第244話 安芸毛利家


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 天正十年七月二十八日。


 吉田郡山城。

 安芸毛利氏の居城において、毛利氏当主である毛利輝元を始め、輝元の叔父にあたる吉川元春や小早川隆景、そして宿老の一人でもある福原貞俊らが深刻な表情で集まっていた。


「まことにけしからんとしか言いようがあるまい」


 唾棄するかのように手にしていた書状を放り出したのは、吉川元春である。

 弟の小早川隆景と共に、毛利両川の一人として知られる人物だ。


「とはいえ兄上。これを無視すれば面倒なことになりましょうぞ」


 隆景の言に、まことにその通りと福原貞俊も追従する。


「朝倉など一度は滅びた成り上がりではないか。それが殿に北陸の片田舎にまで足労させた上で挨拶などとは、片腹痛し」


 立腹する元春に対し、隆景は困ったように息を吐き出した。


 隆景は床に落ちた書状を拾い上げると、すでに幾度か目を通したにも関わらず、もう一度その文面に目を走らせて吐息する。

 内容は来る九月九日の重陽の節句の際に、近隣の諸大名を北ノ庄に招いて饗応したい、というものである。


 その送り主は朝倉家当主・朝倉晴景。


「成り上がりというが、朝倉家は名門ですぞ。それに当主の朝倉晴景は甲斐源氏の血を引いている身の上。侮れますまい」


 諭すように言うのは、老臣である福原貞俊だ。

 毛利家における筆頭家老であり、元春や隆景、そして名家老と謳われた口羽通良らとともに輝元を支えた功臣である。


「この毛利とて劣るものでなかろう」


 憤慨やるかたのない元春に、隆景は貞俊と顔を見合わせてため息をついた。


 安芸毛利氏は遡れば大江氏に行き着く。

 姓は朝臣であり、源平藤橘と呼ばれる四姓には含まれていないものの、別段劣るというものでもない。


 もっともそのようなことはこの戦国の世にあって、二の次のことではある。

 最も重視すべきはその実力であって、朝倉家は警戒するに十分な力をすでに備えていることは明白だった。


「実際のところ、朝倉家はどのようなものなのか」


 ここでそう口を開いたのは、当主たる輝元である。

 天文二十二年の生まれだけあって、この中では最も若い。


 これまでは織田家が毛利家の敵としてあっただけに、突然問題となった朝倉家に関しては、そこまでの知識と関心を持っていなかったのだろう。

 とはいえ突然、とも言えない。


 ちなみに史実において天正十年の毛利家は、織田家の侵攻により苦境に立たされていた。

 天正十年三月には武田勝頼が信長によって滅ぼされ、信長包囲網が瓦解。


 毛利家と同盟関係にあった長宗我部家に対して信長は、三男・織田信孝に四国出兵の準備をさせ、四月に入ると羽柴秀吉が備中国へと侵攻した。

 すでに長年戦い続けた毛利家に余力は無く、備中の諸城は次々に降伏。

 ついには毛利家臣・清水宗治の守る備中高松城への攻撃が開始される。


 五月には秀吉の計により水攻めが始まり、輝元は五万の大軍を率いて救援に駆け付けるも、積極的な軍事衝突には至らなかった。

 それは来島水軍や塩飽水軍が秀吉の調略で離反し、制海権を失ったことで物資の補給がままならなくなり、動くに動けないという事態に陥っていたからである。

 さらには信長自身が毛利征伐のために京で準備を始めており、まさに毛利家は窮地に立たされようとしていたのだった。


 しかしこの世界ではやや事情が異なっている。

 信長は秀吉に命じて播州征伐を完成させ、その手を毛利領国に伸ばしつつあったが、ここで秀吉が主家より離反し、独立。


 これが防波堤となったことで、毛利家は織田家との間で戦うことが無くなったが、しかし秀吉が播磨や備前、但馬といった諸国を糾合したことで、羽柴家が新たな脅威として誕生することになったのも、また事実である。


 だが秀吉は毛利家との間でも交渉を持ち、一定の協調関係を結ぶに至っていた。

 ためにこの数年間で毛利家は休息を得ることができ、新たな力を蓄えることのできる時を得たともいえる。


 ただその間にも、畿内以東の情勢は目まぐるしく変わっていたのだった。

 甲信においては武田家が滅亡し、また関東の雄であった北条家もほぼ壊滅。

 織田家では当主であった信長が自刃し、織田家は朝倉家と和睦したという。


「……同盟国であった武田家は滅んだものの、朝倉家はその遺領の大半を接収し、また関東では北条家に対して下克上を起こした徳川家康が新たに立っており、朝倉家はこれを後援しているとか。羽柴家は独立の折より朝倉家との間で密約があったようですし、宿敵であった織田家も信長が滅んだことで方針を転換し、朝倉家に追従するかのような動きをみせております」

「つまり、今や日ノ本の中心には朝倉家があると、そういうことか」

「そのように判断せざるを得ないかと」


 隆景の言に、輝元は小さく唸った。

 輝元とて、朝倉家が一度滅んだことは知っている。

 それが再興されたことも心得てはいた。


 朝倉家とは外交的な繋がりこそなかったものの、ここ数年、経済での交流が活発であったからである。

 朝倉家は良質な鉄を求め、多くの砂鉄を買い求めていたからである。


 そして朝倉家が支払いに使用したいわゆる天正銭は、今や朽ちた永楽通宝に代わって全国で流通しつつある貨幣となっていた。

 これによって経済活動が活発になったことは、当然認めるところである。


 つまり毛利家と朝倉家の関係は、これまで可もなく不可も無く、といった感じだったのだ。


「朝倉の女狐めは、信長が死んだことで周辺諸国を従えた気になって、有頂天にでもなっているのだろう。未だ領国を接してもいないこの毛利にこのような使者を送って来ること自体、驕りの極みというものだ」

「女狐?」


 元春の言に、輝元は首を傾げる。

 答えたのは隆景だった。


「朝倉家当主・朝倉晴景の正室のことですな。朝倉義景の落胤とかで、これをもって朝倉晴景は朝倉家の血筋の正当性の証としているようですが」

「それは知っているが、なぜ狐なのだ?」


 主に尋ねられ、さてどう説明したものかと隆景は兄の顔を見る。

 不愉快そうに、元春は後を受けた。


「女だてらに戦場に出、太刀を振って殺戮をほしいままにし、また奸計をよく用いて周囲を惑わすという魔性の者だそうだ」


 元春の言葉はなかなかの言い様であるが、隆景にしてもそれに類する噂話はよく耳にしていた。

 朝倉家の色葉姫。

 何でも狐の耳と尻尾の生えた面妖な容姿をしているらしいが、それは置いておいたとしても、実際にかの姫が行った所業により、日ノ本の勢力図が大きく変わったことは否定しようもない。

 そしてその手が、ついに毛利家にまで伸びてきた、ということだ。


「……殿。その狐姫とやらはけっこうな難物ですぞ。対応を誤れば、毛利も危うくなるかと」

「対応など語るまでもない。この毛利が朝倉に屈することなど最初からあり得ぬことぞ、隆景よ」


 取り付く島もない元春であるが、しかし最終的に判断するのは輝元である。

 その輝元も軽々に判断できず、とにもかくにも議論は紛糾した。


 そもそも毛利家全体の雰囲気として、素直に朝倉家の招きに応じる、という選択肢は初めからなかったと言っていい。

 強硬的な元春とは違う隆景や貞俊ですら、即座に膝を屈することを良しとはしていなかった。


 その理由としては、今ほど元春が口にしていたように、朝倉家と毛利家は未だ明確に領国を接していない。

 これは間に羽柴家が存在しているからである。


 またこの数年で、国力をある程度回復させることができていたということもある。

 まだまだ戦えるという気概が、当然ながら毛利家中にはあったのだ。


 ただ懸念すべきこともあった。

 羽柴家の動向である。


 羽柴秀吉は織田家より独立するにあたって、非公式ながら毛利家と不可侵の盟約を結んでいた。

 これは織田家に対するという点で、互いに利があったからでもある。


 毛利の領国の東に新たな勢力が台頭することは、決して好ましいものではない。

 しかし織田家の西進を阻止する一点において、意義があった。


 その羽柴家は織田家の力が縮小した今、どのように動くのか。

 隆景が懸念するのはまさにそこだったと言っていい。


 そこで思い出すのが、羽柴家の黒田孝高である。

 孝高は毛利家と交渉を持つことが多く、隆景も直接会談に及んだことも数度あった。


 孝高自身、隆景のことを評価しているようで敬意をもってこれに接し、また隆景も孝高の頭の良さを見抜いていた。

 そのため親密な関係になりつつあったが、この事態に際してあの孝高がどう動くのか、隆景は非常に気になるところであったのだ。

 そしてそれが、毛利家の帰趨を決めかねないとも考えていたのである。


「屈せぬのは当然だとしても、やりようというものもあるでしょう、兄上。此度の書状、この毛利家だけでなく羽柴家などにも届いているはず。あの羽柴秀吉がどう動くのか、まずは見極めるのが肝要かと」

「ふん、秀吉こそ信用ならん」


 秀吉のことをそれなりに評価している隆景とは違って、元春の秀吉に対する評は芳しくない。

 これまで秀吉自身が毛利家に対する前線指揮官ということを鑑みれば、素直に評価しずらいところもあるのだろう。


「……ともあれ、これを無視するのか。それとも何か理由をつけて断るのか。また仮に受けるとして、殿ご自身が行かれるのか。それとも代理を立てるのか。決めねばなりませんぞ」

「無視で良かろうというものだ」


 強硬的な元春の意見は定まっていたが、輝元はそうはいかない。

 また隆景としては長く思案して遅く決断することを旨としていることもあって、正直なところではもう少し情勢を見極めたいところであった。

 しかし九月九日と期限が定まっているため、時間がさほど残されていないことも事実である。


 そんな中、毛利家の重臣であった口羽通良の死去の報がもたらされることになり、その対応のために議論はしばしお預けとなったのであるが、このように毛利輝元がなかなか決断に至れなかったことを、羽柴家の黒田孝高などは正確に把握していたのであった。

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