第72話 神獣の力を見た


 黒曜の無茶な高速移動によって意識が途絶した俺。

 どれだけの距離を移動したのか、目が覚めて次に見たのは、雑草以外に何もない荒野だった。


「おお、起きたか主殿よ。そろそろ無理にでも起こさねばと思っていたところだ」


 完全装備の状態で横たわっていた俺に声をかけてきたのは、正座した上に長い爪で器用に器を持って中の液体を飲んでいるパンダだった。

 ていうかあれ、俺の家にある器じゃねえか。

 まさかここまで持ってきたのか?


「……そういえばこの間も不思議だったんだが、その姿勢は骨格的にあり得ないだろ。どうなってるんだ?」


 パンダどころか人間以外の脊椎動物の骨格ではあり得ないビジュアルと姿勢なんだが、当の本人からは苦にした様子がまるで感じられない。

 ていうか、よく見たら足と地面の間から、俺の家にあるはずの竹の座布団が見えていた。


 どんだけ俺の家からパチってきたんだよ……


「何のことはない、重力を制御して足にかかる負担を軽くしているだけだ」


「……それはそれで理解するとしても、なんで正座なんだ?ほかに楽な姿勢なんて、いくらでもあるだろうに」


 そもそも俺の知る限りでは、この世界で正座している奴なんか、人族を含めても初めてだ。

 考えてみれば、パンダが正座できる方法や理屈よりも、どうやってその知識を知ったかの方が疑問に思えてくる。


「まあ、過去に見たことがある、とだけ答えておこうか。それよりも主殿、そろそろ来るぞ」


 竹の葉茶を飲み終えて四つ足で立った黒曜が見た空を、俺も見た。


 多少雲があるものの、爽やかな晴天の秋空――いや、


「なんだあれ……鳥?いや、もっと遠いしデカい。あれはまさか――」


「うむ、ドラゴンの群れだな」


 空を埋め尽くさんばかりの大小様々な無数のドラゴンが、俺たちに近づいてきていた。

 今は豆粒程度のサイズに見えるが、おそらく近づいたと思ったらあっという間に目の前まで接近されてしまう程の速度出ているんだろう、そう思えるほどの戦慄の光景だった。


「おいおいおいおい!?ていうかあれ、俺たちの方に向かってきてるのか!?なんでだ!?」


「さあ?理由までは我にもわからぬ。だが、あの群れを率いている者は明らかに主殿に向かってきているようだぞ?」


「うおっ!?」


 俺がいきなり驚いたのは黒曜のセリフ、ではなく、急に俺たちの目の前にデカデカと現れた黒いドラゴンの顔のせいだった。

 ……いや、よく見ると実体ってわけじゃく、サイズもずっと小さいようだし半透明に向こう側が透けている。

 まるで、以前セリカの部下のドルチェが使っていた魔法のヴィジョンのようだ。


「心配するな主殿。これは重力制御で作ったレンズで映し出された遠くの光景だ。これがあの群れのボスだな」


「……ひょっとして、アレに用があってこんなところに俺を連れてきたのか?」


 そういえばそんな感じのことを何回か聞いたような気がする。


「まあ似たようなものだが、先に動いたのはむしろ向こうだな。我は奴の動きを察知して先回りしたにすぎぬ」


「先回りって、あのドラゴンたちは一体どこから来たんだよ?」


「最初はあの黒いドラゴン一匹だったようだが、どうやらここよりもさらに東方、主殿達人族の言うところのマリス教国とやらから来たようだぞ。他のドラゴンは、奴の魔力に屈服する形で無理やり従わされて、道すがら集められたようだ」


「……そんな遠いところからここまで来たってのにも十分驚いてるんだが、黒曜、お前の知覚力ってのはどんだけ出鱈目なんだよ」


「いやいや、何か勘違いしているようだが、いくら我でもそこまで万能ではないぞ。今回は奴が力のあるドラゴンだったのと、我と同じ属性の持ち主だったからこそだ」


「同じ属性?それって――」


 ガアアアァァァァァァァァァァァァ!!


 その時、はるか上空を飛んでいる群れの方から、凄まじい咆哮とともに不可視の衝撃波が襲ってきた。

 距離が離れていたおかげで、不意を突かれても何とか踏ん張れるレベルのものだったが、それでもそこには確実に強烈な殺気が込められていた。


「この世界には人族や竜族といった身体的な特徴で決められた枠組みとは別にもう一つ、最も得意な属性で決められた枠組み、言わば魔力カテゴリーという分類も存在するのだ。つまりあの黒竜は我の眷属という言い方もできる。だから察知できたのだ」


「いや、そんなことは今はどうでも――って、もう目の前まで来ちまってるじゃないか!?」


 さすがに爺ちゃんも高速で飛んでくる大量のドラゴンへの対処法なんて教えてはくれなかった。

 あの物量で押し切られたら突破されることは確実だ。

 いや、その前に俺の体なんか、ボロクズの様に蹂躙されて終わりだな……

 うん、言うまでもないが、詰んだな。


「心配するな、何も主殿に一切合切任せようとここまで連れてきたのではない。一つは主殿に見聞を広めてもらうため。もう一つは――」


 圧倒的なドラゴンの群れに注意を向ける一方で、俺は黒曜の姿を目の端に留めておくことを怠らなかった。

 相手の気配、動きを正確に把握することは、武を志す者としては初歩中の初歩の心構えだ。

 だが、黒曜の右前足を振り上げ、その場に下ろすという動きはあまりにも自然に行われ、俺は不覚にもなんに反応もできなかった。


 だから当然、それとほぼ同時に起こった、前方の空間が歪んで見えるほどの強大な重力制御の一撃も察知することすら敵わなかった。



 グシャッ



「ギュウウウウウウアアアアアアオオオォ!!??」


「ほう、やはり生き残ったか。道理を弁えぬ獣にしてはずいぶんと力をつけているではないか」


 前方の景色ごと何もかもを墜落させ、なぎ倒し、圧し潰した黒曜の攻撃は、ほとんどのドラゴンをそれこそ悲鳴を上げる暇すらないほどに一瞬で絶命させた。

 その超重力空間の中で唯一雄たけびを上げたのは、群れを率いていた漆黒のドラゴンだった。


「オノレ、オノレオノレオノレ!ユルサヌウウウウウウゥゥゥ!!」


「クハハハ、獣が喋りおった。だが、我にその牙を向けた報いは、その命でしか購えぬ」


 その神獣の、冷酷な宣告に今更ながら戦慄を憶える。

 どれだけ見た目が可愛らしくなろうと、どこまで行っても魔獣は魔獣か。


 っていうか、大型ドラゴンを獣て……どんだけ蔑んでんだよ……


 そして、目の前で超重力空間の中で必死に立ち上がろうとしては失敗を続ける黒竜に引導を渡すように、黒曜がゆっくりと告げた。


「今から、我が主殿がお主と一対一の勝負を申し込む。見事主殿に勝てば一度だけ見逃してやろう。もちろん重力制御も解除する。もし断ると言うなら今すぐお主の命を絶つ。さあどうする?」


 黒曜の意外な提案に一瞬訝しそうな表情をした(ように見えた)黒竜だったが、さすがは本能と欲望のままに生きるだけあって、若干の怯えを見せながらその長い首で頷いて見せた。

 先ほども思ったが、どうやら彼我の力量の差を理解できるだけの知恵はあるようだ。


 もちろん、もう一方の当事者である俺は意外どころの話ではなかった。


「ちょっ!?いったい何を勝手に決めて――」


 思わずひそひそ声で話しかける俺に、黒曜は泣いた子をあやすような語り口で説得してきた。


「先ほども言ったであろう、ここに主殿を連れてきた理由の一つは見聞を広めてもらうためだと。こういう特殊な場でもない限り、大型ドラゴンと一対一で戦う機会などそうそうないぞ。主殿も戦士というなら、この世界の最強生物の一角と戦っておくことはそう悪いことではあるまい」


「確かに、それはそうかもしれんが――」


「まあ一方で、あの黒竜を我が倒そうとしたら、冗談抜きで大地を砕く勢いで力を使わねばならぬという事情もあるのだがな。我はそのような些事さじは別にどうでもいいのだが、主殿にとっては何かと都合が悪くなることもあろうかと思っての提案なのだ」


「それはまあ、確かに……」


 つい、さっきと同じような調子で返してしまったが、俺の心情は大きく異なっていた。

 確かに、何かの拍子で俺の家の近くにこのパンダが住み着いていることがバレると、いろいろまずいことが起きそうで怖い。


「……今さっき使った力は大丈夫なのかよ」


「あの程度なら、今あそこで藻掻いている獣風情でもできるから問題ない。たとえ調査に来る者がこの先現れたとしても、あの獣がやったと勝手に誤解してくれるであろうな」


「なるほど」


「それに、これが我にとって一番大きな理由なのだが、主殿であればたとえあの獣が空の上にいたとしても倒せる自信があるのではないか?」


 まるで俺の本気の力をその目で見たかのように、確信を持って話す黒曜。


 ……いや、実際グノワルドの王都じゃ見られていたんだっけか。


「まあな、そこまで言われたら仕方ない、仮とはいえ主としての威厳をちょっくら見せるとしようか」


「うむ、それでこそ我が主殿。では存分に」


 俺の戦意を確認したからか、黒曜の重力拘束から解放されたらしい黒竜がゆっくりと起き上がり、鋭い眼光を向けてきた。

 見えるものだけも、牙、爪、尻尾等々、武器に無そうなものには事欠かない体をしていらっしゃる。

 その上、全身を覆うのは光を吸収する漆黒の鱗。最強生物の一角なんて言われてるくらいだ、鋼鉄並みの硬さを想像しといたほうが良さそうだ。


「グルルルルルルルルル……!!」


 対する俺のいで立ちは、いつもの和装に右手に竹槍、左肩に背負い籠を背負ったもの。

 曲がりなりにも武装と言えるのは竹槍くらいで、普通は山仕事に入る杣人そまびとくらいにしか見られないだろうと自覚してる。


 まあ、外見だけは、だがな。


 かくして、急遽セッティングされた俺VS大型ドラゴンという一見無謀な真剣勝負は、観客はパンダ一匹という異色の会場でその幕が切って落とされたのだった。

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