第5話 開戦

 腹を据えねばならない。

 目の前で起きている事は夢でも無ければ幻でもない。まごうこと無き現実。

 臨戦態勢をとる衣笠に対し、九条達は未だにその態勢を整えられていない。

 それを見抜かれたように、衣笠が仕掛けてくる。

 目の前に居た衣笠の姿が音もなく消える。


「跳べ! 詐欺師!」


 同時に九条の悲鳴に似た叫びが聞こえる。

 警告を発した九条は勿論のこと、白鷺も九条が警告する前に後方に跳びのいていた。

 その場所を入れ替わるように、上空から降ってきた衣笠。

 慈悲も容赦も無い必殺の一撃。地面を割る右拳は、その威力を物語るように地を割り、大きな鈍い音。それと同時に亀裂と大きな円形の陥没を作り上げる。

 普通の人間ならば拳が砕けてもおかしくない威力だが、衣笠は平気な様子で再び構えを取る。


 その威力を目の当たりにした二人。

 少しでも避けるのが遅ければ、自身の頭蓋がそれとなっていただろう。

 今の一撃を踏まえて、現状を冷静に分析する九条。


(……速い! 唱喚によって力を増しているとはいえ、想像以上だ。もし、あの男が跳ぶ事無く、最短距離で移動して拳を撃ち込まれていたら、避けれていなかったかもしれない。今の時点で分かる事は身体能力の向上と、あの両拳が武器だということ。接近されれば、悪鬼よりも質が悪い)


 強い。それは間違いない、と九条は確信をする。

 ならばどうするか?

 それは最も単純で簡単な式であり、答えは自ずと導かれる。


 だという事だ。


「あっぶなぁ……なんちゅう威力。これはどうやって対応していこうかな九条ちゃ……ん?」


 意見を求めて九条の方を向く白鷺。そこで目にしたのは、何時の間にか呼び出されていた白い犬の姿が九条の横にあった。

 それがどういう意味なのか、白鷺は直ぐに理解した。それと同時に、この少女がどのような対応をとるのかというのも。


 反面、衣笠の視点では九条の行動は理解不能だった。

 彼女は逃げようともしない。そして、何時の間にか苦手な白犬が彼女の横にいる。

 何処に隠れていたのか分からず、ただ不思議であった。

 侮るなかれ。

 目の前に居るそれは、猛獣よりもたちが悪く、鬼をも凌ぐバケモノだという事を、衣笠は直ぐに身をもって知る事となる。


 静かにそっと目を閉じる九条。

 何度も繰り返された様式美。胸元で九条は印を結んだ。



 ”――――人とあらば、人を斬り。”



 発した九条の悠然たるその言葉は、深くしみわたる音色のように澄んでいた。

 そして、それを耳にした衣笠は当然、驚きを露わにした。


「えっ! まさか……!」


 先程の九条達の焼き直しを見ているかのような反応をする衣笠。



 ”――――鬼とあらば、鬼を斬る。”



 唱喚を前に、衣笠は茫然と立ち尽くす。

 この無防備な時が攻める好機というのは理解できる。だが、それをすることを体が、脳が、拒んだ。

 彼の性格も多少含まれるが、それよりも、最も大きな理由は単純に見惚れていたからだ。

 目の前に居る少女が紡ぐ言葉とその姿。衣笠は無意識に、それに横槍を入れるというのは非礼とさえ感じてしまっていたのだ。



 ”――――悪鬼羅刹の如く”



 全てを紡ぎ、双眸が開かれる。

 犬の姿は打って変わり、力の奔流と化して姿を刀へと変えた。

 愛刀を手にした九条は腰に構える。


「あの、九条ちゃん? 悪人じゃなかったら斬らないんじゃなかった?」

「基本はな。だが、向こうが命を奪いに来ているというのなら、それ相応の覚悟が必要だと言う事を教えてやらねばなるまい」


 そこでようやく我に返る衣笠。

 だが、遅い。

 状況はたった数分という僅かな間で、激変を遂げていた。

 周囲が、空気が、自分に流れる血ですら凍るような寒さを感じる。

 衣笠はをよく知っていた。

 肌に纏わりつく、どす黒い怨念じみたそれが何なのかを。


 死の気配。


 それを強烈に感じていた。

 目の前にいる少女がそれを自分に授ける役目を担っている。

 ただ少女が構えるだけで、これほどの重圧プレッシャーを受けるのは衣笠自身、初めての体験であった。

 優れた衣笠の直感が警告する。

 一歩……いや、半歩踏みこむ事すら許されない。踏み込めば、そこは既に彼女の絶対領域テリトリーだと。


 覚悟を決めなければならない。


 あわよくば、もう一度守るべき主と共に歩みたいと願うが、それは難しくなった。

 おそらく、どちらかが黄泉の道を歩む事になるのは明白。

 一寸の隙も無い九条を相手に、どう活路を見出すかを考える。

 そんな精神をすり減らす緊張に包まれていた。


 だが、そんな衣笠とは別に、九条は違う事を考えていた。

 それは違和感。

 未だに引っかかりが解けないこの違和感の正体を、九条は悩んでいた。

 目の前に集中しなければならないというのに、それがさせてくれない。


(何か見落としているのか……?)


 意識を衣笠に向けたまま、周囲全てに気を配る。

 そして、ようやく九条は手繰り寄せる。その一本の糸を。糸に括られた違和感の正体は、彼女に明確な答えを与えた。


「そうか……そういう事か」


 分かった以上、やるべきことが九条に出来てしまう。

 あろうことか、九条は構えを解く。その意図は本人以外、誰も分からなかった。


「ちょ、ちょっと? どうしたの九条ちゃん? まだ終わってないで?」

「詐欺師、一つ頼みがある」

「今、戦闘中やけど? それでもしないといけない頼み?」

「そうだ。一刻を争うのでな」

「……しゃーない。んで? その頼みっていうのは?」

「アイツの相手を頼む。時間稼ぎはお前の方が向いている」


 無理難題を押し付ける九条。まさかそんな頼み事とは思っていなかったのか、白鷺の口から、え、に濁音が付くような声を発して固まっていた。


「ちょっと待ったー! 理由は? 理由を教えてくれへんと嫌やで」

「簡単な話だ。奴の守るお嬢様はここに居ない」

「……え? それ、ほんまに?」


 会話の内容をわざと大きな声で話す九条。

 ちらり、と相手の反応を窺う。

 無言。そして、その表情は断固として何も喋らない、という意思を見せていた。

 それは嘘が下手で愚直な彼なりの否定だった。

 それをもって九条は真実と見た。


「ほな、聞くけどその証拠は?」

「気配だ。奴からはあの鞄に居る筈であろうお嬢様を何が何でも守るという気迫が全く感じられない。違和感を感じていたのはそれだった」

「うちら倒した方が早いと思ってるってことは?」

「考えてみろ。おかしいと思わないか? 最初に見せた動きがあるなら、奴は戦うよりも逃げる事を選ぶのが最善だった。この状況になっても、奴はあの鞄を見向きもせず私たちに集中している。それが意味するところはつまり、奴は囮だ」

「ええ! じゃあ本物は一体どこに?」

「おそらくマンションだ。奴は最初から私たちが怪しいと気づいていたのなら、自分が囮となって悪鬼を逃す時間稼ぎをしているんだろう。だから、私はマンションに戻る」

「させません!」


 血相を変えて突っ込んでくる衣笠。猪突猛進のように何の考えも無しに突っ込んできた彼の拳は九条の体を打ち抜くように真っすぐ突き出されるが、それは空を切る。

 真っすぐ打ち出された何の捻りも無い攻撃を九条が避ける事は容易であり、九条は背丈を遥かに超える高さまで大きく跳び上がると、空を舞いながら距離を離して、倉庫の屋根に飛び乗る。


「後は頼んだぞ、詐欺師。なるべく時間を稼げ」

「九条ちゃんのアホ! 馬鹿! あんた人使い荒すぎやで!」


 悪口を喚き散らす詐欺師を残し、九条は再び空を舞う。

 当然、それを追いかけようと衣笠は膝を曲げ、同じように大きく跳び上がろうとした瞬間だった。

 視界の隅に鋭い刃物が襲ってくるのが見えた。

 それを紙一重で体を反らして回避する。見れば、白鷺はいつの間にか長い柄を持つ得物を手にしていた。その先端に取り付けられる弧を描く刃。だが、先端についている刃はあまりにも大きかった。

 斧を彷彿させる大きな刃。並みの人間ならば、そのバランスの悪さ、重量故、振る事はおろか、持ちあげることさえ困難と思われる。

 そんな取り回しがしづらい武器を、右の手だけで容易く持ち上げ、くるくると器用に振り回し、肩に担ぐ。


「ったく、あの子は。今度キッチリお仕置きせなあかんな」


 しんどい、と本心を吐き出し、それは顔にも出ていた。

 今にも逃げた九条を追いかけたいが、そうはさせてくれないのを瞬時に悟り、目の前の障害を一瞬で断って後顧の憂い無くす事を最優先と判断した衣笠。


「本気でやる気ですか? 先程の方ならともかく、貴女が互角にわたりあえるとは思いません」

「…………あ?」


 慇懃無礼な物言いに、白鷺の中でスイッチが入る。

 九条よりも自分が下に見られていることに、たまらなく腹が立っていた。


「なんや、なんや? こんな美人と二人きりになっても、衣笠君はあの子に夢中かぁ」

「そ、そうはいってません! ですが、私も急いでいるので、速やかに片をつけさせてもらいます」

「残念やな、それは。でも、折角二人きりになったんやから、もう少し……お姉さんと付き合ってもらうで」


 すぽっ、と胸の谷間から黒い猫が飛び出すと、邪魔にならないように隅の方へと逃げていく。それを合図としたのか、白鷺は左手だけをゆっくりと胸の位置に当てると、握りこぶしを作り、その中の中指と食指だけを立てる。そして、すっ、と目を閉じた。


 ”――――回す歯車、交わす運命”


 優雅に語るその口調と声色。艶やかなその言葉。



 ”――――際限なき輪廻は代償を得ず。



 見る者、聞く者全てを骨抜きにし、魅了するその語り。



 ”――――運命欺く使者の如く”



 三者三様の言葉。その最後は全て開眼によって締められる。

 白鷺の変化は異様で分かりやすかった。艶のある亜麻色の髪が、一瞬にして銀の色に染め上がる。見た目にして、変化が起こり、同時に九条と同じような殺伐とした、気配が当たりに立ち込めるのを感じる衣笠。


「っ……! まさか、貴女もでしたか」

「まぁ、そういう事。今日のデートは長引くの覚悟しておいた方がいいで?」




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