第246話 蚊帳の外


     /色葉


 天正十年九月。


 先月の末に一乗谷から北ノ庄に移っていたわたしは、九日に予定されている重陽の節句の準備で大忙しだった。


 いや、まあ、忙しいのは雪葉や乙葉や貞宗やらといったわたしの側近どもで、わたしは何をするでもなく、自分の居室で大人しくしている毎日である。

 何かわたしにも働かせろと要求してみたが、晴景を始めとする皆にやんわりと断られてしまったのだ。


 今回の重陽の節句は普段のものとは違い、朝倉領の周辺諸国から諸大名を呼び集めての会合が催されることになっている。

 そのため家臣どもはその準備で忙殺されており、誰も構ってくれないのだ。


 部屋で大人しく寝ていろと言われて、何というか蚊帳の外である。

 今回の件、わたしが発案者なんだがな……くそう。


「主様、本を読みましょう」


 そんなわたしにずっとついてくれているのが朱葉である。

 小太郎は忙しい乙葉に代わり、華渓が見てくれている。


 その華渓も暇というわけでもないので、わたしが小太郎をみることも多かった。

 少しだけ、親らしいことをしている気分である。


 そんな小太郎が大人しく寝てくれていると、朱葉が本を読めとねだってくるのだ。

 まあこういう時間も貴重であるし、わたしに構ってくれる朱葉も時には可愛らしいものである。


「読書もいいが、いよいよだな」


 わたしはその場で伸びをしつつ、隣の朱葉の頭を撫でてやる。

 くすぐったそうに身を寄せてくる朱葉であるが、本当に大きくなってしまったものだ。


「いよいよ、ですか?」

「わざわざあちこちから諸大名どもを集めたんだ。ぱあっとお祭り騒ぎでもしたいものだ」


 今回の重陽の節句、準備している家臣どもも、呼び集められた大名どもも、かなり緊張しているに違いない。

 建て前は重陽の節句ではあるものの、実質的には朝倉家への臣従の挨拶――そのように考えているはずだからだ。


 当然、水面下の準備が欠かせない。

 表向きの準備も手を抜けない。

 家臣どもは実に忙しいことだろう。


「者どもが主様に跪きに来るのですね」

「ん、まあ、そうとるだろうな」


 実のところそれがわたしに対して、である必要は無い。

 晴景に対して、であれば、それで十分なのだ。


 が、みんなはついにわたしが天下統一に乗り出した、と考えていることだろう。

 諸大名然り、家臣ども然り。

 当然、何かしら決裂した時のことを考えて、軍事行動の準備も抜かりないはずである。


 それに付随してか、犬追物などを盛大に催して、それとなく朝倉の軍事力を見せつけるとか何とか。


 朝倉義景は弓の腕が達者だったらしく、時々犬追物を開催していたらしい。

 小笠原流弓術とか何とかそんなもので、意外に武芸に秀でていた一面もあったとか何とか。


 ……まあ負けが多かったとはいえ、自ら軍勢を率いてあの信長と渡り合っていただけのことはある、か。


 弓はちょっと面白そうだったけど、今のわたしの身体では土台無理というもので、当日は見物に終始することになりそうだった。


 ちなみに乙葉の奴がはりきっていたな。

 こういうお祭り騒ぎは好きなやつである。


 そんな感じでお祭りを待つような気分でわたしなどはそわそわしていたのだが、他の連中はそうもいかず、必死になって準備をしているところだった。

 そしてやって来る連中も、わたしが何を言い出すかとびくびくしていることだろう。


「とはいえ別段、脅迫したりするつもりはないんだがな」


 やってくる者どもは、それこそ丁重に扱ってやるつもりでいる。

 別に従属を強制するつもりも、実を言えば無かった。


 腹の内はある程度探れるだろうが、その程度でいい。

 しばらく戦などしたくないし、お祭りを楽しみたいのが本音である。


「朱葉、もう少ししたら周囲もうるさくなる。今のうちに散歩でも行かないか? 読書もいいが、たまには出歩くのも悪くないぞ。紅葉なども少し色づいてきたところだ」

「私は構いませんが、皆に勝手に出歩くなと怒られるかと思いますが」

「知ったことじゃない」


 わたしこそが朝倉の主だというのに、家臣どもときたらうるさくてしょうがない。


「小太郎はどうするのです?」

「連れて行く。もう十分に歩けるからな」

「では華渓もつけましょう。本当は乙葉もいた方が安心ですが、主様の命で働いていることですし」

「そうだな」


 ちなみに雪葉にはさしあたって黙っておく。

 とってもうるさいからだ。


 その辺りは朱葉も心得ているようで、余計なことは言いはしない。

 朱葉のやつも、ずいぶん雪葉に頭が上がらなくなったものである。


「そういや光秀が京から戻ってきていたな。ちょっと付き合わせるか」


 織田家より離れて朝倉家に転仕した明智光秀は、朝倉家に来てから精力的に働いているようだった。

 特に最近では四国の長宗我部との外交を任せており、成果も少しずつ出ているらしい。


「あの者も忙しいかと思いますが」

「京の話が聞きたい。久秀だと話が年寄り臭くていけないし、孫もどきの自慢ばかりするからな」

「はあ」


 光秀が仕えるようになって分かったことだが、なるほどあれは貞宗によく似ていた。

 苦労人。

 そんな言葉がしっくりくる奴である。


 真面目過ぎて面白味が無いが、しかしだからこそからかうと面白い。

 本人はいい迷惑だろうけど。


 貞宗にそれをすると、貞宗びいきの雪葉が怒るので、今は怖くてできないし、ちょうどいい人選だろう。


「よし。そうと決まったら出かけるぞ」


 部屋にこもりがちになっていたわたしは、少しうきうきしながら準備を始めるのだった。

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