名前も顔も知らない人に、恋することはありますか?

悠生ゆう

第1話

 三人掛けのソファーにゴロリと体を横たえてスマホをポチポチと触っていると、夕食の片付けを終えた睦(あつし)が私の足を軽く蹴った。

「もうっ、なんなのよ……」

 睦をひと睨みして抵抗したが、さらに蹴られたので仕方なく体を起こした。

 睦はなにも言わず、わたしが開けたスペースにドカリと座ってスマホを開く。

 そしてため息交じりに「たまには神奈(かんな)も家事やれよ」と呟いた。

「私は洗濯してるじゃん」

 そう答えると、睦はスマホから目を離すことなくフンと鼻で笑った。

「洗濯? あれはスタートボタンをしてるだけで洗濯とは言わない」

「文句あるの?」

「別に」

「嫌なら出て行くか家賃払うかしろっ」

 睦とのやりとりが面倒になって、私は伝家の宝刀を抜いた。

 これを言えば睦が黙るとわかっている。

 毎日のように似たようなやりとりをしているのに、諦めずにグチグチ言う睦のネチっこさに辟易とする。

 私は就職を期に実家を離れて一人暮らしをはじめた。

 睦はそんな私の部屋に転がり込み、半ば強引に同居をはじめた居候だ。

 そもそも家事をやることが同居の条件だったわけだし、それが嫌なら出て行けばいいのだ。

「そんなズボラだから恋人もできなんだよ」

 睦のそんな反撃にイラッとして、私は「大きなお世話だ」と言いながら睦の横腹を蹴った。

 睦は三つ年の離れた弟だ。

 大学を卒業したけれど、就職をせずに小説家を目指している。そのことで両親と喧嘩をして家を飛び出した。

 私だって、就職をしてまだ三年だ。弟を養えるだけの収入はない。

 それでも、会社から少し離れた郊外にある広めの部屋を借りていたから、弟が転がり込むことはできた。

 そこで家事全般を引き受けることと、自分の食費だけは自分で工面することを条件にウチに居候することを認めたのだ。

 睦はアルバイトで多少の生活費を稼ぐ以外はほとんど家の中で過ごしているから、いわばこれは業務分担なのだ。

 確かに私は家事全般が苦手だ。睦が居候をする前は、ちょっと人には見せられないくらい部屋の中が荒れていた。

 それでも、それと二十五年間恋人がいないことは関係ない。

 そもそも私は恋人を作ろうと思ったことがない。「作れない」と「作らない」の差は大きい……はずだ……多分。

 学生時代は、ずっとゲームに熱中していて、なによりもゲームをする時間を優先していた。恋愛なんてする時間はなかったし、ゲームの中の恋愛で十分だったから、私は特に寂しいとかなんとか思ったことはない。

 そんな私も、就職を機にゲームを封印した。

 別に恋愛をするためではなく、あのままゲーム漬けだと仕事に支障をきたしそうだったからだ。

 とはいえ、ゲーム機による本格的いなゲームを封印しただけで、スマホゲームは封印していないから、ゲームはしているのだけど、時間は大幅に減らしている。

 しかも、スマホゲームをするのは家の中だけだと限定までしているのだ。

 私ってえらいと思う。

「で、そっちは今どんな感じなの?」

 少し拗ねたように口を尖らせながらスマホを操作している睦に尋ねた。

「今は通常クエストでレベル上げ中。そっちは?」

「畑の拡大と薬集め」

 私たちがプレイしているのは『ファーマーズクエスト』というスマホゲームだ。

 このタイトルは十年以上前に発売された人気ゲームで、私も学生時代に徹夜でプレイしたものだ。

 農業系育成とクエストが一緒になったゲームで、さらにバトル要素も入っているというアキさせない演出だった。それでいて農業系のほのぼのとした雰囲気を損なっていないところが気に入っていた。

 スマホ版がリリースされと知って、私は即座にダウンロードした。

 スマホ版ファーマーズクエストは、ゲーム機版の雰囲気はそのままに、プレイスタイルやルールはスマホ用に変わっている。

 ファーマーズクエストの基本は農業による育成だ。その育成ではレベルに応じて育てられる作物が違う。レベルを上げるために必要なのがストーリークエスト。これで経験値を上げたり、ドロップアイテムを集めたりする。

 集めたドリップアイテムはいくつものタイプがあるが、育成を早める薬のような薬品系と、農作に必要な道具系が主なものだ。

 育てた作物は販売すればコインとなり、アイテムの購入に充てられたり、農場スタッフキャラのガチャに充てられる。だが、農作物の最も重要な用途は、農作物を掛け合わせなければ作れない薬を作ることだった。

 この薬が、リアルタイム対戦に活用される。

 対戦システムがスマホゲームの醍醐味と言っていいかもしれない。ゲーム機版にはなかったシステムだ。

 プレイヤーは自分で農協を設立するか、誰かが作った農協に加入することで団体戦の対戦に参加することができる。

 農協同士の対戦なんて、冷静に考えれば殺伐とした設定だけど、そこはゲームとして割り切って楽しむものだ。

 対戦で勝つことによってより多くのポイントがもらえ、そのポイントで農協が保有する畑の拡大が可能になる。農協が保有する畑では、通常の畑では収穫できない貴重な作物を育てることができるのだ。

 こうしたゲーム自体も楽しいけれど、リアルタイムで見たこともない人たちと繋がり、コミュニケーションを取りながら対戦ができるのも純粋に楽しい。

 私はゲームをダウンロードした直後に農協『星の農場』を設立して組合長をしている。

 コミュニケーション主体ののんびりした農協だけど、農協ランクを上げてポイントを獲得しなければ農協農場限定作物の育成量が少なくなるし、組合員も他の農協に移籍してしまう。

 だから適度に対戦に勝ちながらも、あまり勝ちにこだわり過ぎない農協を目指していた。

 農協の設立時期が早いから、ある程度までは農協レベルを上げることができているけれど、ランクを上げるほど対戦相手も強くなるため、最近では勝つことがちょっと難しくなってきた。

 そこで、私よりも重度のゲームオタクである睦をこのゲームに巻き込んだのだ。

 睦はファーマーズクエストをはじめてまだ間がないため、対戦での戦力というよりは、私の参謀として活躍している。

 黙々とゲームを進めていると、ゲーム内の郵便受けに受信マークがついた。

 友だち登録をしたプレイヤーとはメッセージのやりとりもできるのだ。

 私は受信マークをタップして受信箱を開く。

「あっ、ベルちゃんからだ」

 私はウキウキしながらメッセージを開いた。

 ベルちゃんというのは本名ではなく、このゲーム内のプレイヤーネームだ。

「おっほ、やっぱベルちゃんはかわいいなぁ……」

 メッセージを読みながら、顔が緩むのを隠すことなく呟くと、睦が冷たい視線を送ってきた。

「神奈、キモい。相手の年齢も性別もわからないんだろう? そんな相手に入れ込むってどうよ」

「ベルちゃんはかわいい女の子だよ! この文面、この言葉のチョイス、間違いないね」

 ベルちゃんは『星の農場』に入会希望を申請してきたときから、頻繁に私にメッセージを送ってくれている。

 最初は、初心者だから迷惑を掛けたらごめんなさい、という感じの内容だった。そこから、ゲームの質問を送ってくるようになり、私がそれに答えるといったやりとりが続いた。

 そうしてメッセージを続けるうちに、次第にゲームとは関係のない日常的なやりとりをするようになった。

 ベルちゃんからメッセージが届くとウキウキするし、届かないとなにかあったのではないかと心配になる。

 こんな自分の心の動きをかえりると、ひとつの答えに行き着く。

「もしかして……私はベルちゃんに恋をしているのかなぁ」

「ベルちゃんはジジイかもしれないんだぞ」

 睦は冷めた口調で言うとスマホに視線を戻した。

 確かにスマホの向こうの相手だから、本当の年齢も性別も本名も知らない。睦の言うとおり、私がイメージしている人物像とは違う可能性もある。

 しかし、短いメッセージのやりとりの中にも人柄は表れると思う。むしろ、余計な先入観がないからこそ、その短い文字からその人のことを知ることができると、私は思っている。

「はぁ~。ベルちゃんと会ってみたいなぁ」

 さらに呟くと、睦はスマホを操作しながらボソリと言った。

「リンリンはいいのか?」

「お前がリンリンって呼ぶなっ!」

 私は間髪を入れず睦の脇腹を蹴飛ばした。

 リンリンというのは、私の会社の同僚である三嶋鈴(みしまりん)のことだ。

 リンリンは一年前に中途採用で私が勤めている会社に入社した。

 漫画やドラマのような一目惚れなんてあるはずないと思っていたけれど、私はリンリンを見た瞬間、恋に落ちた。

 一目惚れが都市伝説ではなく、現実にあることなのだと知った。

 リンリンをはじめて見た、あの日のことを今もはっきりと覚えている。

「三嶋鈴です。今日からよろしくお願いします」

 少し緊張して強ばった笑みを浮かべて挨拶をしたリンリンを見たとき、私は女子高生なんじゃないかと思ってしまった。

 後に、リンリンが私よりも二歳年上だと知ってものすごく驚いたのだけど、リンリンはそれほど童顔なのだ。

 別に年下好きという訳ではない。

 幼い顔立ちをしているのに、どこか大人びた眼差しをたたえる雰囲気が私のハートを鷲づかみにしたのだ。

「りっ、りん、りんさんっ、は、はじめましてっ」

 動揺し過ぎて思わず噛んでしまった。

 するとリンリンは気を悪くする様子もなく、クスクスと笑った。

「私の名前が長くなっちゃってるよ」

 そのときの笑顔がまた魅力的だったのだ。

 リンリンのデスクは私の右隣になったので、仕事を教える機会も多かった。そのおかげで今はすっかりリンリンと仲良くなって、親友と言ってもいいくらいになれた。

 でも、できることなら親友ではなく恋人になりたい。

「リンリンとベルちゃん……もしかして、これは二股になっちゃうのかな?」

「そういうことは付き合えてから言えよ。だから童貞は嫌なんだ」

 睦が鼻で笑いながら言う。本当に腹の立つヤツだ。

 睦はゲームオタクのくせになぜかモテるらしい。一度も彼女に会わせてもらったことはないけれど、学生時代には何人もの彼女をとっかえひっかえしていたようだ。

 一度くらい彼女を見せてみろと言ったことがあるのだけれど「神奈が惚れると面倒だから嫌だ」と言われた。

 おそらく、私と睦は女性の好みが似ているのだ。それならば、絶対に睦とリンリンを会わせるわけにはいかない。

 睦とベルちゃんとのやりとりも禁止してしまおう。

 リンリンとベルちゃんは絶対に睦に渡さないのだ!

 そう考えたときに、私の中で電流が走ったようにひらめきが落ちてきた。

「ちょっと! ベルって日本語だと鈴(すず)だよね? もしかしてベルちゃんの正体はリンリンなんじゃない?」

「そんな都合の良いことあるわけないだろ。それに、リンリンはゲームをやらないって言ってたじゃないか」

「だから、睦がリンリンって呼ぶなっ。たしかにリンリンがゲームをやってるところは見たことがないけど、私みたいにゲームをしていることを隠してるだけかもしれないでしょう。そう考えると、ベルちゃんのメッセージから感じるかわいらしさはリンリンと通じるところがあると思うんだよねぇ」

 そう言いながらも、これが勝手な妄想というか、願望というか、そんなものでしかないとわかっている。

 わかっているけれど、その妄想が当たっていることを期待せずにはいられなかった。

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