第49話 黒井城の戦い


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 丹波国。

 この地域は京の北西の入口に当たり、その地理的な特性から時の権力者に重要視された国である。


 戦国時代、この丹波国には諸豪族が割拠していたものの、その中にあって最も勢力を拡大したのが、氷上、天田、何鹿など三郡を支配した赤井氏であり、第二勢力が波多野氏であった。


 永禄十三年三月には織田信長が上洛を果たし、その際に赤井氏も波多野氏も信長に臣従し、本領を安堵されている。


 ところが元亀二年になると、赤井氏の領地であった氷上郡へと、隣国但馬国の戦国大名・山名祐豊が侵攻。

 これを撃退したのが赤井直正であり、直正は撃退だけに留まらず、天正三年には逆に攻め入って竹田城を陥落させ、これを手に入れることに成功した。


 しかし窮した祐豊は信長に援軍を要請し、これが信長の丹波侵攻を招くことになってしまう。

 このような状況の中で、足利義昭や甲斐の武田氏などから接触を持たれ、徐々に反信長側に取り込まれていくことになるのである。


 そして天正三年十月になり、信長は重臣である明智光秀を総大将として、赤井直正征伐を本格的に敢行させたのだった。


 織田方の動きを察知した直正は、黒井城に入って態勢を整え、迎撃の構えをみせた。

 一方の織田方は丹波の国人衆を調略し、これを取り込んで、圧倒的な兵力で黒井城を包囲したのである。


 この時、丹波国の第二勢力であった波多野氏も織田方について参戦しており、赤井勢は圧倒的不利な状況であった。


 そして包囲は順調に続き、年を越えて天正四年一月。

 変化が訪れることになる。


     ◇


「なに? 朝倉より密使だと?」

「はっ。大日方なる者が殿に直接目通りを願いたいと参っておりますが、如何いたしましょう?」

「ふむ……」


 波多野家当主・波多野秀治は、陣中にあって物々しい雰囲気の中、家臣である荒木氏綱の言葉にしばし考え込んだ。


「越前の、朝倉か。一度織田に滅ぼされたはずであるが、再興したとも聞く。如何なる用向きであろうか」

「朝倉は織田の敵でしょう。ここは捕らえますか」

「いや……待て。明智には気取られてはいまいな?」

「恐らくは」

「よし。連れて参れ」


 待つことしばし、秀治の前に現れたのは二人の人物だった。

 一人はまだ若いが、具足を纏わずとも武人であることが分かる雰囲気を持った青年であり、もう一人は巫女装束に身を包んだ少女である。

 妙と言えば、妙な組み合わせであった。


「客人とはそなたたちか?」

「お初にお目にかかります。私は朝倉家臣の大日方貞宗と申す者。我が主よりの書簡をお持ち致しました」

「ほう、手紙とな。では読ませていただこうか」


 秀治の言葉に氏綱が進み出て書簡を受け取り、秀治へと渡す。

 それを待つ間、秀治は気になっていた疑問を口にせずにはおれなかった。


「この戦場に、女子とはいささか不釣り合いな気も致すが、そちらの巫女殿は如何なる者か?」

「この者は」


 貞宗は一度言葉を区切り、一度その少女へと視線を移してから、かしこまって答える。


「我が護衛にございます」

「護衛? その女子が、であるか?」

「こう見えて、私よりも腕が立ちますゆえ、我が主の温情にて此度の任の間、傍に置いているのです」

「そうか。となると忍びの類であるのかな」

「そのようなものでございます」

「なるほど。まあ良いか」


 頷きつつ、秀治は受け取った書簡へと目を通した。

 その内容をもう一度読み返して、小さく唸る。


「大日方殿、と言われたな。貴殿は内容をご存知か?」

「おおよそは」

「ふむ……。これによると、朝倉のご当主である朝倉景鏡殿は、我々との盟約をお望みとのこと。それは良いが、この内容によると、まるで我らが織田殿と敵対しているかのように書かれているのであるが、何か勘違いされておらぬか? 我々は、織田殿に協力している身の上であるぞ?」

「確かに。今まさに、明智勢と共に黒井城を包囲されているわけですからな。しかしここでもし翻って明智勢を急襲しようものならば、壊滅は免れぬでしょう」


 貞宗の言葉に、秀治と氏綱が一瞬、視線を交わす。

 それを見逃さなかった貞宗にしてみれば、やはりか、という思いだった。


「面白きことを言う、が……」

「波多野様」


 なかなか内面を見せない秀治に対し、それでも脈ありと判断した貞宗は、言うべきことをまず言うことにした。


「我が主はこの丹波が織田の手に落ちることを、良しとされていません。そのために波多野様が立ち上がってくれるのであれば、支援を惜しまぬと申しております。この申し出は、追い風になりませぬか?」

「――……。何を、ご存知と言うのかな」

「それは、今から波多野様がなされようとしていることを、です」


 直接口にはせずとも意は伝わったようで、しかし秀治は複雑な顔になっていた。

 それもそのはずで、これまで内密に進めてきたことが、思いもよらぬところから漏れていたことを知らされたからである。


「貴殿がそれをご存知である以上、ここで決行するは危ういと思わぬでもないが」

「その心配はございません」

「何故」

「我が主は少々特別な方でして……。どういうわけか、この先のことをかなり正確に見通しているのです。それゆえそれを前提に調べを入れたことで、我らの知るところになった、とお考え下され」

「ふむ……」


 そのようなことを言われても、にわかに納得できるものでもない。

 とはいえ今回の謀が明智に洩れておらず、しかも思わぬところから今後の支援が得られるというのであれば、確かに渡りに船とも言える。


「氏綱、外を見張れ」

「はっ」


 陣幕の周囲に誰もいないことを確認させた秀治は、それでも小声のまま、貞宗を近くに呼んだ。


「詳しき話を聞こう。これが天祐であるのであれば、まことに祝着至極だ」


     ◇


「ねえ貞宗。あれで良かったの?」


 夜になり、波多野の軍営から離れ、距離をとったところで、それまで夜道の案内をしていた乙葉が振り返り、首を傾げてみせた。

 これまでは一応警戒して、声を発していなかったのである。


「色葉様が言うには、とりあえず今回は接触を持つだけで良いとのことだ。それに我々が無事に戻れたことからも、波多野の裏切りはもはや確定であるしな」

「ふうん……ちょっと残念だけど」


 万が一読みが外れ、波多野が逆心を抱いていなかった場合、貞宗は捕らわれて明智勢に差し出される可能性もあったのだ。

 だからこそ念のためということで、乙葉が貞宗の護衛としてついて来たのだった。

 今の乙葉の力であれば、例え完全武装の兵が相手でも、百や二百程度は軽くあしらえる。


「残念?」

「そう。だって綺麗に事が運んでしまったら、誰も殺せないじゃない? あ~あ、早く加賀に攻め込んでいっぱい殺したいなあ……」


 物騒なことを言う乙葉を見て、貞宗は大きくため息をついた。


「あまり殺生を口にするものではないぞ」

「そう? でも妾は弱者を嬲るのって、大好きなの。ああ、大丈夫よ? 今のは本音だけど、色葉様の言いつけはちゃんと守るから。雪葉も怖いし、馬鹿なことはしないわ。それにこういうことを口にできるのって、貞宗の前だけだし」


 実際のところ乙葉は朝倉家臣の前において、雪葉に負けないくらいの淑女で通っている。

 色葉などに比べれば、遥かに女性らしい淑やかな振る舞いができているのだ。


 が、貞宗の前では本性がだだ洩れ、というわけであり、彼にしてみればいい迷惑であった。

 とはいえこんな物騒な乙葉でも、色葉の言葉はほぼ確実に守っているのも確かである。


 当初はともかく、今ではかなり懐いている――というか、心酔しているようだ。

 特に尻尾が四本になってからは。


「それで、もう帰るの?」

「――いや、一応見届けていく。色葉様の話では、明智勢は敗れるとのこと。総大将の明智光秀も、死ぬか生きるかという瀬戸際に追い込まれるほどの大敗になる、とのことであるが……結果を確かめねばならないだろう」

「それって色葉様の言葉を疑っているってこと?」

「疑ってなどない。そもそも朝倉家中に色葉様の言葉を疑う者などいないだろう」

「そうよね……そうなのよ」


 貞宗の言葉に何か思ったようで、乙葉はうんうんと頷いてみせた。


「色葉様って不思議よね……。どうしてあんなに先のことを見通すことができるのかしら。単純に強いだけの妖ならば、きっと色葉様を上回る存在があちこちにいるはずだけど、色葉様の強さってそういうのじゃないのよね……」

「それは人一倍、学ばれているからだろう」

「学ぶ?」

「そうだ」


 今の色葉は貞宗から見ても、内政や外交、軍事、人事に至るまで、どれも非凡な手腕を見せている。これはもう、妖だから、という理由だけでは語れないほどだ。


「これでも以前は、内政や外交などに精通されている方ではなかった。そもそもこの時代のことすらよく分からないと言っていたくらいだからな。だが白川郷を手に入れた時から、それこそ寝る間も惜しんで勉強されているように見受けられる。越前に入って朝倉の支配者となってからは、人を得たことで自分より勝る者の言葉はよく聞いて、学ばれていることは間違いない」

「そ、そうなの? 色葉様っていつも妾や雪葉に色々教えてくれるから、何でも知ってるのかと思ってた……」

「最初から何でも知っている者などあり得ないことだ。しかしだからこそ、あの方は恐ろしい」

「色葉様も勉強してるんだ……そうか。そういえばいつもアカシアを読んでるのも、そういうことなんだ……」


 何やらしきりに感心する乙葉に、貞宗も同感ではあったが、口にはしない。

 結局のところ、突き詰めれば乙葉が最初に漏らしていた感想こそが、その通りである。

 朝倉色葉という存在は、貞宗にとっても不思議な存在としか言いようが無かったのだから。


     ◇


 天正四年一月十五日。


 織田家臣・明智光秀が黒井城を包囲して数ヵ月が経過し、十分に敵の兵糧と士気を損なわせたと判断した光秀は、いよいよ決戦に臨むために全軍に命じて黒井城を四方から攻め立てるべく、準備万端整いつつあった。


 城の正面である南側には、明智勢が陣取り、東側には波多野秀香勢、西側には波多野秀尚勢、そして北川には波多野家当主である波多野秀治の一軍が陣取るという構えである。


 しかし機先を制したのは赤井勢であった。

 赤井直正の弟・赤井幸家が怒涛の如く、明智本陣に向かって押し寄せたのである。


 とはいえ相手は寡兵であり、大軍を率いる明智勢の敵ではない。

 この猛攻に対し、明智勢は十分に迎え撃つことができるはずだったのであるが、しかし思いもよらぬことが立て続けに起こったのである。


 味方であったはずの波多野秀香勢と波多野秀尚勢が突如軍を翻し、東西から明智勢に向かって攻め寄せ、挟撃したのだ。

 正面と左右の三方向からの挟み撃ちを受けて、さしもの明智勢も一気に崩れ出した。


「おのれ、秀治の裏切りか」


 恐慌状態になりつつあった軍勢を立て直すため、光秀は一旦後退することを決意。軍勢を退かせようとしたが、そこには直正の甥である赤井忠家が手ぐすね引いて待ち構えていたのである。


 これにより四方を敵に囲まれた明智勢は壊滅し、大敗を喫したのだった。

 世にいう黒井城の戦いである。


 波多野秀治の裏切りについてであるが、波多野氏と赤井氏は婚姻関係にあり、事前に周到に準備された計画によるものであった。

 この戦いで織田方を敗北せしめた赤井直正の名は、一気に日ノ本に轟くことになるのである。

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