「真っ白なノートから」
「真っ白なノートから」
誰しもがうらやむ、という人がいる。
例えば、容姿に恵まれた人。
例えば、頭脳に恵まれた人。
例えば、体力に恵まれた人。
生まれた瞬間から、普通の人よりも一歩リードして人生がスタートしている、そんな人間は確かに存在する。
成績は平凡、顔も並。背も高くなく、ロールプレイングゲームでは村人A、そんな役柄が似合う高校二年。
そんな個性のかけらもない要に、一人の同級生が頭を下げていた。
「頼む! この通りだ! 俺とコンビ組んでくれ!」
頭を下げているのは、
小麦色に肌を焼き、髪は金色に染め上げ、耳にはゴリゴリ宝石のような装飾の付いたピアスを携え、体格はスポーツ選手のように屈強だ。
校内を代表する不良と言えば真っ先に名前が上がる彼が、出席確認をしても学校にいるかどうかわからない一般生徒に向かって、土下座でもしようかという勢いで頭を下げている。
時間は昼休み。食堂やクラスで昼食を済まし、さあそろそろ教室へ帰ろうとしている生徒で溢れる廊下は案の定、異質な空気が蔓延っていた。
もう逃げることもできず、要は「はぁ……?」と絞り出すのが精いっぱいだった。
「一か月後の学園祭でよ、一旗上げてぇんだよ! 頼む!」
「え……ま、まずは場所移そ。ここじゃ……」
人生で浴びたことのない量の視線に耐え切れなくなり、要は大成の腕を引っ張って校舎裏に出る。
昼休みは残り五分を切ったほどで、外に出ていた学生はそろそろと教室に戻っているようで、誰もいない。
そんな人気のない場所で、モヤシのような要とプロレスラーのような大成が二人でいるといよいよいじめの一部始終だが、そんなことは気にしてられないと要が「えっと……どういうこと?」と問いただした。
「いやだからよ、学園祭で出し物あるじゃんか。あれで漫才やりてぇのよ」
「うん、まあ、それはわかった。いつもの友達とやればいいじゃない」
「それじゃダメなんだよ。遊びの延長戦になっちまう。ガチでやりたいんだよ、ガチで」
「……それもわかった。でもなんで僕?」
「アンバランスすぎて面白いだろ」
「……それだけ?」
「んにゃ、あともう一つ、俺の直感が言ってんだよ。面白いやつだって」
「なんだそれ。何を根拠に……?」
「確証はない」
もし面白いやつかどうかを見分ける目が合ったらそれはもう慧眼どころの話ではない。「あったらビックリだよ」と要は力ない笑いを零した。
呆れた表情の要を覗き込むようにして、大成がすごみながら「ただな」と前置きをしてから続けた。
「確信はある」
要の目を曇りのない目で見つめる大成。どこか、燃える炎のような熱量を孕んだその目を逸らすことができず、思わず後ずさりをする要。逃がさない、と言わんばかりに胸ぐらを掴み、言い放つ。
「俺の全部をかけてやる。明日までに返事くれ」
捨て台詞に合わせるように、学校のベルが鳴り響いた。
◇
「ただいまー」
いつも通り夕食を取り、風呂に入り、明日の学校の準備を整え、ベッドの中へ。
いつも通りの順番で、いつも通りの行動で。
いつも通りの自分のはずなのに、要の頭の中には不良に言われた一言がずっと頭の中を駆け抜けていた。
――面白いやつ……僕が?
確証なき確信。なんの保証もないし、ただ相方が見つからなかったからだれでもやってくれそうなヤツを選んでるだけかもしれない。バカにしているだけかもしれない。当日急に休んで、恥をかかせたいだけかもしれない。
頭に浮かんでくる可能性を、あの真剣な眼差しがすべて否定する。嘘偽りはない、網膜に焼き付いた焦げ茶色の瞳が、目を瞑っても訴えかけてきていた。
「あー……もう!」
要は一冊のノートを手に取った。
――まるで今の僕みたいだ。
まだ何も決まっていない。どう話すかも、どんな話をするかも。
真っ白で、ただの紙。これから、落書き帳にも歴史に残る資料にもなりうる、そんな存在。
――大人になって笑えれば上等だな。
要は、一ページ目にまずボールペンを走らせた。
ページ全て使うくらいの勢いで大胆に。
――〝デコぼこ〟。
太陽と月、水と油、右と左。そのくらい真逆の自分たちにぴったりだな、笑いながら要はペンを走らせた。
※
「あの時、めっちゃすべったよなぁ」
「血の気が引くってのはあのことを言うんだなって今でも思うよ」
暗闇の中、大成と要が話す。
なぜその瞬間に学園祭の話を思い出していたのかはわからない。ただ、その瞬間があったからこそ、今の自分たちがいる、という確かな自信があった。
「あそこで悔しがれるか、逃げようと思うかだな」
「逃げないでいられたからここまで来れたのかもね」
「違いねぇ」
奥の方で拍手が鳴り響いた。歓声もちらほら聞こえている。
そこそこウケたんだな、と舞台袖で頷く二人。
流れは悪くない。
「それにしても、よりによって一番ウケなくちゃいけない日に、一番すべった日の事思い出すなんてね」
「丁度いいだろ。あれより下はねぇ」
「違いない」
と、言葉を交わしたところで奥のスタジオで視界をしているベテラン芸人が口上を述べた。
『さあ、いよいよ次が最後の挑戦者。敗者復活から来ました新進気鋭! フレッシュさと大胆さで会場を魅了します。エントリーナンバー2017……デコぼこです!』
馴染みの音楽を携え、舞台がせり上がっていく。
スモークが舞い、背後のライトで一瞬、真っ白に。
――あの時と同じだ。
初めての、お笑いの一ページ目。コンビ名の〝デコぼこ〟を初めて書いたノートを思い出しながら、要は大成とステージへ駆けていった。
今日は生放送で一番面白いやつを決める、ただそれだけの単純な戦い。
容姿にも、頭脳にも、体力にも恵まれなかった要は、その場に立てることがひたすらに嬉しく、満面の笑みでセンターマイクを握っていた。
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