第11話
毎週金曜日の夜は、会社の同僚三嶋鈴・通称リンリンがウチに泊まりに来る。そして、私とリンリン、弟の睦の三人で、スマホゲーム『ファーマーズクエスト』のリアルタイム対戦を楽しむ。
これが最近の恒例になっていた。
その恒例が唐突に変化した。
その恒例に急激な変化が訪れた。
ベルちゃんこと鈴原梢ちゃんとはじめて対面し、あれよあれよという間に付き合うことになった。
そして知らない間にリンリンと睦が付き合っていて、結婚の話まで出てきたのだ。
それだけでも十分にパニックなのに、睦から「惚れていた」と聞かされ、実は血の繋がらない姉弟だったという事実まで突きつけられてしまった。
ちょっと怒濤すぎる。
とはいえ、今はパニックになってあたふたしている場合ではない。
昨夜、ウチを飛び出したリンリンが、睦と入れ違いでウチに戻ってきた。今はウチにリンリンと二人きりだ。
とりあえず少しでも頭を整理する時間を作るために、リンリンをリビングで待たせて、私はお茶の準備をしていた。
リンリンには聞きたいことがたくさんある。たくさんあるような気がするけれど、何を聞けばいいのかわからない。
私の頭のキャパシティはそんなに大きく亡いのだ。
とりあえず睦の件はサクッと忘れることにした。
どんな事実を突きつけられようと、二十年以上ずっと弟だった睦がそれ以外の存在になることはない。だから忘れてもまったく問題ないはずだ。
そうしてリンリンのことだけに集中する。
ポットに茶葉を入れながら、リビングの床に座って俯くリンリンの姿をチラリと見た。
リンリンのことをわかりたいと思うけれど、残念ながら私がいくらがんばって考えてもリンリンの行動の意味も理由も絶対わからないだろう。
だから今、私が考えるべきなのは、私自身の気持ちだ。
リンリンと出会ったのは、リンリンがウチの会社に転職してきた一年と少し前だ。
私はひと目でリンリンを好きになった。
あのときはリンリンの容姿に惹かれたのだと思う。
隣の席になり、話す機会が増え、一緒にランチに行くようになり、親友だと言えるくらいに仲良くなった。
少なくとも私はそう思っている。
リンリンは童顔な容姿とは裏腹に、かなり毒舌なところがあったり、ちょっとした嘘で私をからかって喜んだりした。
そのくせ、仕事面ではすごく真面目過ぎるくらいに真面目で、責任感が強すぎて抱え込んでしまうこともある。
いい加減な私からすると「もう少し手を抜いてもいいんじゃないか?」とか「他の人に押し付ければいいのに……」なんて思ってしまう。
だから仕事のやり方の違いや考え方の違いでケンカをしてしまうこともあった。
容姿に惹かれたけれど、その見た目とは違う小悪魔どころか悪魔っぽいキャラクターだと知っても、意見が対立してケンカをしても、私がリンリンを嫌いになることはなかった。
むしろ新しいリンリンを知るたびにどんどん好きになった。
リンリンがゲームに夢中になって、私との会話が減ってしまったとき、寂しかったけれど好きだという気持ちは変わらなかった。
思い切ってリンリンに想いを打ち明けて断られたときはすごくショックだった。それでも好きな気持ちを止めることはできなかった。
この部屋でゲームをしながら一緒に過ごす時間は楽しかった。
私の告白をからかうような態度に傷ついたけれど、リンリンを嫌いになることはできなかった。
最近のできごとは、恋愛経験値ゼロの私にとって複雑過ぎると思っていたけれど、実はシンプルだったんじゃないか。
リンリンの気持ちがどうであれ、私がリンリンを好きだという気持ちはずっと同じなのだから――。
私はリンリンが好きだ。
ただそれだけのことを、自分で複雑に考えていたのかもしれない。
私はリビングに移動して、テーブルの上にリンリンが好きだと行っていたフレイバーティーを置く。
リンリンは「ありがとう」と小さく言ってカップを手に取った。
リンリンの向かいに座り、私もお茶をひとくち飲む。
お茶を淹れる時間で自分の気持ちは整理できた。
さて、次はどうすればいいだろう。
昨夜、この部屋を飛び出したリンリンがここに戻ってきたということは、きっと私に話したいことがあるはずだ。
まったりとお茶を飲むために戻ってきたわけでないことは確かだと思う。
リンリンは俯いたまま口を開こうとしないし、私からどう聞き出せばいいのかもわからない。
だからとりあえず、私の中ではっきりした想いをもう一度伝えることにした。
「あのね……。前も言ったけど、私、リンリンのことが好きだよ。冗談じゃなくて、本当に好きだよ」
なぜだか言葉にすると妙に軽く聞こるような気がした。
上手く伝わらないんじゃないかと不安になる。
どんな言葉で伝えれば、私の気持ちをちゃんとリンリンに届けることができるのだろう。
頭の中で「愛してる」とか「アイラブユー」とか「月がきれいですね」とか、告白の言葉を次々と引っ張りだしてみたけれど、やっぱりどの言葉も嘘くさく感じる気しかしない。
悩んでいると、リンリンはゆっくりと顔を上げて唇の端に笑みを浮かべた。
「ありがとう。すごくうれしい……」
笑みは浮かんでいるけれど、言葉とは裏腹にうれしそうには見えなかった。
この後に続く言葉があるのだろう。
以前は「ごめん、どう考えればいいかよくわからない……。でも、神奈ちゃんのことは大好きなお友だちだよ。それだけは間違いないけど……」と言われた。
また同じような言葉が続くのだろう。私は少し唇を噛みしめてリンリンの言葉を待つ。
だけどリンリンの口からこぼれたのは、私の想像とは違うものだった。
「でもね……。私、ものすごく面倒くさいよ。自分で言うのもなんだけど……本当に面倒だと思うから」
リンリンがそう言った意図がわからなくて、私は首をひねる。
リンリンは苦笑いを浮かべながら続けた。
「私はすごく面倒くさい人間だから、私のことを知ったら、きっと神奈ちゃんは私を嫌いになると思う」
どうしてそんなことを言うのかさっぱりわからないけれど、私がリンリンを嫌いになる未来なってまったく想像できなかった。
「嫌いになんてならないよ」
私は素直な気持ちを伝える。
するとリンリンは覚悟を決めたように小さく頷いてから話しはじめた。
「前に神奈ちゃんが好きだって言ってくれたとき、本当はすごくうれしかったの。私も神奈ちゃんのことが好きだったから」
「え? ええっ? リンリンも私が、好き?」
「うん」
「友だちとしてではなく?」
「うん」
再びフラれることを覚悟していたから、急にそんなことを言われて信じられない気持ちと心臓が躍り出すような感覚が体の中を駆け巡った。
動揺で震える手でカップを持ち、リンリンの好きな香りのお茶を飲んだ。
つまり、私とリンリンは両想いということでいいのだろうか。
うれしすぎて吐きそうだ。
浮かれた気持ちを無理矢理抑えつけてリンリンの顔を見ると、両想いを確認したとは思えないくらい暗い表情をしていた。
「リンリン?」
「私……それでも神奈ちゃんの言う『好き』が信じられないの」
やっぱりさっきの言葉じゃ軽すぎたんだ。
でも良い言葉なんて浮かばない。
「本当に好きだよ。ウソじゃないよ」
語彙も表現力もないから、とにかく気持ちを込めて必死で伝えてみた。
そんな私を見て、リンリンがクスリと笑う。
「ありがとう。今の神奈ちゃんの気持ちを疑ってるわけじゃないんだよ。今は私を好きかもしれないけど、明日は違うかもしれないでしょう?」
「え? 明日も好きだよ。絶対」
「じゃあ、一年後は?」
「もちろん、一年後も好きだよ」
「本当に? どうしてそう言い切れるの? それを証明できる?」
私は言葉に詰まった。
私は今、リンリンが好きだ。はじめて会ったときから、ずっとリンリンが好きだ。
それははっきりと言い切ることができる。
だけど未来のことは誰にもわからない。
この先もリンリンを好きだと思う。でも、それを証明する術は持っていない。
神の前で生涯の愛を誓い、その誓い通りに一生添い遂げるカップルはいる。
だけど一方で、その誓いを守れずに別れるカップルがいるのも事実だ。
誓いを立てるとき、誰だって別れることなんて想像すらしていないだろう。
「神奈ちゃんのことだけじゃないの。私自身のことも信じられない」
それは一年後、私を好きではなくなっているかもしれないという意味だろう。
「でも……それは……」
仕方がないことだと思う。そう続けようとした私の言葉をリンリンが遮る。
「今の会社に転職したのは失恋したからなんだ……。かっこ悪いでしょう?」
リンリンは自嘲気味な笑みを浮かべる。
「同じ会社の子と付き合ってたんだ。お互いに好きで、ずっと一緒にいられるって信じてた。だけどね……その子、別の人と結婚しちゃったんだよ。しかも同じ会社の人でね……。二人のことを見てるのがつらくて会社を辞めちゃったの」
「それはつらかったよね。全然かっこ悪くないよ。あ……もしかして、今もその人のことが好きなの?」
リンリンは首を横に振る。
「別れを告げられて、結婚することを知って、傷ついて、苦しくて……。だけど今は、全然好きじゃないよ。思い出すと悔しいし悲しい気持ちがするけど、好きじゃない」
そう言ったリンリンは今にも泣き出しそうだ。
そんなリンリンを見ていると私も泣きたい気持ちになった。
「だからなの」
「何が?」
「私、その子のことを何があってもずっと好きだと思ってた。だけどもう好きじゃないんだよ。どんななに好きだと思っていても、人の気持ちなんて簡単に変わっちゃうんだよ」
吐き出すように言ったリンリンの言葉を聞いて、私はムカムカしてきた。
リンリンに対してではない。リンリンをフッた女(多分)に対してだ。
自分を信じられなくなるような傷付け方をするなんて最悪じゃないか。
気持ちが離れることも、別れが来ることもあるだろう。
でもリンリンを傷付けたことは許せない。
見つけ出して嫌がらせでもしてやりたいくらいだ。
「リンリンは悪くないよ。別れた相手のことをいつまでも好きなはずないじゃない。それに相手はリンリンにひどいことをしたんでしょう? 好きじゃなくなるのも当然だよ」
なんとかリンリンを慰めたくて言ってみたけれど、自分の頭の悪さに絶望してしまう。
おそらくリンリンだってこれくらいのことはわかっているはずだ。
わかっていても、後悔や絶望に囚われてしまっている。私の言葉では、リンリンをそこから解放してあげることなんてできない。
「そう、当たり前のことなんだよ。人の気持ちが簡単に変わっちゃうなんて、当たり前のこと……」
「でもさ、変わってしまうかもしれない未来を怖がってたら、誰とも恋愛なんてできないじゃない」
「うん。だから、神奈ちゃんのことも好きにならないようにしていたの」
好きにならないようにしていたということは、実は好きだったという意味のはずだ。
いつ頃から私を好きになりかけていたのか気になってしまった。
「いつごろから、私のことを好……気になるようになったの?」
「んー? 最初に私のこと『リンリン』って呼んだでしょう? あのときかわいいなって思った」
少し頬を赤らめてリンリンが言う。
それって初対面のときじゃないですか! リンリンのかわいさに動揺して「鈴さん」が「リンリン」になっちゃったときですよねっ! 最初っから両想いじゃないですか!
と、叫びたい気持ちをグッと堪える。
「でも……、失恋して転職したばっかりでそんな風に思っちゃう自分がイヤで。それに、神奈ちゃんは彼氏と同棲しているって噂を聞いたし」
そういえば、睦と同居していることが、なぜだか彼氏と同棲中という話になっていた。面倒だったし、面倒な誘いを断りやすいからという理由で否定しなかった弊害がこんなところに出るとは思わなかった。
「それに神奈ちゃん、仕事が終わったらすぐに帰ってたから、やっぱり早く彼に会いたいんだろうな、なんて納得してたんだよ」
当時のことを思い返しすと、その原因をすぐに突き止めることができた。
ファーマーズクエストをはじめたばかりのころで、夢中でレベル上げをしていた。
ゲームを半封印して「ゲームは家の中だけ」と決めていたから、一刻も早く家に帰ってゲームをすることしか考えていなかった。
ゲームオタクを卒業するためにゲームを封印したのに、ゲームオタク時代と同じ行動パターンをとっている自分が情けない。
「彼氏がいる神奈ちゃんをそれ以上好きにならないようにしようと思ったの。話す機会がどんどん増えて、神奈ちゃんの反応がいちいちかわいいし、止めようと思ってるのにどんどん好きになって……」
すごくうれしいのだけど、なんだかめちゃくちゃ恥ずかしくなってきた。
「これ以上好きにならないように距離を置こうと思ってゲームをはじめたんだ」
「そのゲームがファーマーズクエストだったの? 一緒のゲームを選ぶなんてすごい偶然……っていうか、もう運命じゃない?」
なんだか感動してつぶやくと、リンリンはばつが悪そうに眉尻を下げた。
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