第66話 謙信の死


     /色葉


 天正六年三月十三日の夜。


 上杉家にとって運命の日が訪れていた。

 すなわち上杉謙信の死去である。


「色葉、どういうことだ? 上杉勢がにわかに動き出したぞ」


 すでに戦支度を整えた晴景ら諸将に対し、増山城にてわたしは不敵に笑ってみせた。


「上杉謙信が死んだ。だからだ」

「なんと!?」


 家臣どもが驚きに目を見開くが、中には当然信じられない者も多いようだった。

 あの軍神が、如何にして死ぬものか、と。


「まあ、酒の飲みすぎだな」


 肩をすくめるわたしだったが、家臣どもはやはり信じられないらしい。

 とはいえこれは事実である。


 酒の飲み過ぎ、塩分の取り過ぎ……まあ有名な話だ。

 死因は高血圧による脳血管障害、というのが定説である。

 史実の謙信は九日の時点で倒れ、本日十三日に急死したはずだった。


 享年四十九。

 この時代でいえば、早いのか遅いのか微妙な年齢である。


 もっともわたしの見解でいえば、酒だけが原因とは思っていない。

 望月千代女などもそうだったが、何かしらの加護を受けて人外の力を発揮しているような輩は、その分何かを代償にしているはずである。


 千代女などは絶対にあの陰険な性格が代償になっているとは思うが、謙信の場合は何だったのか。

 考えられるのはこれまた有名な、生涯不犯であったことなどだろうか。

 またあれほどの力を得ている以上、他に寿命などを犠牲にしていたとしても全く不思議ではなかった。


 とはいえ史実通りに謙信が死ぬという確証も無かったので、この日に向けて十分に上杉勢の動向を探らせてはいた。

 特に今回は乙葉を送り込み、謙信が富山城で死去したことはすでに確認済である。


 そしてこの時、乙葉は思わぬ拾い物をしてくるのだが……これはまた後の話である。

 ともあれこれこそが、一発逆転の好機であると、以前からわたしは捉えていたのだった。


「いいか。謙信の存在は大きすぎた。これが死んだことで、上杉家は一挙に崩れる。それはもう見事にな。恐らく今、家中は大混乱に陥っているはずだ。その死は隠すだろうが、一両日中には越後へ撤退すると思われる。そこを、突く」

「し、しかし色葉。それが真実であったとしても、当主の死に付け込むような真似をするのは……」


 思った通り、晴景は難色を示してきた。


「仮に撤退するのであれば、させてしまえばいい。その後ならば越中、能登の両国を平定することも容易いのではないか?」


 当初ならば、それでも良いと考えていた。

 しかし今は違う。


「確かにな。しかし神通川で敗北したこともあって、越中での勢力的にはこちらが不利だ。できないことは無いだろうが、時間がかかり過ぎる」


 それでは困るのである。


「それに玄任や直保の仇でもある。恨みは晴らす。わたしのためにもな」


 ここで上杉方に大打撃を与えることに成功すれば、越中での情勢は一気に朝倉に傾く。

 それは絶対に必要なことでもあった。


「だが、勘違いはして欲しくないが、上杉を滅ぼす気は無い。一戦ののち、和睦する」

「和睦、だと?」

「そうだ」


 そしてこれはわたしの予想であるが、この和睦は上杉方から持ち掛けてくることになるはずだった。

 同じ和睦でも、不利な方が不利な条件を呑まされるのは世の常である。


「だがそのためには絶対に勝利が必要だ。兵の出し惜しみはしない。一挙にこれを叩く。……総大将は当然、晴景様だぞ?」


 これこそが、晴景にとっての名誉挽回の機会でもあった。


「う……うむ!」


 やはり先の敗戦が堪えているせいか、いつになく緊張している様子だ。

 が、乗り越えてもらわなければならない。


「いいか家臣ども。功を立てる好機だ。わたしを失望させるなよ?」


 そんなわたしの言葉といつもの笑みに、家臣一同は一斉に頷いた。

 果たして翌十四日。

 朝倉勢約一万余騎は、増山城から出陣したのである。


     /


 色葉の予想通り、上杉方では混乱の極みにあった。

 上杉勢は精強であり、それは誰もが認めるところであったが、上杉謙信の存在があってこそ、という面も認めざるを得ない。


 この事が周辺諸国に知られれば、今こそ好機とばかりに侵攻を許す事態になりかねないだろう。

 謙信の強敵であった武田信玄が死去した時なども、良い例となる。


 信玄は上洛のための西上作戦の途上であったが、その死により進軍を断念し、武田勢は甲斐へと撤退。

 後を継いだ武田勝頼は諸国に侮られることを避けるために積極的に外征を行い、一定の成果を収めたものの、ついには長篠で敗北するに至っている。


 では上杉の場合はどうか。

 宿敵であった武田家とは長篠を契機に同盟を結んでおり、差し当たっては問題無い。

 問題なのは関東方面の北条家である。

 北条家と上杉家は現在険悪な関係であり、しかし関東方面では北条家が優勢で、厳しい状況が続いていた。

 そして何より問題なのは、越中情勢である。


 昨年より朝倉家と対峙しており、一度大きな勝利は得たものの、以降の朝倉方は実に老獪で決して退かぬ一方で戦わず、上杉方を越中に釘付けにして、翻弄し続けてきたのだ。

 その間に敗戦の傷を癒し、軍備の再編に努めていることは疑いようもなく、今ここで朝倉方に謙信の死を悟られでもすれば、一挙に攻勢に転じてくる可能性がある。


 まともにぶつかれば上杉勢の敗北など思いもよらぬことであるが、しかし明らかに浮足立ってしまっている現状、非常に危険であると言わざるを得なかった。

 とにかく一度、越後に戻って態勢を立て直さなければどうにもならない。


 謙信が存命中に越後に戻れていればまだ良かったのであるが、まるでそれを邪魔するかのように朝倉勢は進出と後退を繰り返し、謙信にそれを許さなかったのである。

 その結果、最前線での死去という、最悪の状況になってしまったのだった。


 ともあれ越後への撤退については、速やかに決定された。

 当然、急な撤退は朝倉の疑念を招き、追撃を誘発しかねない。


 そのためまず上杉景虎が謙信の遺体を守って先発し、越後に帰還。

 上杉景勝が残り、殿となって朝倉勢を牽制し、機を見て撤退する、という方針となった。


 謙信の後継者と目されている景勝が残ることに関しては、家臣の中でも異論が出たものの、結局景勝自身の意思もあってそのように決定されることになる。


 三月十四日。

 謙信の死の翌日に、早くも上杉景虎率いる先発隊が進発。


 ところがその日の午後になって、上杉方の守山城が朝倉方の急襲を受けたとの報がもたらされた。

 守山城は越中平野を一望することのできる山城で、小矢部川を前方に構えた要害であり、またその立地から越中から能登へと至る街道を抑えた重要な拠点である。


 これまで何度も守山城は朝倉勢に攻められてはいたものの、その全てに力無く、適度に攻めては退いていくという繰り返しであったため、この日もまた同じであろうと上杉方に油断があったことは否めない。


 しかし朝倉晴景率いる一万の朝倉勢は、まさにこれを猛攻。

 わずか半日で落城せしめたのであった。

 夜の時点で守山城落城間近という報告を受けた景勝は、援軍派遣を断念。


「しからばこの地を守るのみ」


 富山城での籠城を決意した。

 警戒する朝倉勢の動きは早く、翌十五日には守山城を進発し、海岸付近を移動して富山城付近まで至ると神通川の手前に陣を張り、徐々に渡河を開始。


 富山城から距離を取っていたこともあり、富山城の上杉勢はこれを見守るしかなかったが、翌日になって朝倉勢は思わぬ行動に出たのである。

 十六日、いよいよ富山城への包囲が始まるかと思った矢先、景勝は意外な報告を受けることになった。


「朝倉勢、東進す」


 つまり富山城を無視する形で、東に進路を取ったのである。

 当然ここは上杉家の領国であり、その中を単身進軍するなど、あまりにも大胆な行為であった。


 そのため景勝は逆に判断に窮した。

 このまますぐに追撃するよりも、もっと敵を領国深くに引きずり込んでから攻撃すべしと考える一方、何かの罠ではないかとも勘ぐったからである。


 何より、謙信の死に呼応するかのような朝倉勢の積極的な行動が、あまりに不気味だった。

 すでに謙信の死が知られているのでは、と思ったのである。


 そのため一日を無為に過ごし、その間に朝倉勢は更に進み、北東に進路を変え、越後方面へと進軍を続けたのだった。

 明らかに、景虎の跡を追っているかのような進路である。


 この時、景虎隊と景勝隊がうまく呼応し、朝倉勢を挟撃できれば、勝利は疑いなかったかもしれない。

 しかし疑心暗鬼になっていた景勝と、先を急ぐ景虎に連携などは存在しなかったことはいうまでもないだろう。


 とはいえこれ以上の進軍を見過ごせなくなった景勝は、朝倉勢の追撃を決意して、富山城を出陣。


 そして十八日。

 景虎隊は北陸道を越後に向かって進んでいたが、越中と越後の間にある北陸道最大の難所と呼ばれる場所に差し掛かっていた。

 すなわち親不知・子不知である。


 ここは飛騨山脈の北海――いわゆる現代でいうところの日本海――側の端に当たる部分であり、断崖になっているため、ここを通過するには断崖の下の海岸線を進まなければならないという難所中の難所だ。


 これを通過中であった景虎隊は、ここで思わぬ奇襲を受けることになる。

 突如断崖の上から雨あられとばかりに、岩や切り倒された木々が落下してきたことで、それらに圧し潰される者、慌てて海へと逃げて波に呑まれ溺れる者など数知れず、大混乱に陥ったのだった。


「したり!」


 これこそ色葉が密かに先行させていた、姉小路隊の仕業である。

 苦難に苦難を重ね、山から山へと移動して親不知に辿り着いた一行は、入念に準備をして上杉勢の通過を待ち構えていたのだった。


 越中一国を約束され喜んだ頼綱であったが、その後のあまりに過酷な命令に道中ではぼやき通しであったものの、いざ成功すれば破顔したことはいうまでもない。


 それはともかく、上杉勢の被害は後備に集中したこともあって、景虎らは無事に通過。

 しかし道は塞がれ、戻ることもできない状況になってしまったのである。

 そしてこの情報は、故意に景勝勢へともたらされることになった。


 これを知って慌てたのが景勝らである。

 景虎との連絡だけでなく、越後への道までも断たれ、いわば越中に孤立する形になってしまったのだ。


 景勝隊は大急ぎで進軍し、魚津城の手前で朝倉勢に追いつき、これに決戦を挑んだのである。

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