第87話 駆け引き
数日後、流氷さんの葬儀、そして皆藤新首領の認定のために皆藤本邸に葵さんと茅さんとともに向かった。
葬儀は慎ましながらも大勢の人が訪れていて、その中には親父の姿もあった。その場できちんとした挨拶はなかったが、俺に気づいていたようで、頑張れよというようにしっかりと頷いていた。
葬儀から二日後、新首領の認定会議が行われていた。
武芸百家をまとめる立場の皆藤家ではあるが、武芸百家の一つでもある。俺や櫻のときと同じ手順で進められていた。
「では、皆藤家次期首領に皆藤櫻をつけることに異議はございませんでしょうか」
ただし、櫻は正式にではなく、暫定的に指名されていただけだ。今の代表は《十鬼》の第一座である茜さん。だから、彼女が進行している。
「異議あり」
真っ先に手をあげたのは榎木さんだった。
この人はあれから七年、櫻としっかりと見分けがつくようになった。
「一松首領殿」
「前科持ちの奴をつけるほど、皆藤家は落ちぶれていないはずだが」
「それは」
その意見を聞いた茜さんが渋面を作る。たしかにその意見は間違っていない、が、それではなる人がいないんじゃないのか。正確にいえば、自分の職務に責任を持てるだろう人が。
「いいんじゃないでしょうか」
だから俺はあえて反論した。
「
榎木さんは正式な場を理解している人だ。だから、昔の知り合いとしての呼び方をわざとしたんだろうが、俺は無視させてもらった。
「今の皆藤家には彼女を超えるぐらい適当な人がいますか」
「だからといっても」
「ええ、それを言うのならば、あなたや俺もなのでは?」
そうだろう?
俺も榎木さん、あなたもあなたの意見に該当しますよ。俺がそう指摘すると、なぜお前が意見を理解してくれないんだという悔しさをにじませた表情をされてしまった。
「それを持ちだすのかっ……」
「紫条殿や師節殿はどう思いますか」
榎木さんがひるんだすきに、茜さんが紫条と師節の両首領に確認すると、二人とも首を縦に振る。
「師節としては彼女が継ぐことに問題ないように見受けるが」
「同じく紫条家もだ」
三対一。
これで櫻の首領相続が決まった。
「お前ら……!!」
悔しさをにじませた榎木さんの叫びがここにこだまするが、これ以上だれもなにも言わなかった。
皆藤新首領が決まった後、さっさとホテルに行こうとしたのだが、榎木さんに呼びとめられてしまい、近くの喫茶店に連れこまれた。
「なんでお前、あそこで反対しなかった」
「『なんで』って、あの場でちゃんと理由を言いましたよね?」
榎木さんが持ちだしたのはやっぱりさっきのことだった。だから、俺はそのままの理由を継げるが、榎木さんはグラスを机に勢いよく置く。まわりに水がこぼれてしまったが、そんなことをこの人は気にしていない。
「違う!」
さっき見せた表情を
どういうことだ?
その理論ならばさっきも言いましたよね。
それならば、俺も榎木さんも当てはまるって。なに違うんですか?
「お前ら
榎木さんの慟哭のような叫びに、俺は一瞬、そういえばそうだったなと思いだす。
「そんなお前たちが一緒になれなくてどうする? お前らの自己犠牲なんて知らないんだよ!! もう二度とお前たちが苦しんでいる姿なんて見たくねぇんだよ!!!!」
そういうことか。
だったらそれは
「それですが、俺にも考えがありまして、榎木さんにお願いがあるんです」
俺は榎木さんに『お願い』をすることにした。
「なんだ」
「来月、ある動議を発案します。それに反対しないでいただきたいんです」
榎木さんは息をのみしばらく考え、なにかに思い至ったようで俺をにらんできた。この流れで出しそうなことを考え、気づいたんだろう。
「……くだらないことを考えやがったな」
どうやらその動議は『くだらないこと』らしい。
「褒めてます?」
「貶している」
けれど、お前らしいという表情をしていた。
「よくそんな勝算がないことに挑もうとするな」
そうでしょう。
『それ』はあくまでも勝算のない、覚悟があっても運がなければできないことだ。
「しかも下手すればというか、ほぼ必ずといってもいいぐらいの確率で櫻が苦しんでいる姿を一生見ろと言うのか」
だろうな。
そうなる可能性のほうが高い。それは俺も考えたが、なにせ
「それでも、挑戦しないよりはいいです。後悔はしません」
俺の言葉に呆れたような表情を見せるが、たぶん本心は違う。
「お前はな……そうだろうが、反対しなかった俺たちはきっと後悔する」
そう言ってくれるのは嬉しいな。
この人は根っからの櫻至上主義だが、きちんと俺のこともみてくれていたようだ。
「でも、お前の覚悟はわかった。その動議に対して反対しないことを約束する」
「ありがとうございます」
一週間後、櫻の新首領就任式が行われた。
その準備をしている最中に例の『動議』について紫条と師節の両首領にも説明し、納得してもらった。紫条は小萩さんなのでそこまで説得に苦労しなかったが、師節の首領に説明するときは少しだけ苦労し、榎木さんと葵さんに協力してもらえなければ、少し危ういところだった。
櫻の首領就任の儀式は俺たち各家の首領就任式とは違い、武芸百家をまとめるための宣誓式みたいなものだった。
だから、あのときとはまた違った緊張感があったが、あっという間だった。
そして翌日。
もともと新しい首領がたったときは五位会議を行う決まりがあるので、それに乗じてあの動議を提出した。
「今日は伍赤家首領から発案があると聞いたが」
「ええ」
白々しく言う榎木さん。その目には笑みが映っている。
たぶんこの場で知らないのは櫻だけだからか、だれもなにも言わない。
「この度、一身上の都合で伍赤家首領を返還しようと思ったのですが、このタイミングでしてよいのか皆さまにお伺いしようと思いまして」
俺の言葉に驚く櫻。
宗家に生まれたものならば、そして首領として立つべく育てられたものならば、それがいかに非常識なものなのか、理解できるだろう。
「それは、健康面でなにか不安なことでもあるのですか?」
「いえ、ただの一身上の都合です」
櫻の問いかけはその非常識なものであっても、できればそうでないと願うもの。
でも、俺の願いは非常識なものだ。
「お考え直しいただくことはできませんか?」
「できません」
優しく問いかけてくるが、櫻の問いだからといっても、それを曲げることはしたくない。
「どうしてもですか?」
「ええ」
「いいんじゃないのですか? 首領の座の返還には多大なリスクが生じることを伍赤殿もご存じのはず。そうですよね」
「もちろん」
俺と櫻のやり取りにしびれを切らした榎木さんが助け船を出してくれる。
やっぱりこの人には頭が上がらないな。
「私は……やっぱり賛成はできません」
だろうな。
よっぽどの素行不良ならば、賛成するかもしれないが、そもそもそんな素行不良の人は首領として認められない。認められても、長続きしない。
「ですが、どうしても
だが、櫻は幼馴染としては認めてくれるようだ。
「ありがとうございます」
どんな結末を生むのかわからなくても。
だから俺はその結末を切り開く運が欲しかった。
「総花君、
会議の後、アイツがどう出るだろうかと思って、少し待っていたら、案の定、茜さんに呼びとめられた。
しかし、その呼び方はいい加減やめようよと思ったのだが、どうやら意図があるらしい。
「わかりました」
彼女について櫻の元へ向かった。
連れていかれたのは、少し年季が入っている洋室だった。
「ここでは幼馴染として話をしたい」
そう言いながらソファを指さしたので、言葉に甘えてそこに座らせてもらうと、櫻が大きなクッションを抱えていることに気づいた。
しばらく黙っていたが、ゆっくりと口を開いた櫻はさっきの話を蒸し返しはじめた。
「なんで、危ないとわかっていてもそれを望むの?」
「後悔しないためだ」
それはだれからも聞かれたもの。でも、答えは一つしかない。
「後悔しないため?」
ああ、そうだ。
櫻がわかっていなさそうに首を傾げるが、俺はしっかりと櫻の目を見て頷く。
「だから、俺の覚悟をお前の目できちんと
「絶対にしなきゃダメ?」
ああ、見ていてほしい。
酷な話だとわかっているが、俺を焚きつけた責任だ。
「もちろんだ。そうでなくても皆藤の首領にはその義務がある」
「わかった。無事に帰ってくるように祈る」
「そうか、ありがとう。櫻」
俺は右手を櫻の手の上にそっと重ねた。
今は俺は握れないが、いつかきっと、きちんと握れるその日のために、俺は頑張るよ。
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