第58話 望郷と酒宴
◇
「いやはや見事な手並みでしたな」
富山城を接収した晴景は、家臣らと共にその戦勝を大いに祝っていた。
「僅か七日でこの浮城を落とすとは、これで若殿の武名は否応なく上がりましたな」
朝倉景忠の言に、晴景はいやいやと首を横に振る。
「皆の助けあってのこと。俺一人の力ではない」
「謙遜なされますな。松任の戦いでの指揮も見事であったと聞きますぞ。そして此度の富山城攻めも実に見事。これは宗滴様にも引けをとらぬと皆喜んでおりまする!」
酒宴の中、いかにもいかにも、と口々に諸将が頷く。
実際のところ、昨年の加賀平定と今回の富山城攻略をもって、晴景の株は朝倉家の中で大いに上がっていたのである。
特に今回の富山城攻めは、事前に一揆の誘発を準備し、しかし僅か一週間で富山城を落とせたことで、周辺地域が荒廃する前に解散させることができたことは大きい。
また二度に渡る総攻撃も、もちろん手は抜かなかったが、闇雲に攻めたわけではない。
そのようにみせかけた、戦だった。
これは景勝の退去を促す目的の為である。
そのため被害は当初予定されていたよりも少なく、それも家臣は褒めるのであった。
「待て待て。あまり褒めるな。此度の戦、事前に準備をしたのは色葉である。俺はそれを手伝ったに過ぎぬよ」
「ほう、やはり姫の仕業でしたか」
家臣一同に、納得した様子が次々に浮かんでいく。
「俺には過ぎた嫁であるな。やや恥ずかしくも思う」
「とはいえ若殿。姫様のご気性は我らも十分に知り得ておりますが、存外に亭主関白であると聞き及んでおりますぞ? 我らにはその……多少厳しくはありますが、若殿には天女のようであると」
「うむ……? そう、なのか?」
「いかにも」
口を揃える家臣一同に、晴景は苦笑をもらした。
「度々家臣には優しくしろと言っているのだがな」
「いやいや、若殿。姫は案外お優しいですぞ」
そう言うのは朝倉景胤である。
「言葉はぞんざいですが、常に領地を見て回り、領民の評判も非常によろしい。しかもあのご容姿ですからな。口さえ噤んでおられれば、公家の姫なども及びもつかぬ美貌であり、実に若殿が羨ましい限り」
「おかげで姫に仕える我らも民の羨望の的となっており、働き甲斐があるというか、何というか」
「げにもげにも」
家臣の言葉に、晴景は満足したように頷いてみせた。
「まあ口が悪いのは許してやって欲しい。あれはあれなりに、優しいところも多い。他家の俺をここまで立ててくれている恩もある。これからも、色葉のことをよろしく頼むぞ」
晴景の言葉に一同は頷き、その夜の酒宴は大いに盛り上がったのだった。
◇
「うーん……と。みんなべろんべろんじゃないの。酒臭いし」
夜風に当たりつつ、そんな風にぼやくのは乙葉である。
他の家臣どものことはどうでもいいが、とりあえず酔い潰れてしまった晴景の面倒は見る必要があるだろう。
そういう乙葉も月を肴に一杯やっているのは、ご愛敬である。
そんな乙葉へと、冷たい風が吹きつけた。
夏にしては異様に寒い風に、乙葉は肩をすくめてみせる。
「雪葉?」
「――ご苦労様です、乙葉様」
不意に現れたのは、冷気を纏った雪葉だ。
「色葉様はいいなあ……。夏に雪葉がいると、とても涼しいし」
いつも思っていることであるが、本気で羨ましく感じてしまう。
ただし冬は御免被るのであるが。
「で、なに? ちゃんとお仕事してるわよ?」
「晴景様は?」
「酔っぱらっちゃってる」
「……まあ、今宵はよろしいでしょう」
生活態度に厳しい雪葉がそんなことを言うのを耳にして、乙葉はやや意外そうに小首を傾げてみせた。
「どうしたの? 口うるさく文句でも言うかと思ってたのに」
「今回の勝利のこと、姫様が殊の外お喜びになられまして、その旨を伝えるようおおせつかったのですが……。お眠りとあらば、致し方ありませんので、明日にもあなたからお伝え下さい」
「色葉様が? ふぅん……。今回付いていらっしゃらなかったのは意外だったんだけど、やっぱり心配されてたんだ」
「晴景様は、まだお若くありますから」
「まあそうだけど」
すでに四百年を生きている乙葉などからすれば、大抵の相手は子供のようなものである。
「そういえば雪葉って、いくつなの? 妾よりは年下なんでしょ?」
「さて……はっきりとは覚えていませんが、生まれは永正の乱の頃、と聞いております」
「永正の乱? ええと……確か長尾為景……だったかしら。あれが謀反して、越後の守護だった上杉房能を殺した時の話でしょ? 今から七十年くらい前になるんじゃないの?」
「そうなりますね」
「なんだ。意外に年増なのね」
「乙葉様に言われたくありませんが」
「それもそうだけど」
ふうん、そうなんだ、と頷く乙葉に、今度は意外そうに雪葉が視線を投げかけてきた。
「なあに?」
「少し、驚きました。人の世のことなど興味は無いのかと思っていましたので」
「そうでもないわよ? 俗っぽいこと好きだもの。時々人に化けて、あちこちで遊んだりもしていたから」
「生まれはどちらなのです?」
「下野国。雪葉は?」
「越後国です」
「へえ、そうなんだ」
乙葉にしても雪葉にしても、お互いに色葉に仕えるようになってからの関係であるが、案外お互いのことをあまり知らなかった。
詮索しなかった、という方が正しいかもしれない。
「越後って、もうあとちょっとじゃないの。懐かしい?」
「……そうですね」
「色葉様にお願いしたら? 北陸平定の後は、越後に攻め込んでもらって、これを手に入れたらもらっちゃえばいいじゃない」
そんな乙葉の言葉に、雪葉は小さく笑む。
「色葉様は越後を手に入れるおつもりはないようですよ」
「え、そうなの?」
「はい。そうおっしゃられていましたので」
「ふうん……。じゃあどうして越後の上杉と戦ってるのかしら」
首をひねる乙葉。
「もちろん、越中と能登を手に入れるためですよ」
「でも越後はいらないんだ?」
「越後は治めにくい土地ですからね。今の越後の支配者である上杉謙信ですら、これまで幾度も起きた反乱に手を焼いてきたのですから。それにそこまで進出すると、今度は関東を相手にすることになりますから……」
そこで何かに気づいたように、雪葉は一度言葉を止めた。
少し考えてから、浮かんだ疑問を口にする。
「乙葉様の生まれは下野国とおっしゃっていましたね。もしかして欲しいのですか?」
「あー、いらない」
答えは早かった。
「確かに生まれた国だけど、あそこって妾の墓場でもあるから……あまり居心地が良くないの」
「墓場、ですか?」
「そう」
「……色々あったのですね」
深くは尋ねない雪葉に、乙葉も珍しく柔らかい笑みを浮かべてみせる。
「雪葉って優しいわね、本当に。その優しさって色葉様だけに向けられていると思ってたから、少し意外」
「あなたは色葉様のものなのです。ならばそれに準じた扱いをするのは当然でしょう」
「うわ、素直じゃないの。雪女ってみんなそうなの?」
「わたくしは素直に思ったことを口にしただけです。……あと、先ほどわたくしのことを年増だのおっしゃっていたようですが、色葉様にお力をいただくまでは、冬のごく一部の期間のみ、活動できていたのです」
「えっと、何が言いたいわけ?」
「実際に活動できていた期間はとても短い、ということです。つまり、とても若いのですよ、わたくしは」
「うわ、根に持ってたわけ? というか妾の方がずっと年上なんだから、いちいちつっかからなくてもいいじゃないの」
乙葉は苦笑しつつ、手にしていた酒杯を放り投げる。
思わず受け取った雪葉へと乙葉は瓶子を掲げてみせて、中身がまだあることを示してから言うのだった。
「飲みましょうよ? けっこういけるんでしょ?」
「……わたくしは」
「いいからいいから」
強引に酒を注ぎ、それを見つめる雪葉はしばし躊躇ったものの、結局口へと杯を運び、喉へと流し込んだ。
「……ふう」
「ほら。次は妾の番。注いで?」
「……乙葉様はもう十分に召し上がったのでしょうに」
「全然足りないわよ」
一つの杯でお互いに酒を飲み合い、数杯を空けてから、満足そうに乙葉は空を見上げる。
「たまにはいいかな、こういうのも。でも……色葉様もいてくれれば最高だったのにね」
「そうですわね」
「珍しく意見が合っちゃったか。明日は雨ねえ……」
「明日も晴れですよ。これほど満天の星空が見えるのですから」
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