第34話 復讐の結実



 美弥が置き土産を残して出て行き、2週間ほどが経った。


 倉重が狂気めいた思いを抱えながら、いつものように出社して席に着くと、専務付秘書から内線が入った。


 ―――始業時間になりましたら、専務室までお越しください。専務がお呼びです。



 この春の異動時期の前に、専務直々に呼び出しがかかるということは昇進か!、そう思い、倉重は天にも昇るような気分で、エレベーターに乗り、役員フロアーとなる40Fのボタンを押した。


 フロアにつくと、絨毯からして厚みがちがった。

 通路を挟んで役員それぞれの個室が並び、倉重がいつもいるフロアの喧騒がうそのように物音一つせず深閑としている―――。



 

 専務室の前まで歩き、重厚なドアを緊張しながらノックした。

 中から、さきほどの秘書の声で「どうぞ」と返ってきた。


 「失礼します――」とドアを開けた。



 そこは別世界だった。

 そうそう対面する事などない専務が、すぐそこに座っている。

 その専務の後ろには、都内一望を見下ろす眺めがガラス越しに広がり、黒檀の大きな机は倉重のスチール製のものとは違って艶光りしていた。そして脇には、スマートな秘書が控えるように立っている。


 まさに俺にこそふさわしいものばかりだ――倉重は思った。


 

 だが、そんな思いはひた隠し「お呼びでしょうか」と倉重は直立不動の姿勢のまま言った。


「倉重課長、おめでとう昇進だ」、専務の声は重みがあった。

 倉重の頭の中で、競馬のビッグレース時のファンファーレのようなものが高らかに鳴り響いた。

「あ、ありがとうございますっ」そういって頭を下げながら、思った。副部長か、それとも部長か、いや数段飛ばしで取締役か――。



「それも異例の昇進――海外支社長だ」

 海外支社長! 悪くない!うちは欧米アジア各地に事業展開している。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、どこだ?



「創設だから初代支社長となる」

 初代!いい響きだ。で、どこだ?どこなんだ?

「時代はグローバルだからね。既に展開している海外拠点だけでなく、他社が手をこまねいている地域に先駆けて展開しなければならない。そのための抜擢だ」

 くぅぅ……わかってる。専務もなかなか、わかってるじゃないか。オレの力量を適正に把握してるぞ。伊達に専務はやってないってわけだ。さあ、早く言ってくれ、どこなんだ。



「倉重課長――南アフリカ支社・初代支社長を命ずる」



 …………み、南アフリカ、うちの事業にどう関係するんだ?家電、保険、金融、手広くやっているが、どれだけのニーズが見込めるのか……。




「ニ、ニーズはありますでしょうか?」倉重は遠慮がちに聞いた。


「それを調べるのは君の仕事だ。どれだけのニーズが見込めるのか。マーケティング、販促、営業、すべての権限を君にまかせる。我々取締役に決裁をとる必要もない。君の裁量によって自由にやり、結果を出してくれればそれでいい。君は優秀だからね。貢献して社全体のV字回復をたのむよ」


「……ぜ、全力を尽くさせて頂きます」

「近く正式に辞令を出す。それだけだ。下がっていい」


 どこか問答無用だ、さっさと下がれと言われているような空気を感じ、倉重は慌てて「は、はい……失礼します」と言って退出した。


 専務室のドアを丁寧に閉め、倉重はエレベーターに向った。ついさっきは天につながるように思えたが、今、それは奈落の底に向う棺桶のようだった―――。






 ――倉重が去ったのを見計らい、専務は秘書に言った。

「あの音声を頼む」


 秘書がマウスをクリックすると、PCから音声が流れてきた。


『まったく会社の上層部は無能の極みだ。いま、会社がどんな状況にあるか、まるでわかっちゃいない。俺の頭の中にある構想通りにやれば落ち込んだ業績のV字回復は間違いないのに、発表する機会がないからな。

 社長や専務がふんぞり返ってる糞の役にも立たない役員会議に、俺を出してみろっていうんだよ。

 俺は時々、戦国武将の真田幸村の気持ちがわかるんだ。女帝の淀殿や秀頼が、幸村に全権を与えて幸村の構想通りに戦をすすめてたら、豊臣家は滅びてなかった……』



 品の良い有能そうな秘書が、笑いをこらえながら言った。

「倉重課長は、幸村になれるでしょうか?」



「彼は糞の役にも立たない雑兵だ」




              (最終章へ続く)







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