第73話 疋壇城と磯野員昌


     ◇


 翌朝。

 まだ早い時間に金ヶ崎城を出たわたし達一行が向かったのは、疋壇城である。


 ここは近江と越前の国境付近にあたり、朝倉氏はこの城をもって国境守備を行ってきた。

 この疋田という場所は、古くから交通の要衝として知られている。

 近江から越前に向かうためにはいくつかの道を選ぶことができるが、それらが一旦ここで集合するからである。


 例えば七里半越、深坂越などがあり、また古代三関の一つ、愛発関が置かれたこともあった重要な地であった。

 戦国時代に入り、朝倉氏によってここに築かれたのが疋壇城なのである。


 ちなみにこの城は二度行われた織田信長の侵攻の際、二度とも陥落している。

 ここを落とされたことで、織田勢の敦賀への侵入を許してしまったわけであるが、ここで防げるものならば防ぎたいというのがわたしの考えであり、そのために以前から城の大幅な改修を行わせていた。


「……壁?」


 ここに来るのが初めてである景成が、徐々に視界に映ってきたものを目にして思わず声に出してしまったようだった。

 まったくその通りで、街道を遮るようにして突如壁が現れたように見えるだろう。


 壁に見えるのは築地塀であるが、それが山と山の間の僅かな平地に設けられた街道を完全に塞いでおり、いわゆる長城を成しているのである。

 壁の高さ、厚さもかなりのもので、和風ではあるものの、わたしが最初に想像していた万里の長城に近い完成度となっていた。


 この長城の上には兵を配置可能で、また多くの狭間を設けており、鉄砲での効率の良い迎撃が可能になっている。

 しかもこの長城は屋根付きなので、雨天時でも火縄銃の使用がある程度可能だ。

 更に壁の内側に複数の櫓を構築させているので、あらゆる角度からの射撃による迎撃もでき、まさに鉄壁な要塞に仕立て上げたのだった。


 ついでにいえば、敵がこの長城突破を不可能と考え、迂回するために周囲の道無き道を利用した山越えを敢行する可能性も考えて、周囲には支城となる砦をいくつも構築させている。


 そのためこの疋田一帯に詰めさせている兵の数は馬鹿にならず、銭もかかるが、それを惜しむつもりは無かった。

 必要な経費は経済を豊かにしてしっかり稼いでいるから、今のところ朝倉の財政状況は良好であり、問題無い。


「このような巨大な関は見たことがありませんな……」


 街道を塞ぐ形で築かれているので、当然行き来のための門も作られており、それもまた頑丈かつ重厚な作りになっている。

 元々は一乗谷を防御している城戸を参考にしたのである。


「せっかくだから徹底して作らせてみたんだ。この長城は疋壇城と繋がっていて……というか、疋壇城が長城の一部を成しているといった方が適当か」


 だからこそこれは、疋壇長城とも呼ばれているわけだ。


「狭い谷間とはいえ、それでもそれを塞ぐ規模の建築物となると……相当な規模ですな。これだけではあまりに長すぎて逆に守りにくくもあるように見えますが、十分な兵力と鉄砲さえ用意できればまず突破は不可能でしょう」


 貞宗の言葉に、わたしはうんうんと頷いてみせる。


「元々鉄砲の運用が最適化できるようにと思って作らせたからな。壁も真っ直ぐじゃなく、いくつもの稜堡を作らせているから、お互いに守り合うことができるようにもなっている」


 とにかくこの時代は鉄砲である。

 これをいかにうまく運用できるかで、勝敗が左右されると言っても過言ではないだろう。


 守り手が鉄砲を大量に保有している場合、攻め手がこれを落とすことはかなり難しくなることは間違いない。

 一向一揆に各大名があれほど手こずったのは、やはり鉄砲の存在が大きかったと言わざるを得ないだろう。


「で、景建。鉄砲の方はどうなっている?」

「はっ。現在約千丁が配備済みです。弾薬等も姫が用意して下さったこともあり、十分な量を確保できているかと思われます」


 千あればかなりの効果を発揮するだろうが、多ければ多いに越したことはない。

 現在、朝倉の経済力はなかなかのもので、鉄砲購入に回せる銭も増やすことができ、景建にはより多くの鉄砲を集めさせていたのである。


 一方で一乗谷において鉄砲の生産を行わせており、徐々に大量生産への態勢ができつつもあった。

 ちなみに北陸平定の際には、加賀一向一揆が大量に保有していた鉄砲を手に入れることができたので、かなり助かったといえるだろう。


「とにかく集められるだけ集めろ」

「ははっ」

「ときに……この疋壇長城は誰に任せているんだ?」


 敦賀郡司である景建には、この敦賀においてはかなりの裁量権がある。

 この疋壇長城の城将についても、景建に一任していたのだが……。


「これまではそれがしが兼任しておりましたが、最近新たな者を召し抱えましたので、その者に任せようかと考えております。姫の御裁可がいただければ、ですが」

「優秀と思う人材ならば、遠慮せずに登用しろ。有事の際にはお前が敦賀防御の総指揮を執ることになるわけだからな」

「もしよろしければ一度姫に挨拶をさせようかと思い、本人にも今日の日取りを伝えてあるのですが」

「うん。構わないぞ」


 どうせ疋壇城にも一度入るつもりだったのだから、ついでといえばついでだ。

 そういうわけで案内された疋壇城の門の前には、如何にも待っていましたとばかりに複数の男たちが待っていたのである。


「お初にお目にかかります。拙者、磯野員昌と申します」


 その中で一番の高齢と思われる五十代くらいの男は、まずそう名乗った。


 磯野員昌?

 どこかで聞いた名である。


『磯野員昌とは元は浅井家臣です。浅井家滅亡以前に織田家に降り、高島郡を領地として与えられ、重用された人物です』


 久しぶりにアカシアの自動解説が聞けたな。

 便利なものである。

 その後も長々と続くアカシアの説明を聞きながら、わたしは跪く員昌へと声をかけた。


「面を上げろ」

「は」


 そこで初めて員昌はわたしの顔をまともに見て、やや驚いたようだった。

 事前に景建に聞いてはいたのだろうが、まあ実際に初めてわたしの顔を見た者の反応は、こんなものである。

 わたしの容貌に驚いているのか、耳やら尻尾やらの容姿に驚いているのか……まあ全てだろうけど。


「磯野員昌とか言ったな。今では織田家臣のお前がどうして朝倉に来た?」

「織田の殿と意見を違えたことが理由です。もう歳であるのだからとっとと跡目を譲れと申し付けられまして、しかし拙者はまだまだ現役であるとお断りしたところ、これまた大層叱責された次第でしてな。まあ叱られるのは良いのですが、今後活躍の機会が得られぬのはやはり惜しいと思い、織田家を出奔したのです」

「ふうん。それでかつて共に戦った景建を頼ったというわけか」

「は……よくご存じで」


 アカシアの受け売りだけどな。

 しかしなるほど……。

 アカシアの説明によれば、史実においても員昌は織田家を出奔している。


 ちなみに磯野員昌といえば、浅井家の猛将として知られていた人物でもある。

 浅井家臣の時代は佐和山城を守り、南近江の六角氏と戦って武功をあげたという。


 そして元亀元年に行われた姉川の戦いにおいては、朝倉家の援軍として参陣した景建と共に、織田・徳川軍と戦った経緯があった。

 その姉川の戦いで織田本陣にあと一歩まで迫った員昌の突撃について、員昌の姉川十一段崩しとして今に伝わり、その武勇を更に高めたという。


 姉川の戦いに朝倉・浅井連合軍は敗退し、浅井方の横山城を織田方に奪われたことで、員昌の佐和山城と浅井氏の本拠であった小谷城が分断されることになり、員昌はやむなく織田家に降ったのである。


 この時の信長は、織田の譜代家臣に劣らぬ知行を員昌に与えており、さらには信長の弟でかつて謀反した織田信行の子である信澄を養嗣子にするなど、破格の待遇をして用いたらしい。


 その後各地を転戦するものの、今年の初めになって信長に叱責されたことが原因で突如出奔し、本能寺の変後に領地であった高島郡に戻り、帰農したといわれているとのこと。

 史実では出奔していた間、どこで何をしていたかは知られていないが、この世界においては朝倉家が健在であり、かつての縁もあって訪れてみた、というところだろう。


「他の者は?」


 員昌の後ろに控えている三人の男を見て、わたしは尋ねる。


「これらは我が息子の行信と政長、そして娘婿の小堀正次であります」

「一族引き連れて朝倉に来た、というわけか」

「はっ」

「いいだろう。お前の武名は聞いているし、景建の望み通りにこの疋壇城の城代を任そう。が、その前に一度一乗谷に来い」


 そのわたしの言葉に、うげ、というおかしな声を上げたのは、景建である。

 新しく召し抱えた家臣は一度必ず一乗谷のわたしの下で、教育というか調教というか、そういうのを施していることを景建も知っていたからだろう。

 それを通過することができて、初めて直臣として認めているのである。


 員昌の場合は景建が召し抱えたのだから、わたしからすると陪臣に当たるので、そこまでする必要の無いのかもしれないが……まあ気分である。


「失礼ながら一乗谷は灰燼に帰したと聞き及んでいますが」

「その通りだ。今の越前の中心は一乗谷ではなく、北ノ庄であることは間違いない。だがわたしは静かなのが好きだからな。基本的には一乗谷にある館に住んでいる。まああそこに行けば、お前たちが朝倉で家臣としてやっていけるか分かるというものだ」


 そこでつい嗜虐的な笑みを浮かべてしまいそうになったところを、さりげなく貞宗が咳払いをしたことで、どうにか思いとどまった。


「とはいえその前に、このことだけは聞いておこう。一目瞭然だろうが、わたしは完全にひと、というわけでもない。それでも仕えることを良しとするか?」


 自分の尻尾を撫でながら、改めて尋ねた。

 わたしは自分のことを妖とは思っていないが、外見上はそう見えてしまう。


 隠形といった方法で隠すこともできるらしいが、アカシアが渋るのでやっていないし、何より面倒くさい。

 隠形のできる乙葉もどういうわけかわたしを真似て、仕えるようになってからは人目を憚らずに今の姿を保っているし、わたしとしても今更、なのである。


 とはいうものの、このような存在を忌避する者も確かに存在する。

 そういった輩は最初から追い出すに限るのだ。


「……噂は耳にしておりました。が、ここまでの美貌を見せつけられては、むしろ人でない方が得心いくというもの。現在の朝倉家の躍進を聞き及ぶに、その手腕も確かなのでしょう。景建殿には一応覚悟しろとは言われましたが、まずは仕えてみねば分からぬというものです。であれば、今は仕えることに否やはありませぬぞ」

「その美貌とやらも、自分では自分を見ることがかなわないから、何やら損した気分ではあるがな」


 わたしは肩をすくめつつ、とりあえず問題ないだろうと判断した。

 しかしこんなところで思わぬ拾い物ができて、僥倖である。

 やはり領地が増え、国力が増し、繁栄すれば自然に人というものは集まってくるのだろう。

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