第79話 清姫
にこりと笑い、その人影――女は、澄んだ声で問うてくる。
見た目は色葉と同じような年頃だろうか。
白拍子の姿の少女と思しき人物を目の当たりにして、貞宗は冷や汗が流れ落ちるのを止めることができなかった。
その表情は笑顔でありながら、この威圧感は何だというのか。
いや、考えるまでも無い。
普段色葉が放っているのと同じもの――妖気に他ならないだろう。
問題はその圧力が、彼の知るものに引けを取らないことである。
「なぁに? そんなに妖気をだだ洩れにして……恥ずかしくないの? あと、生臭いわよ?」
挑戦的な口調と内容で牽制したのは、当然ながら乙葉である。
その言葉で貞宗にも確信を得るに至った。
目の前の娘が人ではない、ということに。
「言いますね? 獣臭い小娘の分際で。隠形もまともにできていないのはそちらでしょう。恥ずかしくないのですか?」
「これはわざとよ? だって隠す必要なんか無いもの。だってこんなに愛くるしいのだから」
乙葉のこの言葉は事実である。
もともと完全に人の姿に化けていた彼女であったが、色葉に出会って以降、その姿に倣って敢えて半端な隠形ですませていたのだから。
「でもあなたは……ふふ、この臭いからすると蛇か何か? 今だってこっそりと蛇の姿で入ってきたんでしょ? 元がそれで半端に化けたりしたら……ねえ?」
「何が言いたいのです?」
「醜いでしょ、って話よ?」
瞬間、室内が異様に明るくなった。
少女が炎を纏い、それが周囲を照らしたのである。
「待て、待て! 寺を燃やして何とするか!」
鋭く叱責したのは、それまで一人頭を抱えていた久秀であった。
「乙葉殿もあまりこれを挑発するでない! そうでなくても暴走しがちで頭が痛いのじゃからな……!」
「殿? 清は至って普通ですよ? ただ少し、腹が立っただけです」
「ふーん。遠慮せずに燃やせば?」
「いい度胸ですね?」
「舐めるんじゃないわよ?」
「その鬱陶しい尻尾、全て消し炭にしてあげますよ」
「あは。それ、言っちゃうんだ。これって……色葉様にもらった大切なものなのに……よくも、侮辱したなあっ!」
激高する乙葉に、少女は笑みを浮かべて迎え撃つ。
一触即発。
が、それは起きなかった。
床を叩く固い音が、二人を止めたからである。
「二人とも、控えろ」
手にしていた扇子で床を打ち、二人を留めた貞宗が重々しく告げる。
「乙葉、色葉様からの命を破る気か? 無駄な殺生、争いは避けよと申し付けられたはず。これを報告すれば、色葉様は大層不機嫌になるだろうな」
「で、でも……!」
「それでも退け。さすれば色葉様は褒めて下さるだろう」
「……本当に?」
「お前の忠誠は、包み隠さず伝えるゆえ」
「…………そう。なら貞宗に免じてさっきの暴言は聞かなかったことにするわ」
ごねることなく退いた乙葉に、貞宗は内心で息を吐き出していた。
貞宗は朝倉家中にあって、色葉に対して憚りなく諫言できる人物として知られ、一目置かれている。
それは乙葉に対しても変わらない。
そのため朝倉家臣らはもちろんのこと、雪葉の貞宗に対する評価も高い。
とはいうものの、諫言をして貞宗の神経が疲労するのは、実際のところ避けられるものではなかった。
相手はひとなど軽く八つ裂きにできるような輩なのである。
そんな相手に機嫌を損ねるような発言をすることは、それこそ生きた心地がしないからだ。
家中では豪胆と思われている貞宗も、実のところ他人とさほど変わらない精神の持ち主であるのだから、やむを得ないことではあるが。
一方の少女の方も口をつぐんで貞宗を観察した。
一見、ひ弱な普通のひとにしか見えない。
しかしこの妖狐を支配しているのか何なのか、すぐにも大人しくさせたことには素直に驚いた。
この妖狐は外見こそ子供であるが、その実かなりの齢を重ねた妖だろう。
うまく隠してはいるが、時折見せる妖気はかなりのもので、少女をして警戒させるには十分なものだったのである。
とはいえもちろん、自身が劣っているとは露ほどにも思わなかったが。
「……清。おぬしもやめよ。相手はわしの客人ぞ? 恥をかかせるな」
「……わかりました。ですが清というものがありながら、あのような者と密会していた理由はつまびらかにしていただけるのですね?」
でなくては納得できませんよ? と不満を表明する清と呼ばれた少女は、それでもとりあえずは妖気をしまい込んだようだった。
それに合わせて炎が消え、周囲は再び暗闇に落ちる。
「客人、と申したであろう」
「人目を憚る様な?」
「そうじゃ。納得せよ」
「……むぅ」
不満たらたらのようではあったものの、これ以上ごねるのもうまくないと思ったのだろう。
清は久秀のすぐ隣に座り込み、袖を掴んで甘えるように自身の身体を預ける。
それこそ人目を憚らずに、だ。
もっとも二人の外見からすれば、祖父に甘える孫娘、といった図にしか見えなかったが。
「すまぬの。これはなかなかに嫉妬深くて手を焼いておるのだ。雌の馬に触れるだけでも目くじらを立てる始末でな……」
「はあ」
貞宗としては答えようも無く、相槌を打つことしかできなかった。
苦笑しつつ、久秀は清との出会いを話し始める。
出会ったのはつい昨年のこと。
昨年の初め、つまり天正五年の二月から三月にかけて、信長は大軍をもって雑賀侵攻を行っている。
これは石山本願寺を攻めあぐねていた信長が、その支援や補給の拠点となっていた雑賀攻略をなすことで、外堀から埋めて本願寺を締め上げていこうという、戦略に則ったものであった。
総大将は信長の嫡男・信忠で、その他多数の将兵の中に、筒井順慶も加わっていたのである。
この雑賀侵攻は雑賀衆の鈴木孫一らが降伏することで和睦し、織田勢は撤退。
のちに久秀は順慶からその時のことを聞き、紀伊の山林の中で妙な鐘を見つけた話を耳にすることになった。
話はただそれでだけで終わるはずだったのであるが、ところが半年もしないうちに雑賀衆は再起。
これが七月のことで、対して信長も佐久間信盛に七万余の大軍を任せて制圧に向かわせたのであるが、これに失敗。
この時、本願寺攻めに加わって天王寺砦に詰めていた久秀にも動員がかかり、紀州へと赴くことになったのである。
そして例の鐘に巡り合ったのだった。
順慶の話を事前に耳にしていなければ、気にもかけなかったのであろうが、ともあれそれから紆余曲折あり、この清なる白拍子が久秀の元に身を寄せることになったことは、事実であった。
清姫伝説、と呼ばれるものがある。
時は延長六年。
醍醐天皇の御代のことである。
今より遡ること六百五十年は昔のことだ。
奥州より毎年のように熊野に参拝に来る山伏を泊めていた庄司清次という人物は、娘に対して「あれこそお前の夫になる者である」と、常々そう言い聞かせていたという。
もちろん、親の冗談の類である。
しかしこれを信じた少女はついにその山伏に直談判し、自分を嫁にもらうよう詰め寄ったという。
その山伏にしてみれば初耳にして驚く他無かったが、それをあしらい、しかし少女の気迫に不安を覚えていたこともあって、道成寺に入って僧に匿ってもらうように頼んだのだった。
その際山伏は、下ろしてもらった寺の鐘の中に身を潜めたという。
一方、裏切られたと感じた少女は山伏を憎悪して大毒蛇と化し、道成寺に入った上で鐘に巻き付いて炎を吐きつけ、中の山伏共々鐘を溶かし、殺してしまったのである。
その山伏、あるいは僧の名を、安珍という。
それから四百年ほど経過した正平十四年。
忌まわしき事件により失われていた寺の鐘を再興する運びになったのであるが、完成した鐘を上げようとすると白拍子の少女が現れ、蛇に姿を変えると鐘に入り込み、これを妨害。
僧たちは一心に祈念して怨霊退散を行い、ようやく鐘は吊り上げられたものの、以後周辺に疫病や災害などの祟りが頻発したため、ついには山林に捨てられたのだった。
そして更に二百年が経過し、打ち捨てられたこの曰く付きの鐘を手にしたのが、久秀だったという次第である。
死すべき時に死ねなかった久秀に、あるいは纏わりついた呪いの類だったのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます