黒翼の巨人
こーらるしー
第1話 姉妹
「リビアの政府軍が鳥らしき生物の集団に襲われているというニュースの続報です」
商店街に置かれた大型液晶テレビの前を私の手を取った姉が足早に通り過ぎた。
ゆったりとした通りから大きく空間を取ったアーチ状の屋根がある商店街では来週に控えたクリスマスの準備は当に済んでおり、店頭には客の目を引く黄金色の鈴や小さなモミの木のイミテーションに囲まれた商品が並んでいた。
それを見た私は数年前のクリスマスパーティーを思い出した。
大きな家に住んでいて、お父さんとお母さんがいた頃のクリスマス。
両親の隙をみてグラスに入ったワインを姉がひと口飲み「すっぱぁぁ!」と小さな悲鳴をあげて自分の前をおおげさに転げ回るという楽しい思い出。
ふと、その事を話そうと姉に顔を向けたが、険しい目で正面を見る横顔に下を向いてしまう。
もうあの頃には戻れない、そしてクリスマスは二度と自分に訪れることはないのだ。
涙が滲み、菓子の包み紙や路上で渡されるチラシが投げ捨てられた光沢のあるタイルが歪んで見えたが歩調も変えず声も出さなかった。
姉の気持ちを乱したくなかったのだ。
ふと姉が立ち止まり、軽く引っ張られるように止まった私は顔を上げた。
「出そうか」
募金箱を抱えている中年女性と中学生ほどの少女を見た姉がこちらに視線を移す。
確かにそうだ、そう思った私は姉と一緒に財布の中のお金を全て募金箱に投じた。
中年女性と少女は笑顔と共に「ありがとうございました」と言ってきた。
姉が軽く下を向き、顔を斜めにした。
照れ隠しの仕草だった。
間もなく自分に終末が訪れようと姉はこういう心を忘れないのだろう。
商店街から人気の無い脇の通路に入り、少し歩いた先を右に曲がるとエレベーターがあった。
私達はそれに乗り込むと八階のボタンを押した。
狭い室内、何十年というタバコの臭いが染み付いたような空間は軽い振動を伴いながら目的の階に到着した。
エレベーターから出ると薄暗い、窓や鉄製のドアがある四畳程の空間があった。
ドアを開け、屋上に出た。
陽は既に落ち、星の見えない漆黒の空の下に街のネオンや街灯が広がっている。
手摺りを乗り越えた姉が私の両手を取ると手摺り越えを手伝った。
間もなく本格的な冬の訪れを予感させる冷たい風。
これから体験する最初で最後の恐怖、思わず私は姉に抱きついた。
「絶対目を開けちゃダメだからね」
姉のかすれ声にきつく目を閉じた。
ぐらりと重心が傾き頭から落下する感覚、姉のはっと息を飲む声、耳をつんざく風音。
そこで私の意識は途切れた。
◆
あるところに巨人の国と小人の国がありました。
巨人は小人がたたかいをしたことがないのを知って小人の国をおそいました。
あっというまに小人たちは国をうばわれ、山おくににげこみました。
ところがそこには、たたかいの神さまがいたのです。
神さまに巨人とたたかう方法をおしえてもらった小人たちは、巨人から国をうばいかえしました。
ところが、おこった巨人はふたたび小人の国をおそったのです。
小人たちと巨人たちは、なんどもたたかいをくりかえしました。
そのうち、なんのためにたたかっているのかどちらもわからなくなりました。
ただにくしみだけでたたかっていたのです。
そんなとき、仲直りしようとかんがえている巨人と小人が出会い、二人はともだちになりました。
小人は仲間たちをせっとくし、小人のだいひょうとして巨人といっしょに巨人の国に仲直りをしにいったのです。
ところが巨人たちはじぶんのほうがつよいと思っているので仲直りしようとしません。
そのうち小人はおこった巨人のひとりにふみつぶされてしんでしまったのです。
泣きながら小人の国にもどった巨人のはなしに小人たちはおこりました。
「巨人はみんなやっつけろ!」
ぜんいんがたたかいのじゅんびをしているとき、巨人たちがおそいかかってきました。
そこへ小人のともだちだった巨人がたちふさがって言いました。
「もうころしあいはたくさんだ、仲直りしよう」
巨人たちはおこり、その巨人をなんどもなぐり、けりとばしました。
小人たちはその巨人をたすけようとしましたが巨人はおおきな声でこういったのです。
「たたかってはだめだ。たたかったら、また、たたかいがおこる」
小人たちはうごかず、歯をくいしばって巨人をみていました。
そのうち巨人たちからも「なぜ仲間とたたかわなければならないんだ」という声があがりました。
そこへ巨人の王さまがあらわれ、キズだらけで横たわる巨人にこう言いました。
「おまえの言うとおりだ、もう小人たちとたたかうのはやめよう」
それから二つの国は仲良くなりました。
たたかいをとめた巨人は小人たちのえいゆうになり、小人の国でくらしました。
そして、ともだちだった小人のおはかのとなりでねむるように息をひきとったのです。
おしまい
誰が読んでくれた絵本だったろうか、真っ暗な中を浮遊しているような感覚で悠は考えた。
そうだ、お母さんだ。
最後のところでお姉ちゃんと泣いたっけ。
自分より弱い小人の住む場所を奪った巨人は悪いが、力を手に入れ戦うことを止めることができなかった小人も悪いんだよ、とお母さんが教えてくれた。
そして戦いを止めるために戦わなかった巨人はとても勇気があったんだね、とも言った。
それから姉は巨人のマネをするようになった。
テレビのバトルがあるアニメを見ながら「戦っちゃだめだ。戦ったら、また戦いがおこる」とつぶやいたり、小学校で同級生同士のケンカを止めに入ったり。
そんな姉を私は誇りに思っていた。
だが、あの出来事以来、姉は陰惨な攻撃に耐える巨人となってしまった。
日帰りの結婚記念日旅行に出かけた両親はトラック事故に巻き込まれ、亡くなった。
一人っ子だった母方に親戚は無く、父方の親戚達が負担を分担するため私たちを別々に預けられるところを「それだけは許してください」と姉は泣きながら頭を下げた。
結局、姉一人預かるところを私まで背負い込んでしまった父の兄である賢三叔父さんだったが、優しく迎えてくれた。
だが、叔父の妻、姉と私の新しい母である尚美は違った。
姉より二歳年上の息子、背が大きく高校のサッカー部では司令塔という新しい母自慢の息子、その召し使い役を私たちに任せたのだ。
この遼という名の息子、外面の良い人間で、スマホで友達と話しているときと私たちと話している時の口調や態度はまるで違っていた。
尚美と遼は掃除、洗濯あらゆる家事、雑用を命令してきた。
それでも姉は私を連れ込んだ負い目の為か、文句一つ言わず黙々とこなし、私が風邪をこじらしたときはその分までやってくれたのだ。
奴隷制度による苦痛は“こういうものだ、なぜなら私たちは養われているのだから”という一種の思考停止状態に追い込む。
こうして二年が過ぎ、私が姉と同じ市立高校へ入学して間もなく事件が起こった。
国立大学にすべり、三流大学に入ったことがよほど屈辱だったのか、連日の夜遊びなど荒れた生活が続いていた遼は度々姉に暴力を振るっていた。
ところがある日、見るに見かねて止めに入った私を蹴りつけたのだ。
だがその次の瞬間、耐える巨人だった姉が遼の頬を思い切りぶった。
反抗したことのない奴隷にぶたれたことは相当なショックだったか、遼は無様に泣き出すとその場から走り去った。
いま思い出すと、あのとき私は笑っていたかもしれない。
だが、戦ったらまた戦いが起こる、という巨人の言葉通り、私たちは身をもってそれを知ることになる。
まず尚美が賢三叔父さんに姉の暴力を訴えた。
叔父の問いに姉は無言を貫いたが、その後叔父の姉に対する態度は冷たくなってしまった。
また、学校から帰ると家中に鍵がかけられ、しかたなく姉と二十四時間営業のハンバーガーショップで夜を過ごすこともあった。
これは叔父が出張で泊まりに行ったときなどは必ず行われた。
さばさばと明るい姉が押し黙るようになってしまった。
でも、私がそのことを心配すると、にこりと笑い、低い声で学校の出来事を面白おかしく話してくれるのが救いだった。
そして私たちの運命を決定付ける日がやってきた。
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