第161話 一服の茶(後編)
さしもの貞宗も、この情報は掴んでいなかったようだ。
「その様子だと何も知らないといったところか。むしろ安心したぞ」
もし貞宗がこれを承知しているとしたならば、この情報は信長にも洩れていると考えるべきである。
となれば、秀吉の謀反は事前に防がれる公算が高い。
もちろん貞宗が知らなかったとしても、信長が気づいていないという保証にはならないが、それでも多少は安心できるというものである。
まあ仮に事前に発覚したとしても、織田家中は荒れる。それだけでも他国からすれば利あり、であるが。
「お待ちください……織田家の羽柴秀吉が謀反、ですと?」
「そうだと言っているだろう」
「……いつの間にそのような謀略を巡らせていたのですか」
「ん? いや、わたしは別に何もしていないんだが」
素直にそう言うのだが、貞宗の目は嘘言つくなと、そんな感じである。
「本当だぞ? 連中が勝手にあれこれ画策しているだけだ」
「……にわかには信じられませんな。羽柴秀吉といえば、織田家中にあって出世頭の一人。名も無き身から取り立てられたこともあって、織田家への忠誠は高いはずですか」
「野心もしっかり持ち合わせていた、ということだろう」
史実において秀吉は謀反を起こしてはいない。
いないが、いわゆる本能寺の変が謎だらけのせいもあって、黒幕説の一つに挙げられているほどである。
何しろ信長が死んで、最も得をしたのが秀吉だからだ。
「しかしまあ、多少は意外だったがな」
信長に対する切り札は明智光秀になると考え、実はかなり早くから本多正信を通じて光秀に接触してはいた。
上洛要請の際、都合よく光秀が派遣されてきたことも僥倖だった。
とはいえ密談、のようなことは特にしていない。あくまで様子を見る程度のものだ。
史実通りなら、放っておいても何か仕出かすはずである。
とはいえそれよりも早く、秀吉が謀反するとなると……この先はどうなるのだろうか。
正直、本能寺の変が起きる可能性はかなり低くなったといえるだろう。
光秀自身、謀反自体を起こさないかもしれない。
しかしだからこそ、その動向は注視しておく必要があった。
「とにかくだ。本当に秀吉がするかどうかは知らんが、一応の手筈は整っている。荒木村重などは秀吉に与することになっているしな」
「……そこまでご存知でありながら、色葉様が何もされていないとは思えぬのですが」
貞宗からの疑惑の視線は一向になくならない。
「言い出したのはわたしではない、と言っているだろう。接触してきたのは向こうだ。わたしはこの話に多少乗ってみることにしただけだぞ」
面倒くさいが、なかなか信じてくれないので最初から事の次第を話すことにした。
黒田孝高が密談を望んできたあたりの話をしたら、どうして孝高がわたしと面識があったのかという話になり、遡って有岡城での話までする羽目になってしまった。
「……なるほど。どうやらその黒田殿が主導で動かれているようではありますが、そのような者をそのような時から目をつけられていたとは……」
「何なんだ?」
「相変わらずですな」
何が相変わらずなのか知らないが、貞宗はやれやれとため息なんかをついている。
感心されているというよりは、呆れられているような感じだ。
「わたしが余計なことをしたから、おかしなことになっているとでも言いたいのか?」
ちょっとむっとなって、尻尾を動かす。
が、今のわたしでは大して迫力も無いだろうけど。
「そんなことはありませぬ。此度の謀反、まことであれば当家に利ありは間違いないかと」
「だったらもうちょっと、感心するような素振りを見せろ」
「そこまで見越されたわけではないでしょう」
「む……」
確かに結果的にそうなった、というだけであるし、孝高を取り損なったのも事実だ。
「それはそうだけど。でも孝高のやつ、命を助けられた礼とか何とか言って、わたしにこの話を持ち掛けてきたんだぞ?」
「それは方便でしょう。その者、名はあまり知られておりませぬが、侮れませぬぞ。私も少し調べてみることにします」
「……まあ、食わせ者だからな」
味方にできれば……とも思ったが、敵に回すとなると面倒な相手か。
秀吉の謀反は成功するかどうかは知らないが、よしんばうまくいった場合、西側に新たな勢力が誕生することになる。
信長も厄介だが秀吉も厄介だ。
むしろ明智光秀という問題を潜在的に抱えている信長の方が、将来御し易かったかもしれない。
「やはり靡かなかった時点で殺しておけば良かったか……」
そんな風にも考えてしまう。
「ともあれ、謀反が発生するのであれば、これを黙って見守るに留めることもないでしょう。しかもそこまで話を進められているということは、羽柴殿にお味方するおつもりですな?」
「さて、どうかな。あの男が下手を打てば、播磨に進出する好機とは思っている。もしくは秀吉征伐で手薄になった織田領を狙ってもいい。秀吉が首尾よく独立できればこれと結び、恩を売って機があれば織田領を侵す。そのためには今のうちから兵の動員をかけておく必要があるが、しかし今年はゆっくりするつもりだったから、やや複雑な気分ではあるがな」
信豊に言った台詞ではないが、毎年出兵というのはやはり疲れるものである。
とはいえ好機なことには違いない。
「なるほど。我らにとっても好機ではありますが、武田様にとってもご運が良いとはこういうことだったわけですな」
「あっちはこのことを知らないはずだから、ごく単純に運がいい、ということになるんだろう」
だからこそ、勝頼の出兵にもやもやしていたのかもしれない。
こんな好機を逃す手はなく、ある意味で羨ましいと思ってしまったのだろう。
あまり欲をかいてはいかんな、とわたしは改めて自身を戒めた。
今回のことも、とにかくじっくりと様子を見、つけ入る隙があるかどうかを見極める必要があるだろう。
藪蛇は御免であるし。
「そういうわけだから貞宗、情報収集は怠るな。特に畿内方面だ」
「心得ました」
貞宗が頷くのを見て、わたしは茶をすする。
「……そういえば貞宗、お前は茶の湯なんてどこで学んだんだ?」
「この程度は武人の嗜みですぞ」
さっきから散々と貞宗に茶を点てさせていたが、わたしは飲むだけだった。
至極当たり前のように貞宗は答えるものの、わたしにしてみればそうでもない。
この時代、茶の湯はかなり流行していたようではあるが、わたしにはあまり興味は無かったからだ。
「ふうん。じゃあ貞宗も茶器とか集めているのか?」
「名物などは一つも」
「持ってないのか。家臣どもに聞いたら、欲しがる奴らも少なからずいてな」
「織田信長なども、多数の茶器を所蔵していると聞きますな」
「そう、それだ」
わたしは思い出したように、膝を打つ。
「実は家臣どもに時々茶の湯に誘われるんだが、作法やら何やらが今一つわからなくてな。適当に飲んでいたんだけど、この前久秀の奴に説教されてしまった」
無作法であったとしても、家中にわたしに意見できるものは少ない。
だからこそ今まで放置されてきたとも言えるんだけど……。
「松永殿は一流の茶人でもありますからな」
「信長の奴が欲しがっている茶器も持っていて、見せてくれたぞ。ただの茶釜にしか見えなかったがな」
茶釜といえば分福茶釜くらいしか思いつかないのだから、わたしのこの時代での教養の無さが伺えるというものである。
「機会があれば、私も見てみたいものですな」
多少は興味があるらしい。
「まあ茶釜はどうでもいいんだが、少し久秀に茶の湯というのを習ったんだ」
「色葉様がですか?」
「うん。というわけだから貞宗、わたしが茶を点ててやる。ついでに直澄も呼んで来い。そしてうまくできたら褒めろ」
「はあ……」
微妙な返事を寄越す貞宗など放っておいて、わたしは気合を入れると、粛々と茶を点ててやったのである。
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