第82話 決着のネレウス

 ネレウスは吠えながら、戦場を駆け回る。

 全身から放つ冷気が、王国全土を包み込もうとする。

 これをギリギリで押し止めるのはギスカの魔法だ。


「オーギュスト! このバカ道化師! 鉱石は無限じゃないんだからね! 持たなくなるよ!」


 動くネレウスを、常に肉薄しながら打撃を加えるのはジェダ。

 牡牛になり、大鷲になり、リンクスになり、その姿を変幻自在に変えながら、大地から空から、あるいは巨体に張り付いて攻撃を加える。


 ジェダの連続変身を見事にコントロールするフリッカ。

 彼女の叩きつける鞭の音がリズムを刻んでいるのだ。


 ネレウスの動く先にたまたま待ち構えているのがイングリド。

 両手を使って魔槍を操作し、巨体の突進をいなし、あるいは振り回す柄で強烈な一撃を叩き込む。


 素晴らしい!

 ラッキークラウンが全員でこのステージを作り上げている。


 僭越ながら、この道化師がショーの終わりを演出するとしよう。

 ネレウスの背の上でバランスを取りながら、剣を振る。


 刃が彼の鱗を削り取り、肉に突き刺さる。

 ネレウスが咆哮をあげながら、翼を俺に叩きつけてくる。


「おっと!」


 これを後方宙返りで回避。

 着地したところで、ネレウスの巨体が激しく回転した。

 回転の逆方向に向かって、俺は小走りに駆けながら翼に斬りつける。


 さらに暴れるネレウス。

 石畳を踏み砕き、巨体が跳ね上がる。


 この動きには逆らわず、宙を舞いながら回転する俺。

 そのまま剣を振り回す。


 さすがは魔剣、ネレウスの鱗や翼を見事に切り裂いてくれる。

 着地と同時に、ネレウスの頭をめがけて走り出す。


『落ちろ! 落ちろ! なぜ落ちない! どうしてお前を振り落とすことができない!』


「簡単な理由だよ! 暴れ馬を御すこともまた、道化師が身につける基本の一つだからだ! 俺は道化師がやることは一通り、超一流の腕前で身につけていてね!」


『あくまで私の背中から降りないならば、望み通りそこで凍りつかせてやろう!!』


 背中から吹き出す冷気のブレス。

 なるほど、これは無詠唱による魔法の行使と同じ原理なのか!


 さて、一見して全く逃げ場が無いように見えるネレウスの背中だが……。

 彼が背中に注目してしまっていることが盲点となる。


「つまり!」


 俺は彼の背を蹴って飛び上がり、ナイフを抜いて翼に突き立てた。


『なんと!?』


 翼を足場として冷気をやり過ごす。

 そして抜いたナイフを、ぽいぽいとネレウスの頭部めがけて投げつけた。

 ダメージなど期待してはいない。


 いやがらせだ。

 

『うぬっ!』


 よし、止まった。

 それにネレウスは、俺だけに注目している余裕は無い。

 

 ジェダがすぐ近くから顔を出し、「よう、やってるな」とリンクスとなった顔を器用に笑みの形にする。


「まあね。そろそろ決着をつけるつもりだ」


「おう、任せるぜ。俺も想定外のでかさだ、こいつは……っと!!」


 ジェダが振り落とされた。

 だが、ネレウスは前に進めない。

 イングリドが眼前で魔槍を振り回し、ネレウスの動きを妨げているからだ。


 俺がちまちまと戦っている理由が一つある。

 この姿を、彼に見せたいからだ。

 彼は……キュータイ三世は見に来てくれているだろうか?


 僅かな隙を見つけて、ぐるりと周囲を見回す。

 すると……痩せて日焼けしたものの、どこかあの頃の面影を残す笑顔があった。


 人混みの中、野良着を身に着けた彼が、俺を見ている。


「オーギュスト!」


 彼の声援が聞こえた。

 俺は頷き、大きく手を振る。


『余裕か! 私を馬鹿にするなぁぁぁぁっ!!』


 叫ぶネレウス。

 その全身が震え、今までで最大のブレスが吐き出されようとする。


「もう持たないよ、オーギュスト!!」


 ギスカが鉱石の在庫切れを宣言する。


「ありがとう! 無理をさせた!」


 吐き出される冷気の中を、俺は走り出した。

 一瞬だが、バルログの権能を使う。


 俺の全身から、炎が渦巻いた。

 それが冷気のブレスを真っ向から相殺する。


 俺のとっておきのかくし芸だが……これは一日に一度しか使えない。

 つまり、今こそ使い所というわけだ。


『なんだと!? その炎はバルログの……!』


 ただし、一日一度だけ、完全なるバルログの炎が使えるわけだ。

 全ての冷気を打ち消し、戦場の温度が一気に十度は上がる。


 驚愕するネレウスの頭上に俺は飛び上がりつつ、魔剣を振りかぶった。


「これにて、決着!」


 浴びせるのは、眉間への一撃!

 モンスターとなった魔族の額が割れ、深々と剣が突き刺さる。

 そこから漏れ出るのは、断末魔と青い輝き。


 ネレウスは激しく動き回り……その全身が光りに包まれていった。


 この巨体は、彼の魔力によって編まれたものであろう。

 ならば、ネレウスが倒されれば巨体も消えるのが道理。


 足場が消え、俺は砕けた石畳の上に降り立つ。

 ネレウスの姿はどこにもない。


 観客は一瞬静まり返り……続いて、わっと大歓声が巻き起こった。

 おひねりが、ジョッキが、食べ物が宙を舞う。

 誰も彼もが、興奮に頬を紅潮させて叫んでいる。


 魔族は倒された。

 モンスターは倒された。

 ラッキークラウンの勝利である。


 それを誰もが理解したのだ。

 人は、安堵した時、優越感を覚えた時に笑う。

 だからこそ、この笑いは興行の成功を意味するものだった。


 キュータイ三世はニコニコと笑顔をたたえて、拍手している。

 その拍手が伝播し、観客全員の大きな拍手となった。


 フリッカは力が抜けてへたり込み、しかし微笑みを浮かべている。

 ジェダは魔族の姿に戻り、満足げに笑っていた。


 ギスカは赤い鉱石を使い果たし、ため息をつくばかり。

 

 気づけばイングリドが俺の隣にいて、俺とともに観客に礼をしていた。

 君も興行での仕草を覚えてきたなあ……!


 かくして、マールイ王国における世紀の対決は終了。

 大団円となったのである。

 なお……。






 夜のマールイ王国にて。

 城門の外で、俺は金の詰まった袋を手にしていた。

 対面にはネレウスがいる。


「あの状況から脱出してみせるとは……大したものだな!」


「洒落にならない状況だった。お陰で私は、三日ばかり魔力が空っぽで過ごすことになる……。それでも、この報酬と引き替えならば悪くないか」


 ネレウスの頬がゆるんでいる。

 そう、彼は倒された直後、本体だけを遠くへ撃ち出したのである。

 あまりに高速だったので、俺とイングリド以外のだれも気づかなかった。


 ネレウスはこうして生き残り、しかしフリッカの敵討ちは果たされた。

 何もかも丸く収まったわけである。


「ではさようならだな、ネレウス。これだけ金があれば、魔王教団の連中と関わらなくて済むだろう? フリッカのような娘を作らないようにして欲しいね」


「善処しよう。だが、今の私はそれどころではない。この金で、豪遊しなくてはならないのだからな。そして傷を癒やさねば」


 ネレウスは真面目くさった顔で言った。


「安心しろ。私はあと十年は静かにしている。それだけの金をもらったからな。それに、何か騒ぎを起こしてお前と戦うことになるのはまっぴらだ。人間の道具とスキルを使いこなし、頭と口が猛烈に回るバルログなんて、オリジナルよりたちが悪い!」


「過分なお褒めの言葉だね。どこかで俺の祖先に会えたなら、伝えてくれるとありがたいね」


 俺は一礼してみせた。

 ネレウスが鼻を鳴らす。


 そして、魔族は去っていった。

 マールイ王国は、お祭り騒ぎの只中だ。

 城下町は不夜城の如く、煌々と輝き、人々の歌声が聞こえてくる。


 さて、俺も一杯引っ掛けるとしよう。

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