おじさんとめい

クサバノカゲ

黒毛和牛上カルビ

 網のうえでカルビが炙られている。上カルビだ。

 それが並んで五つ。じゅうじゅうと、すてきな音が鼓膜をくすぐる。


「千と千尋の神隠し、みたことあるだろ」

「ないです」


 網を挟んで相対する男と女。年かさの男の問いかけに、女はむげない答えを返した。近くの席の客、とくに男たちがちらちらと彼女の顔を盗み見ている。最初に二人を席に案内した若い男性店員が、用もないのに席の近くをうろうろしては、厨房に引っ込んでいく。

 長い黒髪に穏やかな表情をたたえた彼女は、それら周囲の反応もやむなしと思えるほどの美少女だった。対する白髪まじりの七三に丸眼鏡の男はと言えば、あまりの印象の薄さからなんとなく優しそうと形容するしかないタイプのおじさんである。


「――は? ジブリだぞ?」

「宮崎駿は『紅の豚』と『風立ちぬ』しか見てないです」


 焼けゆく肉を愛おしげに見守る美少女と、その顔を不服げに見つめる普通のおじさん。二人の間に横たわるギャップもまた、他者の興味を引いてしまうのだ。親子だろうか、いやそうは見えない、だとすれば……と。 


「……なぜそのチョイス?」

「おもしろそうだったので見ました」

「ほかは?」

「つまんなそうだったので見てません」


 少女の明瞭さを見習い、早々に答え合わせをしてしまおう。おじさんは、少女の父親の実兄だ。つまり二人は叔父と姪っ子の関係性というわけだ。さらに言うならば、少女の母親はおじさんの高校時代の同級生である。職場で出会った彼女の両親は、兄/同級生という共通の話題をきっかけに急接近したのだとか。何を隠そう、おじさんはキューピッドだった。


「そうか……まあいいや、じゃあ『紅の豚』でもいい」

「はい」

「ポルコ・ロッソは呪いで豚になっていただろう」

「キュートでした」


 小説家志望のおじさんは、週三のアルバイトとnoteの有料記事が収入源だ。先日すこしバズった記事の情報ソースとして、少女の現役女子高生としての声を参考にしたため、その成功報酬が今宵の焼肉なのだった。


「ところでこの店の裏は、ちょっとした林になってるよな?」

「うーん、そんなだった気もします」

「あれな、禁足地なんだ。古来から余人の立ち入りを禁じた、神聖な土地だ」

「初耳です」

「で、その禁足地に入った人間もな、神様の呪いっていうか祟りで家畜の姿に変えられてしまうんだ」

「――まって!」


 熱のこもったおじさんの語りとは対照的に、肉を見守りつつ穏やかな口調で答えていた少女の涼しげな目元、躍動する表情筋によって露わとなる狩猟者の顔。手にした銀のトングを巧みにあやつり、彼女は瞬く間に肉たちを裏返す。非の打ちどころのない薄茶色、絶妙な焼き加減だった。


「あ、どうぞお話つづけてください。呪いで豚さんにされちゃうんでしたっけ?」

「うん……? うんそう、まあ豚とは限らないが。でだ、ここの店じつは、ネットのごく一部に『中高年男性向け新メニュー試食会、参加者募集』なる広告を出してる」

「ごく一部……?」

「そう。まあ、僕のように寂しくてお金のないおっさんの目に留まるよう、WEBの閲覧履歴から最適化しているわけだな」

「たとえばどんな履歴ですか?」


 また穏やかに肉を見守っていた少女の視線が、その一瞬だけ狩猟者の色を帯びておじさんの目を見据え、そしてすぐまた肉に戻る。


「え……いやほら、WEB連載のキン肉マンとかさ、そういうのだよ」

「キン肉マンとは焼肉に関連したなにかですか?」

「うーん、どちらかというと牛丼とプロレスだけど、それはまあどうでもいい。とにかく、そこで集めたおっさんたちにほんの少しの肉を食わせた後、サプライズプレゼントがあるとかなんとか言って、裏口から外に――林の中に連れ出されるんだ」

「えっ、呪われちゃうじゃないですか」

「そう。僕は禁足地のことを知っていたから、トイレに隠れてやりすごしたんだが」


「参加してたんですね」

「取材を兼ねてな」


 そこで少女は右手のトングをステンレス箸に持ち替え、左手には白米の盛られたお椀を構える。おじさんも一拍遅れてそれに倣った。ついに、焼き上がったのだ。


「つまりだ。こいつは、禁足地の祟りで黒毛和牛に変えられたおっさんたちの肉というわけさ」

「えっ、なんかすごくやだ」

「だからきみは食べなくていい。僕がすべて食べてあげよう」


 箸で持ち上げた完璧な薄茶色のお肉を、タレは通さずダイレクトに白米にバウンドさせたところで、少女の動きはぴたりと止まる。


「おじさんが食べたら、それはそれで共食いじゃないですか」

「…………そうかもな」


「じゃあおじさんも食べないほうがいいです」

「……そうかもな」


「でもそれじゃあもったいないから、気にせず食べましょう」

「そうかもな」


「そのほうがきっとおじさんたちも浮かばれます」

「そうだな」


 結論は出た。二人の口の中に、ほぼ同時にお肉が放り込まれ、続いて白米がかきこまれる。肉を味わう、しばしの沈黙。


「おいしいですね、黒毛和牛上カルビ」

「うまいな、黒毛和牛上カルビ」

「もう二皿くらい追加しましょう」

「まあ待て、一皿ずつ確実に仕留めていこう」


 そうしてふたりは暫し焼肉を堪能したのち、レジの女性店員がむやみに肉感的だったせいでおじさんのスネを少女のローファーの爪先がえぐるという軽いアクシデントをはさみつつ、無事に会計を済ませて帰路につく。


「うち、よっていきませんか? 父と母も、ひさびさにお兄さんの顔が見たいって言ってましたよ」


 他愛もない会話がふと途切れ、少女は思い出したように問いかけた。軽自動車のハンドルを握るおじさんの脳裏に、性格以外は自分によく似た弟と、性格もなにもかも助手席の少女にそっくりな義妹の顔が、交互に浮かんで消えた。


「うん……? そうか、そうだな。でも今日はすごくその、筆が乗りそうな気がして」

「おじさんが牛にされちゃうやつ?」

「いや、あれは没ネタだから。もっとおもしろいやつだよ」

「……ならしょうがないですね。わかりました」


 ほどなくして、少女の家族が住む一軒家に到着した。窓からは、やわらかな明かりが漏れている。助手席から歩道に降りたつと彼女は、深々と丁寧なお辞儀をした。呆れるほどにちゃんとしている。きっと、明るい家庭で両親から愛情をたっぷり注がれているのだろう。


「今日はごちそうさまでした。あんまり、根詰めすぎないでね」

「……ああ、おやすみ」


 天使の微笑みをのこして踵を返した、初恋の女性にそっくりな姪っ子の後ろ姿が、ドアの向こうに消えるまで見送って。おじさんは、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。


(おわり)

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