第68話 熊と会話した 後編


 はて、果たして熊がお茶を飲むのかという素朴な疑問が沸きつつも、今更言葉を翻すのもなんなのでまずは水を近くの小川に汲みに行こうと家を出て竹林の中へ差し掛かったところで、ラキアがするするとそばに寄ってきた。


 ……いかん、熊との話に夢中ですっかり忘れてた。


「どうなのだご主人様?」


「どうって、なにがだ?」


「中にいる奴を叩きのめすのか?」


「バカッ!?お前は何を言い出すんだ!?俺がそんなすぐ暴力に訴える人間に見えるのか!?」


 念のために言っておくが、この会話は小声で行っている。

 魔法かそれとも別の何かかはともかく、ここと似たような距離で魔獣に話しかけられた以上、この会話も聞こえていない保証はどこにもない。

 とにかく今必要なのは交渉手段であって、断じて強硬手段ではない。


「でも、ご主人様は面倒事は大体力づくで解決していたとカトレア様も言っていたぞ」


 そんなバカな、と言いかけて、何事も頭ごなしに否定するのは良くないと思いなおし、この世界にやってきてからのあれこれを思い返してみた。


 ――王宮――竹とんぼ――檻――協会、……うん、大体力づくだな。

 頭ごなしに否定しなくてよかった。


「と、とにかくだ、どうやら言葉のわかる魔獣のようだから、まずは話を聞いてからだ。実力行使に出るのはそれからでも遅くないだろ」


「なるほど!さすがはご主人様!器が大きいな!では、いざ戦いになったらみんなで駆けつけるからな!」


 そんな物騒極まりないセリフを残して、ラキアは音もなく竹藪の向こうへと去っていった。

 よくあんな感じで狩人なんてやっていられるなと半ば感心しつつも、それどころではないと思いなおして小川で水を汲み、再び家に戻ってきた。


「何も知らぬ娘のたわ言だ、我は気にしておらぬぞ」


 そんなありがたくも恐ろしい言葉で出迎えられた俺は、無言のままあらかじめ備蓄しておいた発酵させた竹の葉で水出し茶を淹れて二つの器に注いだ。


「まあ、神様並みに崇められてた神獣様に出すような代物じゃないが、うちの粗茶だ。気に入らなければ飲まなくてもいいぞ」


「いや、これでいい。むしろこれこそが目的だったのだからな。では頂こう」


 そんな不可解な言葉を言う黒曜に対して、相手が魔獣だということを失念して普通の器を出してしまったことに気づいた。

 だが、そんな俺の杞憂を他所に、漆黒の魔獣は鋭い爪の生えた手で器用に器を持つと、自分の口へと持っていった。

 俺もそこまで作法に詳しいわけではないが、正座して茶を飲む黒曜の姿は下手な人間よりも堂に入っているように見えた。


「ふう、甘露であった。さて、話の続きに入ろう」


 その様子に呆気にとられていた俺の意識を呼び戻すためではないはずだが、黒曜は一言だけ茶の感想を言うと本題に戻った。


「そういうことで、我は白いの、白焔との戦いを避けて住処を出たわけだが、実はその道のりは正に白いのが来た道を逆に辿るというものであった。一つには、そうすることで白いのの意表を突けると考えたこともあったが、もう一つ、割と切実な問題があった。龍脈を辿る必要があったからだ」


 龍脈。

 大雑把に言えばこの大陸のみならず、それこそ世界中の地下を駆け巡る強力な魔力の流れのことだ。

 と言っても、俺のにわか認識がそこで止まっているだけなので、専門家辺りにはもっと別の解釈があるのかもしれないが。


「我らほどの存在になると、有象無象のように経口で栄養を摂取した程度では魔力の補給が追い付かなくてな、他の方法で大量の魔力を集めねばならないのだ。我は地中から直接魔力を吸収し、白いのは龍脈の上の木々や草花、あるいはその恩恵を受けた生き物を燃やし尽くすことで、魔力の糧を得ている」


 さらっとこの間の大災害の真相を明かされ、今ややせ我慢すらできないほど心中穏やかではないが、黒曜の話はまだ終わっていない以上聞くしかない。

 ここで余計な口出しをして話を中断させることは、爺ちゃんからの猛稽古に耐えた俺の意思が許さなかった。


「そういうわけで、龍脈の上をなぞる形でのんびりと歩きながら次の住処を探していた時、見つけたのだ、タケトよ」


「住処をか?」


「少し違うな、我が求めるものだ」


「求めるものって……もしかして竹のことを言っているのか?」


「うむ、まさしく」


 確か熊は雑食、しかも異世界の熊の魔獣となれば魔力の蓄えられた植物なら特に好んで食べてもおかしくはないはず。

 でも自分で言っておきながら、最低でも五百年は生きている伝説の魔獣が、俺の魔法で生やした竹に飛びつくのか?と半信半疑だったのだが、目の前の熊は人間の俺でもはっきりわかるほど深く頷いて見せた。


「……こ、ここまでの話は分かった。いろいろ突っ込みどころも満載だが、それでも一応納得はした。だが、それでもわからないことがある。なんで俺の許可が必要なんだ?コルリ村の代官になった俺が言うのもなんだが、人族の決め事なんてお前ら魔獣には関係ないだろ?現に、白焔なんて住人のことなんてお構いなしにこの辺りの森を全部燃やしてしまったんだ。それが何で俺を待つ必要が出てくるんだ?」


「確かに、人族や魔族の争いや掟など、我には関係ない。だが、龍脈に関することなら話は別だ。少なくともこの辺り一帯の龍脈に関しては、タケト、お主が支配しているのだからな」


「し、支配?……馬鹿なことを言うようで悪いが、俺がコルリ村の代官だからとか、そんな話じゃないよな?」


「言ったであろう、龍脈の話だと。無論、偶々何かの拍子にできるような話ではない、絶対に心当たりがあるはずだ」


 そこまで黒曜に言われて、ようやく思い出した。

 確かにコルリ村に来たばかりのころに、建築資材としての竹やタケノコを得るためにコルリ村の周囲を竹山に変えた。

 今でこそ一部の森が謎の復活を遂げているが、今でも竹山は村の生活が懸かった命綱なので当分このままにしておくつもりでいる。

 だがそれはあくまでも竹山を作りたかっただけであって、龍脈を支配しようなんて、発想自体思いつきもしなかった。


「誤解のないように言っておくが、我の手にかかればこの程度の非力な龍脈の支配ならそれこそ片手間で奪うことができる。だがそれでは何の意味もないのだ。その理由はタケト、お主が一番よく知っているはずだ」


「……竹は俺の意思一つで塵に返すことができるから、か?」


「そう、錬金術の高みよりもさらに上、生命魔法によって生み出されたお主の竹は、お主の魔力でしか維持できぬ。たとえ我であっても不可能だ。特に、住み心地の良いこの山に我が住み、竹を食するためにはタケトの許しが要るのだよ」


 どうやらそこで話は終わったらしく、黒曜はじっと俺の目を見つめてきた。

 ここからは俺のシンキングタイムというわけか。


 この黒曜の話を聞いて、許可云々の前に一つ懸念が俺の中に出てきた。

 どうも俺が生み出した竹山は、黒曜ほどの魔獣が狙う価値があるほど、魔力という栄養が豊富な代物らしい。

 よくよく考えてみれば、あれだけ規格外の魔道具をポンポン作れるのだから、もっと早くその可能性に行き着いても良かったくらいだ。

 こうして言われるまで気づかなかった俺が間抜けだった、ということだ。


 そうなると、俺が来てからのコルリ村周辺での魔獣や魔物の出現も俄然その意味が変わってくる。

 今はまだラキアや村人で撃退できているが、いつまた白焔クラスの魔獣が来てもおかしくないということだ。

 そうなればもはや村の危機なんてレベルではなくなるのだが、かといってそのために全ての竹を塵に変えるという選択肢もここで暮らしていく以上はありえない。


 そこまで考えて、目の前の魔獣に改めて目を向けてみる。


 人語を話せるばかりかきちんと人族の事情も理解できる知性がある。

 その上で穏当な形で交渉を持ちかけてきた、黒曜と名乗った魔獣。


 はじめはかつてないほどの危機だと思ったが、ひょっとしてこれは千載一遇のチャンスなのかもしれないな……


「……二つ、条件がある」


「大概のことなら受け入れるぞ」


 突然口を開いた俺に対して、黒曜は一切動じることなく答えた。


「まず、こっちから手を出さない限りは村の者を襲わないでくれ」


「当然だな、もともと我は殺生にこだわりは一切ない。必要な時に必要な力を使うだけだ、安心するといい」


「もう一つ、村の人達では手に負えないレベルの魔獣や魔物が来たら追い払ってくれ」


「ほう……そこに村と敵対する魔族や人族を対象に入れても構わんぞ?」


「いや、そこまで世話になると、きっと遠くない未来で痛いしっぺ返しが来る。自力で何とかできる範囲なら精いっぱい戦うべきだと、俺は思う。だから追い払うのはあんたのお仲間だけでいい。もちろん、コルリ村や竹山に被害が出ない限り方法は問わない」


「うむ、よかろう。我がここにいる限りは請け負った。では、ここに契約は成った」


 そう言った黒曜はその場から立ち上がると、ポンと音を立てて器用に両の手を合わせた。


 ……正座の時も思ったが、どういう関節しているんだ?

 そんなどうでもいいことを考えていたのが悪かったのか、その次に起きたことに俺は全く対応できなかった。


 突如、俺と黒曜の周りを囲むように黒く光る魔法陣が出現すると、一人と一頭の体が同じ色の光を纏った。

 わけが分からないうちにあっという間に黒い光は収束し、それぞれの体の中へと消えていった。


「よし、これで契約完了だ」


「ちょ、ちょっと待て、契約って何のことだ?ただの口約束じゃないのか?」


「何を言うか、この世界で契約と言えば魔法契約のことに決まって――そういえば主殿あるじどのは異世界人だったな。まあ大した契約内容ではないから問題はあるまい」


「だから待て!って主殿?呼び方まで変わってるじゃねえか!?」


「まあ、仮とはいえ隷属契約を結んだのだから当然だな。我がこの土地を離れることで終了する条件だからそう構えることはないぞ。ではよろしくな主殿」


 そうぬけぬけと宣ったのたまった黒曜はそのまま扉の前まで歩き、引き戸に手をかけた。


「おい、まだ話は終わってないぞ!どこへ行く気だ!?」


「すまぬが主殿、あの竹をたらふく食べることを夢見ていたせいで、ここ最近何も食べておらぬのだ。話の続きは、十分に魔力を補給して休息をとった後にしてはもらえぬか?」


「う、……さすがにそれはつらいな。わかった、続きは二日後ということにしよう」


「うむ、理解のある主殿で助かるぞ。まあ我ほどの存在になれば、百年くらい飲まず食わずでも平気なのだがな」


 ガタン


「てめえ!?」


 さすがは俺よりも賢いと思われる神獣、自分の欲望を満たすためにものの見事に俺をペテンにかけて、俺が捕まえようと思ったときにはすでに引き戸は閉まって姿が見えなくなっていた。


 今なら、あの魔獣が実は着ぐるみで、中に質の悪い詐欺師が入っていたと言われても信じられる。


 ……まあそんなことはともかく、家の外であの漆黒の熊の姿を見たであろう三人にどう説明したら納得してもらえるだろうと、俺は新たな難問に頭を悩ませながら、正座の姿勢で器の中の茶をすするのだった。



 ああ、茶がうまい。

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