第8章

第28話 仕上げの男



 風呂から上がり寝室に向った倉重を見届け、美弥は静まり返ったリビングで一人、物思いに耽っていた――。


 ――あれから10年の歳月が流れた。優里の死が、ついこの間のように思える時もある。10年という時間は長いのか短いのか――。この冬が終われば、優里が逝った春がまたやってくる。


 優さん、相変わらず私の人生は誤りで愚劣だよ……、でも、それも後少しで終わりかな……。


 そろそろ仕上げにかからなければ――、そのための手筈は整えた―――。



 




 ―――ちょうどその頃、倉重の部下である藤堂京馬は、あとは寝るだけという態勢を整え、コンビニで買ってきたつまみをアテに酒を飲んでいた。金曜深夜のこの時間が藤堂は一番好きだった。月曜までは、会社もクソみたいな上司も忘れ、何ものにも縛られない自由人になる。


 

 上機嫌で飲む酒はうまい――。既にしたたかに酔っていた。


 

 見るとはなしにつけていたテレビに目を向けると、報道番組で曽我総理の薄ら笑いが目に入り、顔を背けた。



 だが、「こんにちはガーソーです!」という気持ち悪い声が追いかけてきた……。


 急激に酒がまずくなった。藤堂は顔をしかめ、テレビに向って吐き捨てる――。



 ――やっと前の腹話術人形みたいなアホボン総理が辞めたと思ったら、今度は、目の濁った子泣きジジイみたいなのが総理か……。



 なにがAI婚だよ……、相性の問題じゃない。金だよ金。おまえらが庶民から税金ばっかりふんだくって「庶民奴隷化」に励んでるから、庶民は結婚も出産も控えるんだ。さすがにもう無理……ってな。無能なサイコパス集団が……。

 そのうち『空気税』でも取りかねないぞ、コイツら。

 呼吸するなら税金払えって……。


 

 もうコンパにも行かなくなったけど、すっかり男が結婚したがらないようになって、女どもの目の色が違うもんな。少しでも条件のいい男を掴まえようってギラギラしてやがった……。ぞっとするよ。どんだけ目をギラつかせて探しても無駄だ。そう遠くないうちにこの国では生涯独身の人間が4000万人を越えるって試算もある。



 だいたい冗談じゃない……この国の家庭持ちの男がネットでなんていわれてるか知ってるか?ATMだよ。金を引き出される機械だぞ。

 1ヶ月朝から晩まで働いて自由になる金が、3~4万……そりゃ世界も驚くさ…貧しい国から来た移民も逃げ出すさ……。

 ネットがない時代はごまかせてた。

 この国の労働者の賃金が異様に安いことを――。



 ようやく最近になって、報道番組がスポンサーに遠慮しながら言い出した。

「日本は賃金が高いとはいえない」

 いやいや……有り得ないほど安いんだ。貧しい国の労働移民から奴隷国家って揶揄されるぐらいにな。

 ただ、その状態があまりにも根を張りすぎて、国民が洗脳されてるとも知らずに「みんなそんなもの」ってお互いに慰め合ってたんだよ……。



 30歳も目前になって会社の先輩や上司を見て、思うよ。

 そんな人生は嫌だ……ってな。

 世間じゃ知られた会社だ。相場より給料もいい。ただ、それはあくまでこの国においてだ。世界の先進国の中で飛びぬけて賃金が安く、異常に税金が高い日本という国でな――。

 


 学生の頃から、そんな事もう少し勉強しとくべきだったな……。そうすりゃ違う人生設計を考えたかもしれない。

 それなりに勉強して辿りついたのが、ちょっと待遇のいい奴隷か……我ながら笑っちまうよ……。

 かといって転職に失敗でもしたら、非正規地獄だ。そういう風に設計されてるんだよ、庶民が寄り道を考えたりしないようにな。おまえらは、ただただ働き続けて税金を納めろって―――。

 


 世間の父親は頑張ってるだろうよ、母親も家事や子育ての上にパートなんかで家計を支えてるんだろうよ。

 そんなにまでしてるのに家に余裕がないっておかしいだろ?

 国が無意味な搾取で台無しにしてるんだよ。そんな父親や母親の頑張りをな――。またお得意のプロパガンダで『貧しくとも楽しい我が家』的なドラマや映画でも流行らせるのかね……。


 

 結局、江戸時代となにも変わってない……



 徳川家康が子孫の永続的な繁栄のために敷いたガチガチの封建制の影響が残ってんだよ、いまだにな。将軍の子はどんなに馬鹿でも将軍、そして「農民は生かさず殺さず」だ。

 ロクに漢字も読めないウスラ馬鹿が血筋で総理になる一方、庶民は生かさず殺さずで死ぬまで働けだ。

 総理のオトモダチなら国民から巻き上げた金で、大盤振る舞いしてもらえるけどな。




 ――今も昔も庶民の命が安いんだよ……この国では――。




 年間で何万人もの自殺者をほったらかしにしてるのもそうだ。

 あの東日本大震災の犠牲者を上回る数の自殺者が毎年連綿といるんだぜ?それをずっとほったらかしてるんだぜ?

 これぐらいの数なら問題ないって思ってやがるんだよ。それどころか、さらに庶民を追い込もうって躍起だ。そうすりゃ上級国民様はもっと潤う――ってな。


 

 で、俺はその庶民だ。少しばかり好待遇なだけの――。

 


 だからこんな腐った国に利用されるために、結婚して子供を作るなんてごめんだね。どうぞ上級国民様でたくさん子作りしてくださいな――。

 どっかに俺ぐらいに乾いた女はいないか……。結婚なんてものにも、この腐った国にもうんざりしてるような女だ。まやかしの作られた幸福モデルに執着してる女どもより、よっぽどマシだ……



 そういや「いい年して独身なんてみっともない」「結婚して子供を育てて初めて一人前」、最近はそんな事いう馬鹿もさすがに減ったな……。そりゃ皆気付くさ……。ああ…私たちは知らぬ間に洗脳されてたんだって……。

 国にとって都合のいい偽りの幸福モデルに―――。

 


 

 ―――ひとしきり一人でそんな事を思い、藤堂は時計を見た。

 


 もうこんな時間か、寝るか……少し飲みすぎたな……。



 ああ……そうだ……、日曜はクソシゲ課長の奥さんが……、ええと何だっけ……?








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