第四三話 ツケと清算(2)

「音痴が軽音部なんて再建して、上手くやっていけると思ってる?」

「なんでおまえが、それを知ってんだよ」


 日和沢の歌唱力のことなんて、こいつに話した覚えはない。


「合唱部の生徒が話しているのを聞いた」


 なるほど、そういうことか。

 日和沢が軽音部を再建しようとしていることは、部員募集を目的としたビラ配りによってほぼ全校生徒に広まっている。その日和沢が極度の音痴であることは、日和沢が仮入部を兼ねてその歌唱力を晒した合唱部によって流布されているだろうことは至って当然の流れだ。だって人間だも……こほん。人の口に戸は立てられないからな。

 美夜は姉としての顔と生徒会長としての顔をない交ぜにしたような面持ちで、尚も言い募る。


「軽音部は去年に問題も起こしてる。続けていくのは難しい」

「わかってんだよそんなことは。日和沢もな。けど、あいつはそれでも責任持つって決めたんだ。外野が口出しするよーなことじゃねーだろ」

「そんな単純な問題じゃない。本人たちが実害をこうむるだけじゃ済まない場合も考えられる」

「周囲に迷惑を掛ける、か?」


 わかっている。そんなことは何度も熟考した。

 この瀬木せぎ高校の軽音部のことを快く思っていない人間は、学校の内外を問わず未だに存在する。それは先日の他校との暴力沙汰で身に染みてわかったし、風潮だけで因縁をつけてくるような無関係な輩もいるだろうことは予想できる。

 もしもこちらが一方的に因縁をつけられて暴力沙汰に発展し、仮に無抵抗を通した問題だとしても、その鎮静化にいくつもの関係各所が奔走することになる。

 規模にもよるだろーけど、生徒会と学校側は外せないだろーな。保護者や警察にまでその手は及ぶかもしれない。

 けど、だからなんだっていうんだ。


「迷惑なんて掛けて当たり前だろ。誰だって誰かに迷惑掛けて生きてんだ。普通に生きてたらそんな自覚なかなか芽生えねーだろーけどな」


 物心つく前からほぼ常に迷惑を掛けてきたおれがいい例だ。極端な例ではあるし、稀有けうな例でもあるけれど。


「掛けずに済む迷惑は生まないに越したことはない。その問題の芽は早めに摘むべき」


 文句のつけようがないほどの正論だ。

 そんなものがこの姉の口から出ていることに違和感を覚えるけれど、それもきっと、一つの考えの下に帰結するんだろう。


「何か問題が起きた時、ミコトに害が及ぶかもしれない案件にミコトをかかずらわせるわけにはいかない。自分で自分が傷つく種を撒くのはやめてほしい」


 自ずと嘆息が漏れる。

 何よりもおれを優先順位のトップに据え、それを脅かすものがある場合にはそれを切り捨て、排除する。

 弟ファーストな考え方。


「別に軽音部に入るわけじゃねーって言っただろ。おれは日和沢に軽音部再建のために手を貸してるだけだし、ちょっと背中を押してやってるだけだ」

「それでもミコトに危害が及ぶ可能性はゼロじゃない」

「そのパーセンテージはいくつだよ……」

 

 少しでも危険性を孕んでいるのなら、その芽は摘み取る。刈り取る。

 まるで重箱の隅をつつくようなリスク管理。

 そうやって自分だけ甘やかされて、甘やかされた自分のせいでないがしろにされる存在があるなんて、気分が悪いことこの上ない。

 おれの全身には微弱な電流を流されているかのような不快感がついて離れず、それはついに臨界点を越えた。


「あのな、あんな問題を起こすかもしれない、こんな問題を起こすかもしれないっつって何もかも未然に禁止してたら、そのうち何もできなくなっちまうだろーが。大体、何でおまえは絶対に何か問題起こすって決めつけてんだ。そーならないよーに尽力していけば何事もなく上手くやっていけるかもしれねーだろ!」


 さっきから、ずっとそれが気に入らなかった。

 問題を起こさないように尽くす。仮にトラブルが起こってしまったとしても周りがそれをフォローする。

 なんでそれを許容しない?

 

「日和沢は何も悪いことなんてしてねーだろ。その夢や希望や成長の芽を摘み取るようなマネしてんじゃねーよ……」


 頭を抱える。

 他者の行く道を塞ぎ、敷いたレールの上を生きることしか認めないような狭量な管理体制に。


「部活動は集団活動。部員とまとめられなければみんな勝手な行動を取る。あんな音痴の言うことに耳を貸す軽音部員がいるの?」


 この朴念人に悪気がないことは長年の付き合いでわかっている。しゃくに障るこの物言いも天然だ。しかし、そのせいでこちらの冷静さを欠き取られ、調子を狂わされることも事実。

 おれは静かに深呼吸をして、平静の維持を心掛ける。


「そんなもん、あいつじゃなくたって同じことだろ。そんなマイナス要素一つで決まることじゃねー」


 そもそも、部員をまとめるのがあいつじゃなきゃいけないわけでもない。やる気や資質という点であいつ以上の適任者がいれば、別にそいつでもいいのだから。


「仮に問題を起こさなくても、トラブルに巻き込まれるようなことがなかったとしても、そんな軽音部が何かを成し遂げられるとは思えない。だったら、最初から無駄に希望なんて与えないほうがいい。無意味」

「それを言うなら、おれが生きよーとすんのも無意味なことなのか?」


 途端、美夜からの反論が止んだ。

 虚を突かれたように目を見開き、おれの眼を真っ直ぐに見返してくる。いや、その瞳はおれに焦点が合っているように見えてそのじつ、合っていないようにも見えた。見落としていたものが視界に飛び込んできて困惑しているような、そんなふうに不規則に揺れる瞳。



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