第72話 野菜畑のキュータイ三世
マールイ城の形は、中庭をぐるりと囲む円形である。
その一部分が欠けており、中庭は外庭と繋がっている。
中庭の大半は、かつて美しく造園されていたが、今や全てが引き抜かれて無くなっている。
代わりにあるのは、むき出しになった黒い土と、植えられた背の低い植物。
これらをせっせと手入れするのが、随分小さくなったキュータイ三世であった。
畑となった中庭は、作りこそ粗末なものの、それこそがキュータイ三世の手によって生み出されたのだろうと想像させる事になっている。
たった一人で、中庭を野菜畑にしたのか。
実りが早い作物は、既に実をつけている。
小さなトマトだとか、こぶりな人参だとか。
収穫された跡もある。
「ガルフスか? 暇だったら水を汲んでおいてくれ。余があとで水やりする」
それは、俺が久方ぶりに聞く国王の声だった。
そう言えば長い間、彼の声を聞いていなかった気がする。
俺は桶に水を汲むと、キュータイ三世の近くに置いた。
「こちらでよろしいですかな、陛下」
俺が声をかけると、ピタリと彼の動きが止まる。
そして、ゆっくりと振り返った。
そこにあったのは、肥満で膨れた顔ではなく、肉が落ちて小麦色に日焼けした男の顔である。
髭はあまり手入れされておらず、伸びすぎない程度に雑に切られている。
これも自分でやったのだろう。
キュータイ三世の目が驚きに見開かれた。
「オーギュスト……? オーギュストなのか」
「いかにも、オーギュストにございます。お久しゅうございますな、陛下」
「ああ、ああ。久しぶりだ。随分長いこと会ってなかった気がする……。今日はどうしたんだ。余の畑を手伝いに来てくれたのか」
「そうですな。このオーギュスト、畑作に関連したスキルも持っております。手をお貸ししましょう」
かくして、かつての主君と肩を並べて野菜畑の手入れをするという、不思議な状況になった。
キュータイ三世は実に楽しそうに、雑草を引き抜き、水をやり、自ら水を汲み、働く。
自ら動くとは言うものの、政治をするわけでもなく、畑を耕す王というものは愚王であろう。
キュータイ三世が有能な王ではないという事実に変わりはない。
彼には政治の才能がなかったのだ。
いや、それどころか、彼には何の才能もなかった。
幼い頃の彼を知っているからこそ、俺には分かる。
ありとあらゆる家庭教師に学び、しかし何一つものにならなかったキュータイ三世は、絶望してしまったのだ。
そして彼は何もしなくなった。
そのまま、妻を迎えることすら無く月日が過ぎ、余計なことは何もしないお飾りの王ゆえに、排除されることもなく、ただ玉座に鎮座する日々を過ごしていたのだ。
「陛下、どうして畑を作られることにしたのですか?」
「ああ。余が自分から何かをするなんて、十何年ぶりだものな。余はなあ、誰も世話をしてくれなくなってなあ。お前もいなくなって、無聊を慰めるものもなくなったなあ。本当に何も無くなったのだ。それでな。父上が残した本を読むことにした。本は面白かったのだな。今までは読んでもらうばかりで、途中で寝てしまっていたが、自分で読む本は面白い」
キュータイ三世は水やりを終えると、畑の畦に座り込んだ。
タオルで汗を拭いながら、楽しそうに話す。
「寝食も忘れて本を読んだ。そうしたらな、家庭菜園というのを知ったのだ。何もやることがなかったから、余はそれをやってみようと思った。余はな、何も作ったことがないのだ。だけど、そんな余でも作れる気がしたのだ。本の通りに頑張った。腰も、体も、あちこち痛くなった。だけど、他にやることがないから頑張ったのだ。野菜の種は城を辞めていく者が余にくれた。これを育てて、育ててな」
彼は畑を隅から隅まで、ぐるりと指差してみせた。
「ついにはこんなに大きくなった。見たか、オーギュスト! 余もな。余も、できることがあったのだ! 余は、畑を作れたのだ!」
俺は不覚ながら、ちょっとジーンと来てしまった。
俺がいる間は、彼が感じていたであろう無力感を癒やすことはできなかった。
それは全て、俺が何もかもやってあげてしまっていたからかも知れない。
一人になって、孤独に放り出されたキュータイ三世は、やっと自らの足で歩き始めたのである。
キュータイ三世は、低木に実った果実をもぐと、俺に差し出した。
トマトの一種であろう。
「余が種から育てたトマトだ。食べてみよ」
野菜の区別もつくように……。
勉強されたのだろう。
「いただきます」
齧ってみる。
糖度は低く、青臭く、少々えぐみがある。
だが、立派にトマトだ。
「あまり美味くはないだろう。余が今まで食べてた野菜は、本当に凄いものだったのだな」
キュータイ三世はそう言うと、自らもトマトを齧った。
「うむ、不味い! だが、余が育てたトマトだ!」
「陛下の努力の味がしますな。珍味です」
「面白いことを言うやつだな! わっはっはっはっは!」
まだ若干突き出ている腹を揺らして、王は笑った。
その姿に、かつての無力感溢れる彼の面影はない。
小さなことでも、自らの手でやり遂げたキュータイ三世は目の輝きを取り戻していた。
「これは……マールイ王国は、まだまだ捨てたものではないかもしれませんな」
「うん?」
俺の呟きに、陛下は首を傾げた。
「国がひどいことになっているのは知っておる。だが、余は何をどうすればいいのかも分からない」
素直に、彼は告げる。
「オーギュスト。追い出されたお前を助けられなかった余の言葉だ。勝手な話だが、少しだけ助けてくれないか」
「いいでしょう」
俺は頷いた。
俺に向けられる彼の眼差しは、はるか遠い記憶の中にあるそれとよく似ていたからだ。
キュータイ三世は、間違いなく、大恩あるキュータイ一世陛下の子孫であった。
彼になら、力を貸すのは惜しくなかろう。
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