を教えてもらってる。中間は赤点を三つも取ってしまったけど、期末は頑張ろうと思ってる。そのためにも、園田さんがいなくなったら困るんだ」

「千影が園田さんに勉強を教わってるのは知ってるよ。で?」

 問い詰める総司の視線は氷のように冷ややかだ。


「怪我が治っても家庭教師として引き続き園田さんを0号館に住まわせたい。だからおれに矢面に立て、園田さんの寮費その他一切を負担しろと?」

「ああ。兄貴ならできる。多少の無理でも通せるだろ?」

「はっ。なんでおれがお前のためにわざわざそんなこと――」


 あくまで優位の姿勢を崩すことなく、鼻で笑った総司だが――


「お願い、おにーちゃん」

 千影が胸の前で両手を組み、棒読みでそう言った瞬間、


「…………っ!!」

 総司はクリーンヒットを喰らったかのように仰け反った。


(あ、いまの台詞、多分『スウィート・マイ・ガール』の妹尾せのおねねこの真似だ)

 妹キャラとして、ねねこはプレイヤーを「おにーちゃん」と慕うのだ。


「ちょ、な、いきなり何……っ、誰に吹き込まれた!? 要か!? 大河か!?」

 頬を紅潮させて狼狽する総司に、千影は畳みかけた。


「頼れるのは兄貴しかいないんだ。お願い」

 繰り返す千影の口調は相変わらず背筋が寒くなるような棒読みだったが、総司の心を鷲掴みにするには十分だったらしい。


「………………」

 総司は背もたれに背中を預け、そのままずるずると滑り落ち、椅子の手すりに縋りついて俯き、全身を震わせた。


「……天使が過ぎる……っ」

 ……何やら噛みしめているようだ。


「……ふう。俺、頑張った」

 一仕事を終えたかのように千影は腕で額の汗を拭うふりをして、くるりと振り返り、要に向かって親指を立てた。

 壁際に立つ要は澄まし顔を崩さなかったものの、こっそり親指を立てて応じた。


(ああ、近衛先輩に吹き込まれたのね)

 いざとなったら使えと要に言われたのだろう。

 文字通りの必殺技だ。

 そしてそれは実際、ブラコンの兄によく効いた。


「……ふん」

 どうにか兄としての威厳をかき集めたらしく、軟体動物のようにへにゃへにゃだった総司が復活し、起き上がった。


「まあ確かに? 不出来な弟に赤点を連発されたら兄として恥ずかしいし? お兄ちゃんとまで言われたら……あーもうしょーがないなー。おれは千影のことなんてどうでもいいんだけどー、頼み込まれたらねー?」

 総司はやけに嬉しそうな、間延びした語尾で言って、短い髪の先端を弄った。


(緩んでる!! お兄さん!! 口元が緩んでますよ!?)

 キャラが崩壊していることを自覚したのか、総司は咳払いした。


「……わかった。叔父さんたちにはおれから言っといてやるよ」

「ありがとう、兄貴。恩に着る」

 千影はぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございます!」

 菜乃花も深々と頭を下げた。

 他ならぬ自分のことなのだから、千影よりも深く感謝しなければいけない。


(やった……私、これからも0号館に住めるんだ!!)

 全て千影のおかげである。

 千影には抱き着いて感謝を述べたいくらいだ。


「本当に、本当にありがとうございます……!! 私、千影くんの家庭教師として、これからも頑張ります!!」

「ああ。もし実力テストで千影が赤点取ったら解雇するから」

「えっ」

 びっくりして、菜乃花は顔を上げた。


「園田さんを失いたくないなら頑張れよ? 千影も」

 総司はにっこり笑った。

 本気の目である。


「……が、頑張ります」

「俺も……」

 責任重大だと思ったのか、千影は神妙な面持ちで顎を引いた。


「ならいい。園田さんと二人で話をしたいから、千影は先に帰れ」

「……わかった」

 心配そうな顔をしつつも、千影は兄の指示通りに部屋を出て行った。


 扉の閉まる音がする。

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