第一話 母親という生き物(2)

 おれのそんな子供じみた弁明に、永久とわはチッと舌を打つ。


「いーかミコト。世の中にはな、どんな理由があったにしろ、やっていーことと悪いことがあんだよ」

「いや、だってあいつ、入院患者にセクハラしまくってたんだぞ。百歩譲ってそれはいーとしても、そのせいで院内の空気が重かったからちょっと見るに見かねてだな――」

「よくやったミコト。女の敵に生きる価値はねー。おまえはあたしの誇りだ」

「前言はどこいった……」

「生きる価値のねーセクハラヤローにはちゃんとトドメを刺したんだろーな?」

「刺してねーよ……。まぁ社会的には死んだかもしれねーけど」

「かーっ! 情けねー野郎だな。ちゃんと物理的に刺さなきゃダメだろ。おとことしてその一歩を踏み込めねーでどーすんだ」

「人として踏み込んじゃいけねー一歩いっぽなんだよそれは!」


 息子に何教えてんだこの女は……。

 呆れて嘆息するおれだが、しかし永久はさも自分のほうが正しいとでもいうかのように続ける。


「ったく、おめーはそんなんだから身長伸びねーんだよ」

「それは何の因果関係もねーよな! ……いーか母親よ、世の中にはな、どんな理由があってもやっていーことと悪いことがあんだよ」

「知るかんなもんクソ食らえ。漢ならてめーの正義を貫け」

「物理的にトドメを刺すことは正義じゃねーし、マジで最初の綺麗言はどこいった!?」


 こいつ記憶力ねーのか!?

 ついさっき自分の口から出たセリフだよな!?

 これだからブーメランが効かねーヤツってのは嫌なんだ!

 ブーメランが返ってきてもそれが自分の投げたもんだっていう記憶もねーもんだから、『何これ?』みてーに首を傾げながら難なくキャッチするかスルーしやがる!

 ……はぁ。 

 息子を振り回す母親の言動に、おれの口からは自然と深い溜め息がこぼれ出た。

 先ほどから話の俎上そじょうに上っている今回のおれのは、ここ最近、この病院内で持ち上がっていたちょっとした……いや、それなりに厄介な問題に端を発するものだった。

 最初の内は頑張ってスルースキルを発揮していたのだが、それにも限界がを感じたおれが首を突っ込んじまったわけだ。

 その際に少なからず無茶をやらかしたせいで入院期間が延びてしまったのだが、後悔はしていない。もちろん反省もしていない。

 そもそも今回のおれの入院、きっかけがきっかけでもある。


「しかしホント、大人しくしてられねー息子だな。あんまテメーの身体を蔑ろにするよーならチューすんぞコラ」

「やめろ! 今回から大部屋なんだよ! 人の目があんだろーが!」

「お? 人目がなけりゃいーってことか? 息子が母の愛を素直に受け入れてくれるようになったようでマザーは嬉しーぜ。退院したらしっぽりヤろーな?」

「ちげーよ! 勘違いされるよーな発言を慎めっつってんだ! 大体、何で今回おれが入院するハメになったのか覚えてねーのかおめーは!」

「あたしとの愛の営みでてめーのやわな心臓に負担が掛かったからだろ?」

「覚えてんじゃねーか! 何でまた同じ過ちを繰り返そーとしてんだ!」

「息子を愛しているからだ」


 ……くそ、こいつはこんな事をさも当たり前のように口にしやがるから反応に困る。

 ったく、母親ってのはみんなこんなんなのかね。


「愛さえあれば母親でも問題ねーよな?」


 と思ったら母親視点の発言じゃなかった!?


「ねーわけねーだろ! つーか愛してんならもうちょっと自重してほしーんだけどな!?」


 なんかもう、これは一種のヤンデレに認定していーんじゃねーかな。


「まぁまぁそんなに心配すんなって。てめーはあたしの息子なんだ。息子のことはあたしが一番よく知ってる。今も一回戦くらいはイケる余裕があるはずだ」

「だーかーら! その見立てが間違ってたから今おれは入院してんだろっつーの!」

「違うな! 間違っているぞミコトきゅん!」

「悪逆皇帝みてーな言い方すんな! でもしょうがねーから訊いてやる! 何がだ!?」

「あたしが間違えたのは見立てじゃねー。加減だ」

「どっちにしろダメなんだよ! あと何でちょっと胸張ってんだ!」

「安心しろよ。今度はミスしねー」


 息子の拒絶など知ったことかとついにパイプ椅子から立ち上がった永久とわは、犬歯じみた八重歯を剥き出しにして口の端をつり上げ、両手の手指をわきわきさせながら腰を低く落とした。そして僅かに左右に体重移動を繰り返しながらゆらゆらとその身体を揺らし始める。

 わきわきと忙しなくうごめくその手指を除けば、まるで今にも飛び掛からんとするレスリングの構え。


「まぁ、ちーっとばかし揉んで舐めてチューして跡つけて晒すだけだからな。何の問題もねーだろ」

「なくねーよ! 学校で変に注目されんだよ!」

「強がって要らん心配すんなって。どーせ友達なんていねーんだから注目するヤツもいねーだろ? 絶望的だよなー。新年度が始まるこの時期に入院なんざ、ミコトきゅんは中学最後の一年も友達零人で過ごすことになるわけだ、ハッハァ!!」

「ハッハァ!! じゃねーんだよ! 言ってて悲しくならねーのか!? てめーの息子に友達がいねーって!」

「全然? おまえにはあたしがいる。百歩譲って美夜もいる」


 即答だった。

 ……あーもう、こうやってたまにグッと来ること言いやがるから始末に困るんだよな……。

 あとなんで父さんを除外してんだ。


「だからおまえが学校でどんな思いをしよーとあたしには関係ねー。むしろ辛い目に遭えば遭うほどいい。そんでブレイクハートで帰宅したおまえとこんな展開になるんだ。『ママ、ボク今日学校でこんなことがあってね、とても辛い思いをしたんだ……』『それは大変だったねミコトきゅん。ママの胸の中に飛び込んでおいて。その心の傷は全部ママが癒してあげるからね』」

「打算かよクソが!」


 グッと来て損したわ!

 相変わらず素直に尊敬させてくれねー母親だなこいつは!

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