第95話 織田家よりの使者


     ◇


 織田家の使者として訪れたのは、主に二人。

 村井貞勝と明智光秀である。

 どちらも織田家きっての重臣だ。

 そんな面子を寄越したことに、わたしは少し驚いたほどである。


 わたしが謁見の間に入ると、二人はすでに頭を下げて待っていた。

 一緒に一乗谷から来た景鏡もすでに座していたが、上座は空席のまま。

 当然わたしが座るからである。


「いいぞ。面を上げろ」


 席に落ち着いたわたしは、いつものぶっきらぼうな口調で声をかけた。

 口調はぞんざいなくせに、声は可憐なこともあって、頭を下げていても二人の動揺のようなものが伝わってきてしまう。


 そして顔を上げて、予想通り驚いた顔をしてくれた。

 ……まあ、わたしを初めて見る者は、大抵そんな反応を示すわけだが。


「朝倉様におかれてはご機嫌麗しく……」

「ん、そうでもないぞ? お前達が来たと聞いて、一乗谷から走ってくる羽目になった。その上このように着替えさせられて、うんざりしているところだ」


 素直な感想である。


「これ、色葉」


 でも景鏡には怒られてしまった。

 わたしは肩をすくめつつ、改めて二人を見やる。


 使者の代表は村井貞勝と聞いているから、この手前に座っている初老の男の方だろう。

 となるともう一人が明智光秀か。

 なるほどキンカ頭ね……。


 いかにも苦労人という雰囲気が滲み出ているし、そりゃあ髪も抜けるというものだ。

 ついわたしもそう呼んでみようかなという欲求にかられたものの、やめておく。わたしが本能寺の代わりにこの男に討たれるような展開になるのは、さすがに御免被りたい。


「とりあえず、名乗れ」

「はっ。それがしは村井貞勝。これなるものは明智光秀にございます」

「明智光秀と申します」


 思った通り、禿げ頭の方が光秀だったか。


「わたしが朝倉色葉だ」


 腰の低い二人に対し、わたしはとことん尊大に名乗ってやった。

 外交の場は、ある意味戦場である。

 となれば最初から舐められるのは面白くない。


 というわけで、強気の姿勢で話すことにした。

 普段もそうだろう、と家臣どもなら言いそうだが、ここには景鏡しかいないし。


「一応聞いておこう。お前達が会いにきたのは父上か? それともわたしか?」


 まるで試すかのような問いに、応える貞勝の顔に緊張が走ったのが見えた。

 ここで間違えたら話にもならぬと、そう思ったのだろう。

 別にどっちでもいいのだけど、妙に勘ぐられているようである。

 わたしの態度のせいかもしれないが。


「もちろん、姫君に、です」

「ふうん」


 どうやらわたしのことを何も知らないで来たわけではなさそうだ。


「ならばわたしのことを改めて説明する必要もないな。話を聞こうか」

「しからば」


 わたしのような小娘を前に、名の知れた二人の人物が恐縮しているというのだから、なかなか妙なものではある。


 そういえば今のわたしはいくつの設定になっているんだったかな。

 容姿がまるで変わらないせいで、つい忘れがちになってしまうけど。


「どうやら姫君は回りくどい言い回しは不要のご様子。単刀直入に申し上げましょう」

「それがいいな」

「朝倉殿に、京にお越しいただきたく」

「なに?」


 それは思わぬ言葉だった。

 というより、織田の使者が今更何の用かとも思ったのだ。


 こちらが織田領に攻め入る兆しをみて、時間稼ぎをするために使者を寄越したのか、それとも全く違う理由で来たのか見当もつかなかったのだが……まさか京に来い、とは。


 つい景鏡の顔を見てしまう。

 景鏡にとっても、予想外のことだったらしい。

 わたしを見返す顔が、そう語っていた。


「それは何だ。上洛しろ、ということか?」


 京に入ることを、一般的に上洛という。

 今よりずっと以前、平安京を指して洛陽と呼ぶことがあった。

 洛陽とは中国の都の名前である。


 そのうち洛陽のうち、洛だけでも京の都を指すようになり、京に入ることを上洛と言ったり、その他にも洛中や洛外などといった言葉が生まれたらしい。


「はっ」

「…………」


 さて上洛しろと来たか。

 ちなみに昨年はこっそり京にいたこともあったので、そういう意味ではすでに上洛していたことになる。

 あれはまあ、物見遊山ではあったけれど。


 問題は何を目的にして上洛しろ、ということになるのだが。


「それはあれか? 上洛して信長に挨拶をしろというやつか?」


 やや声が剣呑になる。

 朝倉家と上洛は、やや因縁があるからだ。


 かつて一乗谷に滞在していた足利義昭は、朝倉義景に対して度々上洛戦を求めた。

 しかし義景はこれを受けず、代わりに上洛戦を行って義昭を将軍につけたのが、織田信長だったのである。


 そしてその信長は義昭の命と称して義景に上洛を求め、これを義景が断ると、それを口実に越前に攻め込んできたのだ。


 ちなみに義景が信長からの上洛命令を断った理由は明々白々で、上洛して信長に挨拶するということは、すなわち臣従の意を示すに等しかったからである。


「だとしたら二番煎じもいいところだが」


 このわたしに頭を下げろとは、いい度胸だ。

 不愉快な気分に半眼になって見下ろすと、やや慌てたように貞勝が取り繕った。


「お待ちを。この度の上洛については朝廷からの要請であります。それがしは織田家臣ではありますが、京都所司代を預かる身の上であり、朝廷からの要請もこなさねばなりませぬ」

「朝廷? ふうん」


 まあ嘘だろう。

 しかし体裁を取り繕うつもりはある、ということか。


「貧乏公家どもが、銭を寄越せとでも言ってきているのか?」

「これ色葉、言葉が過ぎるぞ」

「ふん。事実だろう」


 またもや景鏡に怒られたけど、まあ事実である。

 戦国時代がいわゆる応仁の乱より始まったとするならば、それが公家にとっての苦難の始まりとなった。


 この乱によって公家どもが住む京は荒廃。

 公家連中はもちろん、天皇家などは各地の荘園からの収入を頼りに生計を立てていたわけであるが、応仁の乱の戦火から逃れるのに精いっぱいで、荘園経営など二の次になってしまったからである。


 そうして戦国時代に突入し、放っておいた荘園はどうなったかというと、当然これを押領する者が現れてくるわけで、それらの代表が誰であろう、我が朝倉家の祖先で天下一の極悪人とされ、公家連中に嫌われまくった朝倉敏景だったりする。


 当時の公卿の一人である甘露寺親長などは敏景のことを天下悪事始行の張本とし、更には敏景が死んだ際には近年まれに見る慶事とまで言ったそうな。


 このように公家には嫌われていた敏景ではあったものの、その実力は確かで、朝倉氏が主家の斯波氏に対して下克上を成功させ、越前一国を支配するための礎を築いたのは、紛れも無く敏景の功績である。


 ともあれそんな敏景のような輩が現れてきたこともあって、公家どもは荘園からの収入を得ることに難儀するようになり、下向して荘園に移り住み、直接管理し始めるなど、貴族の威光は地に落ちていくことになったのだ。


 まあ自分の荘園に赴いて管理ができたような連中はまだいいが、そんなこともできなかった連中はただ飢えていく一方である。

 話によれば、天皇家ですらその日の食うものに困る始末で、有力武家の支援によって生計を立てていたとか。


 とはいえそんな一見役に立たなさそうな公家どもにも、知性と教養があったのは確かで、その存在が文化の発展に大きく寄与したことは間違いない。


 時代が敏景の頃より降って孝景や義景の時代になると、積極的に公家を一乗谷に招き入れ、その教養をもって文化を花咲かせ、一乗谷は第二の京と呼ばれるほどまでに発展したという。

 家を滅ぼした義景も、平和な時代であれば名君であったかもしれないといわれる所以である。


 ともあれ公家連中にもそのように利用価値があり、こんな時代でもこれを支援する者は少なくなかった、というわけだ。

 特に朝廷に対する支援は勤皇の意思を示すことになり、官位を得るなど対外的な権威を象徴し易くなるなど、意義もある。


 信長などは内心はどうあれ、表面上はせっせと銭を納め、勤皇を心掛けてきたはずだ。

 その甲斐あって、かつて窮地に陥った志賀の陣などでは朝廷を動かして、講和に及んでいるなど、身を助けてもいる。


 とまあ、この時代の公家というのはそんな存在であった。


「現在、松永久秀が丹波に拠って京を脅かさんとしているのはご存知かと思いますが」

「知っている」


 わたしがさせているんだから当然だ。


「そのため京の治安は著しく低下しつつあり、朝廷もこれを不安に思っています」

「かもしれないな。しかしそのための織田家じゃないのか?」

「……恥ずかしながら、松永久秀だけでなく、荒木村重もまた京を狙っている様子。畿内の情勢も不安定なため、我らだけでは即座にこれらを鎮圧することは難しく、そのための助力を得たいという次第であります」

「……つまり、上洛要請というのは信長がわたしに援軍を求めていると、そういうことか?」


 多分、要約すればそういうことだと思うのであるが。


「そのように解釈していただいて、問題ありません」


 なるほど。

 まさか織田が朝倉に援軍を、ね……。


 まあそれだけ畿内の情勢が逼迫しているということだろう。

 やはり久秀が丹波で謀反したのは痛かったようだ。


 これに加えて摂津の荒木村重と石山本願寺、播磨では別所が絶賛反攻中で、大和では筒井順慶が死んでぐちゃぐちゃになっていて、畿内の混乱はなかなかのものである。


「とはいえ天下の織田信長がかつて滅ぼした朝倉に援軍要請とは……らしくないじゃないのか?」


 理由は理解できたものの、そう思ったのも事実である。

 とはいえあの信長ならば、一時を凌ぐためにならば義景にすら頭を下げたこともある奴だ。となれば、今回の窮地に際して不思議な行動とも一概には言えない、か……。


「今回、朝倉殿への上洛要請を上申したのはそれがしでありますゆえ」

「ふうん? つまり信長自身の発案では無い、ということか」

「はっ」


 しかしその案を容れたということは、その利を認めた、というわけでもある。

 やはり視野は広く、応用力も高いということか。


 とはいえどうしたものかと考える。

 今回のことはやはり想定外であったので、対処については当然事前に考えていない。

 これを受けた場合、今後の計画も見直す必要が出て来る。


 それにそもそも受けることに利があるのか。

 さらにいえば、これが大掛かりな罠ではないか、という懸念もあった。

 敵中の真っただ中に飛び込むのだから、当然である。


 はてさて、どうしたものか……。


「色葉よ、ここはひとまず時間をもらえば良かろう。即座に返答できる類のものではないからな」


 わたしが判断しかねているのを見とってか、景鏡がそう口を挟んでくる。

 それもそうだとわたしは頷いた。


「とりあえず要請内容は把握した。父上も言ったが、すぐの答えはしかねるから、しばし待て。まあ数日ほどか。……お前たちはこの城ができてから初めての客でもあるから、それなりに饗応してやるぞ?」

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