第69話



 イールギットは目を覚ました。

 緑の匂い……植物の匂い。

 ずいぶんと特徴的だ。

 加えて、動物の匂い。

 こちらは、よく知っている気がする。


 視線を巡らせると、干し草の寝床に横たわる自分を守るようにうずくまり、つぶらな瞳でじっと見つめるペガサスの顔が目に入った。

 イールギットの頬に鼻面を寄せ、ブルルル、とうれしげに鳴く。


「……おまえ。……なんだか、久しぶりね」


 ペガサスの顔をなで、イールギットは微笑んだ。

 元気にしていると聞いてはいたが、なるほどすこぶる健勝の様子だ。

 捕らわれている間は、さすがに会わせてもらえなかった。

 捕らわれている、間は……――


「ここはっ!? ッ……痛った……!」


 飛び起きると同時、めまいをともなう頭痛に襲われる。

 魔力を使いすぎたときの痛みだ。


 当然だろう。

 魔王ゼルスに対し、あれほどしつこく挑んだのだから。

 しかし、ならば。


「なんで……死んでないの、あたし……?」


「おお。起きたんかね」


 おだやかな声とともに、年老いた男性が姿を現す。

 そこで初めて、自分が広い納屋に寝ていたことを、イールギットは知った。


「だ……だれ……!?」


「あんたさん、行き倒れとったそうでね。3日ほど眠り通しじゃったよ」


「行き、倒れ……? ……助けてくれたの? それは……ありがとう、ございます」


「うん、まあ、世話はさせてもろたがね。助けたなんてほどのもんじゃないよ。あんたさんを拾って連れてきなすったのも、別のお人じゃしね」


「別の……? こ、ここは、いったい……?」


 これまた特徴的な、1枚布のような衣服をまとった老人の話すには、ここは大陸の東端。

 さびれた漁村の外れにある家で、老夫婦が静かに暮らしているという。


「ばあさんが朝作ったおかゆがあるよ。持ってきてあげるから、少しでも腹に入れたほうがええ」


「すみません、どうも。……あの、あたし、行き倒れてたって……?」


「ああ、海岸のはしに倒れとったそうでねえ。通りがかりのお武家さんが……いや、ありゃあ違ったなあ、え~っと……騎士さん、そうそう、騎士さんが見つけて、わしらに託してゆかれたわけさ」


「騎士……」


「あんたさんに負けず若い女性じゃったが、ずいぶん立派な身なりでね。あんたさんの治療にあてるようにと、えらいお金を置いていかれたよ。奇特なお人があるもんじゃ」


「……その人の名前は?」


「さてそれよ、答えずに行ってしまわれたでな。この近くのお城の人にしちゃあ、身なりが西の風情で……」


「……銀色の髪に、変に無表情な娘騎士?」


「そう、そう。ありゃ、知り合いかね?」


 答えず、イールギットは立ち上がった。

 ペガサスがいっしょに立ち上がり、支えになってくれる。


 ありがたい。この子のテイムは、もうとっくに切れているのに。

 自分を慕い続けてくれている。

 あの国に残して来ざるをえなかったドラゴンたちも、元気にしているだろうか?


「無理しちゃあいかんよ?」


「大丈夫です。少しだけ、外を見たくて」


 干し草を編んだ物だろうか、垂れ幕のような物をくぐって納屋を出ると、爽やかな風がイールギットの頬をなでた。

 なだらかな丘のふもとにある小屋のようで、稜線の向こうにわずかに海が見える。

 日差しを浴びてキラキラと輝く水面が、この世のものではないほど――死後の世界と見まがうほどに、美しい。


(死んでない死んでない。しつこいわね、あたしも)


 ゆっくりしなされや、と母屋のほうへ歩いてゆく老人にぺこりと頭を下げ、イールギットはペガサスのたてがみをなでた。

 いまだ実感はない。

 手の中にある生にも。

 あれほどに戦えたという、記憶の手触りにも。


「……すごかったわよねー、あたし……」


 まさに死力を尽くしたと言える。

 死を覚悟した力。

 後悔はない。

 後悔はないのに――生かされた?


「ゼルス様……」


 意味は、わかる。

 いいや。

 わからずとも、自分の頭で考えていけば、ひとつの答えにしかたどり着けない。


 もっと強くなれ、と。

 次こそ勝ってみせろ、ということか。


「ひどい人……戦いたくないって、あたし言ったのにね」


 ふふ、とペガサスに微笑む。

 それも良し、という意味でもあるのだろう。

 どこかの牧場で羊でも追って、のんびり余生を過ごしてもかまわない。

 もといた国からゼルス領までより、今のこの土地のほうがはるかに遠いのが証拠だ。


 国勤めは、もうこりごり。

 しかし、先日以上の力を、果たして得られるものか。

 死に場所探しにむりやりな人道まで上乗せした、完全な捨て身――

 それでも届かなかった相手に、なにをどうすれば勝てるというのか。


 今はまだわからない。

 ただひとつ、確かに認識したことがある。


「ゼルス様は、強い……底抜けに強い。でも」


 眉をひそめ、う~んとのどの奥でうなる。


「何がどう、あんなに強いのか? よくわからなかったわ……魔力の強さ? スキルの強さ? ……存在そのものの強さ?」


 みもふたもないが、それはあるかもしれない。

 テイムに正面から反発できる、重たい魔力。

 防ぐことすらひと苦労なスキル。

 近づけば近づくほど生物を侵す、毒気の瘴気。


 強すぎる。

 しかし、どれが彼の決め手・・・なのか?

 あるいはまだ、決め手を見せてすらいないのか?


 イールギットには、判断できなかった。

 ならばおのずと、やるべきことが見えてくる。


「あれ以外の魔王を……片っ端から服従させていけば」


 似たような魔力の者がいるかもしれない。

 似たようなスキルの使い手がいるかもしれない。

 似たような瘴気の持ち主がいるかもしれない。


「ふふ」


 自然と微笑んだ自分の頬を、イールギットはむにむにともんだ。

 やれることがある。

 倒せるかもしれない。


 気ままな暮らしもいいだろう。

 でも。だって。


「また会いたいもんね。……ったく!」


 遠い蒼穹に、ビッと人差し指を向ける。


「いい弟子持ちすぎなんじゃないの!? 魔王のくせに!」


 人の上にも、魔の上にも、等しく空は青い。

 明日も、明後日も、きっと青い。

 自分はそれを与えられた――ならばいちど、初心に戻ってみよう。


 絶対に。


「あたしが倒してやるんだから……!!」


 戦いたいかと問われれば、今でも首を横に振る。

 しかし。

 自分以外の誰かの手にかかるゼルスなど、まったく気に入らない・・・・・・のだ!


 大陸東端。

 土地勘もなにもありはしない。

 どんな魔王が棲んでいるかなど、知るよしもないことだが。


「とりあえず、ハシからシメてこう」


 うなずいて、イールギットはきびすを返した。

 まずは体力を取り戻さなければ。



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お読みくださり、ありがとうございます。


次は2/22、19時ごろの更新です。

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