「夢とゆめ」
その時、空は私の真下にあった。
眼下に広がるのはおそらく東京だろう。私の高さと同じところくらいに、東京タワーがある。鳥が私の少し下を通り過ぎ、手を伸ばせば届きそうなところに雲があった。
――おしゃれな夢だなぁ。
あまりに現実離れしすぎていて、すぐに夢だと分かった。
普段過ごしている東京を上から見るのはとても新鮮だ。人の姿が米粒くらいに見えたり、東京独特の眠らない都市っぷりが発揮されて、ダイヤモンドのように光たちが輝いていた。
――なんで、こんな夢見てるんだろう。
夢の中の私はいたって自由だった。上に行こうと思えば上昇し、下に行こうとすれば加工してくれる。まるでスーパーマンにでもなったかのように、あるいは隣を飛ぶ鳥の仲間になったかのようにぶらぶらと滑空していると、スクランブル交差点が目についた。
今日も今日とて人でごった返し。時間は夜だけど、まだ夜中ではないのだろう。よく体験する人の多さだった。
――誰かいるかな?
どこまで忠実に再現しているのか気になった私は、目一杯に滑空して地面すれすれのところを滑空し始めた。
人にぶつかるかもと思えば、そこは流石夢といったところ。私の体は、まるで透明人間から体を借りたように、あふれる人たちの体をすり抜けていく。
――体の中ってどうなってるんだろ。
体の中を見ようと試みてみるが、外から見えないところはモザイク処理がされているかのように真っ黒だった。
――しっかし、不思議な夢。
そんな実験を繰り返していると、ある不思議なことにも気が付いた。
夢の中の住民には、顔がない。
服やかばんなどはちゃんとしていて、腕や足もちゃんと現実通り。
ただ、首から上だけ真っ黒に染まっていた。ハロウィンの仮想みたいに、あるいは地獄の住民のように顔が真っ黒。
そんな真っ黒な住民たちが、一様に笑っていることに気が付いた。黒の中に、楕円形の赤い口が形成されているからだ。
悪意に満ち満ちている顔。
それらの悪魔のような顔は、ある一点を見つめていた。
スクランブル交差点の中心、横断歩道で囲まれた三角形の真ん中だ。
信号が青から赤に変わっても、悪魔の住人たちは横断歩道から動こうとしない。
むしろ、その中心に向けてスマホを向けていた。
――何見てるんだろ。
人をすり抜け、恐る恐る近づいていく。
注目の的になっていたのは、私だった。
いつもよりしっかりと化粧もして、普段気ないようなフリフリの服も着て。これから来るイベントに準備万端。
ただ、横たわる私の足は、変な方向に曲がっていた。右足が、外を向いていて、体のいたるところから血が滲んでいる。
そして、近くにはボンネットが歪んだ軽自動車が一台停まっていた。
――あ……。
その車を見て初めて思い出す。
私は、車に轢かれた。
雪の降るクリスマスイブ。
心待ちにしていた時間が、一瞬で崩れ去った。
痛みは覚えていない。
一瞬にして、雪景色の渋谷が真っ暗になったことだけ記憶に残ってる。
――私、死んじゃうのかなぁ。
そう思った瞬間、また私の視界は暗転した。
再び目を覚ますと、今度は地に足が付いた場面だった。
相変わらず体は半透明。せわしなく走り回る人に触ろうとすると、やはり透明人間のようにすり抜けた。
――病院?
見慣れない清潔感の保たれている廊下、一様に白衣に身を包んだ看護師。点滴を携えながら歩く患者。よくドラマや映画などで見る景色を歩いていくと、私の名前がネームプレートにある部屋にたどり着いた。
「なんで……」
部屋から漏れ出る聞き覚えのある声。
――来てくれたんだ。
ベッドで横たわる私を見つめていたのは、他でもない事故のあった夜に会う予定だった大切な人。
包帯で痛々しい姿の私を見て、涙を流しながら「なんで……」と繰り返し漏らす。
ごめんね、と謝れず。お見舞いありがと、とお礼も言えず。ただ、泣きじゃくる彼を眺めるだけ。
――大丈夫だよ!
精一杯声を出しても、彼には届かない。
――なんで……!
目一杯抱きしめようとしても、触れない。
――なんで何もできないの!
ただ、私がここにいるということを伝えたいだけなのに。
無力さと悔しさが、涙となって零れ落ちた。
あれからどれくらいの時間が経っただろう。
数か月もの間、夢の中で過ごす時間が続いていた。
彼は、目を覚まさないミイラのようになった私に、彼は何度もお見舞いに来てくれた。お見舞いに来る度に『自分が付いていなかったから事故が起こしてしまった』とか、『あの日約束なんてしてなければ』と零していた、自責の念からだろう。ほぼ毎日のようにお見舞いに来てくれている彼を、後ろから眺めることだけが、虚しいだけの毎日を乗り越える癒しになっていた。
そんな毎日の中で、現実の私はどうやら必死に生きようとしているらしく、徐々にゆっくりと、傷が回復していっている。
そして今日は、いよいよ包帯が外される日だ。
数人の看護師とともに、執刀を務めた医師がミイラのような見た目の私をくるくると解放していく。
全ての包帯が解かれ、久方ぶりにみる自分の顔は、手術の跡や傷跡で記憶の中よりも醜く眼を背けたくなるほどだった。
――こんな顔見られたら見捨てられちゃうだろうなぁ。
このままお見舞いに来てくれなければ――なんて願いが通じるはずもなく。いつもの時間になると、彼は現れた。
彼は私を見てから「あ、包帯外れたんですね」と、すでに病室にいた母に話しかける。
「いつもありがとうね。けどやっぱし、傷跡は残っちゃいそうね」
「傷跡残ってもいいじゃないですか。彼女が必死に生きている証です」
「生きてる証……確かにそうね」
そう応える母は、涙を零さないように少し天井を見上げて「ありがとうね、本当に」と細々と呟いた。
「いえ、お礼を言いたいのは僕の方ですよ」
「え?」
「彼女とずっと一緒にいるってことが僕の夢なんです。彼女は、生きる意味を僕にくれた。だから……僕は彼女を待ちます。ずっと、いつまでも」
※
彼女の包帯が外れて次の日。
今日も仕事を終え、俺はいつものように彼女の元へ向かっていた。
道中、今日こんなことがあったよ、仕事が辛かった――などなど、どんな他愛のない話をしようかと考えながら病室に入る。
「えっ……」
すると、普段寝ているはずの彼女が目を覚ましていた。
病室に入った俺を見ると、力なく、けれど確かにしっかりとした笑顔で「おはよ」と呟いた。
「おはよって……お前、いつ⁉」
「さっき」
「さっきって……いや、ま、久しぶり」
「うん。ごめんね、迷惑かけて」
「迷惑なんて……そんなこと……」
「ふふっ……ね、私ね? 寝てる間、ずーっと夢を見てたんだ」
「夢? どんな?」
「あなたがずっと一緒にいたいってお母さんに話してる夢」
「……えっ?」
「こんな傷だらけの私だけどさ……あなたさえよければ、ずっと一緒にいたいな。これから、ずっと」
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