第63話 ここから、また――

「めそめそ、するんじゃあ、ねえええええっ……!」


 万城目日和まきめ ひよりのほほを、ウツロの平手が打った。


 痛みがじわじわと伝わってくる。


 それと並行して、わき上がる感覚があった。


 正体のわからない、だが精神から膿が抜けていくような感覚が。


「俺を八つ裂きにしたって、おまえの父さんは帰ってこないんだぞ!? 向き合え、万城目日和! 向き合うんだ!」


 ウツロの一喝。


 万城目日和はそのまなざしに、みずからを照らし出すような輝きを見た。


「うっ、ウツロ! てめえ、開き直ってんじゃねえぞ!」


「ぐっ――!」


 トカゲは力強く、毒虫の顔面に拳を見舞った。


 そのまま馬乗りになり、ひたすらにぶん殴りつづける。


「てめえの親父が俺の親父を殺した! 俺の人生はメチャクチャだ! 責任を取れ、ウツロ! 責任をっ!」


「バカ野郎っ!」


「うぐっ――!」


 態勢を逆転し、今度はウツロのほうが殴り返す。


「何が責任だ! 無責任なやつほどそういう口をきくんだ! 自分の人生の始末くらい、自分でつけてみせろ!」


 また逆転。


「うるせえ、この偽善者が! 悟ったような口をききやがって! てめえだって蒙に沈んでたんだろうが!」


 また。


「ああ、そうさ! いまのおまえのようにな!」


 繰り返し。


「俺は昔のてめえか! 偉そうに上からしゃべりやがって!」


 以下同文。


「うるさい、この、トカゲ女!」


「なんだと、この、毒虫野郎があっ!」


 こんなふうにして、二人はずっと、取っ組み合いのケンカに興じていた。


 しかしそのうち、さすがにばててきて、コンクリートの上に寝そべったまま、動くのをやめてしまった。


 なんかもうどうでもいい、面倒くさい……


 そんな心境だった。


「はあ、はあっ……」


「ふう、ふうっ……」


 万城目日和は気がついた。


 不思議なことに、どこか心が晴れわたっていく。


 またウツロが俺に何かしたのか?


 いや、そうじゃない。


 彼女は涙を流した。


 しかしそれは、先ほどのものとは違う。


 人間としての涙――


 これが「人間になる」ってことなのか……


 悔しい、悔しいが、ウツロの気持ちが伝わってくる。


 それは決して見せかけのものではなく、まさに人間の本質としての……


「万城目日和」


「ああ?」


「ここから、また、はじめてみないか?」


「……」


「気が変わったら、いつでも俺をぶち殺せばいい。どうかな?」


「クソッタレ……」


 肯定。


 それは無理やりにではなく、ごく自然に。


 彼女はまた、深く落涙した。


「また、ここから、か……」


「……」


「ははっ、はははっ……!」


 万城目日和はなんだかおかしくなって、肩を震わせて笑いはじめた。


 ウツロはそこに、やはりかつての自分の姿を見た。


 パッパラパーになっちまえよ。


 兄・アクタがかけてくれた言葉。


 腹をかかえるトカゲの姿に、彼もいつしか破顔していた。


 ひとしきり笑い転げたあと、何かの気配に気づいた二人は、おもむろにそちらへ視線を移した。


「貴様ら……」


 倉庫の入口から、白衣の女性が彼らをにらんでいる。


 星川皐月ほしかわ さつきだ。


みやびちゃん……」


 彼女は奥にあるコンテナの上を見た。


 そしてその顔は、破裂したマグマのようにゆがんだ――


「いったい何を、さらしとんじゃあああああっ――!」

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