第472話 君の名は

「…………本当にいた」


 部屋の隅で小さく震えている白いウサギを見て、ニーナはミーファの肩を掴んで興奮したように話しかける。


「す、凄いよミーファちゃん! まさか本当にトントバーニィを見つけちゃうなんて!」

「ニーナちゃん……シッ」


 興奮してはしゃぐニーナに、ミーファは口元に手を当てて静かにするように指示を出す。


「おおきなこえだすと、トントバーニィがこわがっちゃうよ」

「あっ、ゴメン……そうだよね」


 ニーナは慌てて自分の口を両手で塞ぐと、小さく縮こまっている白いウサギに笑顔を向ける。


「えへへ……大丈夫だからね?」

「…………」


 だが、そんなニーナの声にも、白いウサギは警戒を解く素振りを見せず、脱出の機会を伺うように忙しなく目を走らせる。


「う~ん、がっつり警戒されちゃってるな……ミーファちゃん、どうするの?」

「だいじょーぶ。まかせて」


 何か策でもあるのか、ミーファはこっくりと大きく頷くと、両手を広げて白いウサギへと差し出す。


「ほらほら、ミーファとおはなししよ」


 そうしてミーファが一歩踏み脱した途端、白いウサギが動き出す。


「――ッ!?」


 これまで小さく縮こまっていたのは、萎縮していたのではなく力を溜めていたのか、最初にニーナの手からオリーブを掠め取った時のように、目にも止まらぬ速さで飛び出す。


 だが、その自慢の脚力が実力を発揮するには、些か助走距離が足りなかった。


「ほい……」


 初速からとんでもない速さで飛び出した白いウサギであったが、ロキでも反応できなかった最高速度と比べると流石に遅く、手を伸ばしたミーファによって捕まえられてしまう。


「キイィィ! キイイイイィィィィ!!」


 その瞬間、白いウサギが悲鳴のような金切り声を上げ、ジタバタと手足をめちゃくちゃに動かしてミーファの手から逃れようとする。


「よしよし、だいじょーぶだからね」


 だが、ミーファは白いウサギの首根っこを右手でがっちりと掴み、宙に掲げて白いウサギの手足の動きを完全に封じる。

 さらにミーファは、空いている左手をわきわきさせてニンマリと笑うと、


「わしゃわしゃわしゃ……」


 白いウサギの背中に手を這わせると、パンを快楽の絶頂へと誘った撫でテクニックを披露していった。




 そうして、ミーファに捕まってしまった白いウサギは、


「プゥ…………プヒッ…………」


 口の端からダラダラ涎を垂らしながら、恍惚の表情を浮かべてピクピクと悶絶していた。


「ふぅ……」


 白いウサギがおとなしくなったのを見て、ミーファは普段、浩一が仕事終わりに見せる仕草を真似して額の汗を拭う。


「やれやれだぜ」

「プッ、何それ。コーイチさんの真似?」

「うん、おにーちゃん、かえってくると、いっつもやってるよ」

「そうなんだ、ウチのパパと同じだ」

「…………フフッ」

「…………クスッ」


 二人の少女は顔を見合わせると、コロコロと嬉しそうに笑う。

 自分たちが大好きな人たちがみせる仕草が同じということが、何だか不思議に思えておかしくなったのだ。



「……あ~、おかしかった」


 そうしてひとしきり笑い合った後、目から溢れてきた涙を拭ったニーナは、同じように笑っているミーファに話しかける。


「それで、ミーファちゃん、このウサギさんをどうするの?」

「うんとね……」


 ミーファは頷くと、悶絶している白いウサギを抱いて優しく頭を撫ではじめる。


「だいじょーぶ……だいじょーぶ…………」


 そうして何度も優しく頭を撫でながら、ミーファは白いウサギに向かって話しかける。


「ねえ、ミーファはミーファっていうの。あなたのおなまえ、おしえて?」

「…………」


 その言葉に、白いウサギはゆっくりと顔を上げ、赤い目でミーファのことをジッ、と見る。

 続いてニコニコと笑顔を浮かべているニーナを見た白いウサギは、再びミーファを見て「プゥ……」と小さく鳴く。


「……何だって?」

「うんとね、なまえってなに? だって」


 ニーナの疑問に、ミーファは白いウサギの頭を撫でながら答える。


「このウサギさん、おなまえ、ないんだって」

「そっか……野生動物だもんね」


 普通に考えて野生動物に名前という概念があるはずもなく、例え兄弟が複数いたとしても、それぞれの個体を識別する意味での名前など必要ないのだろう。


「あっ、そうだ」


 するとニーナが妙案を思いついたかのように柏手を打つと、母親のような穏やかな笑みを浮かべているミーファに提案する。


「だったらさ、ミーファちゃんがこの子に名前を付けてあげたら?」

「ミーファが?」

「うん、だって名前がないと呼ぶの困るでしょ? このままウサギさんってのも変だし……」

「そっか」


 ミーファはコクコクと頷くと、白いウサギに向かって話しかける。


「ねえ、ミーファがあなたのおなまえを、つけてもいい?」


 その質問に、白いウサギは首を傾けながら「プッ」と鳴く。

 どうやらまだ事態をよく理解していないが、とりあえずはミーファに委ねることを承諾したようだ。


「わかった。それじゃね……」


 ミーファは頭をゆらゆらと左右に揺らしながら「う~ん、う~ん」と何度も唸る。



 すっかりおとなしくなった白いウサギを抱え、前後左右から眺めて何か妙案はないかと頭を巡らせる。


「むぅ……」


 だが、名前を決めるという重大な問題に簡単に答えを出すのは躊躇われるのか、ミーファは可愛い顔をしかめて唇を尖らせる。


「……ねえ、ミーファちゃん」


 すると、隣で見ていたニーナが助け舟を出す。


「困ってるなら。好きな物を名前にしたらどうかな?」

「すきなもの? にく~!」

「そ、それは、ちょっと……」


 流石に肉という名前はないと思ったニーナは、少し頭を捻ってからもう一度アプローチする。


「だったら、ミーファちゃんの好きな人、コーイチさんやお姉さんたちの好きな物とかで考えたらどうかな?」

「すきなもの……すきなもの…………あっ」


 以前に浩一から聞いた好きなもの話を思い出したミーファは、顔を上げて嬉しそうに顔を輝かせる。

 自分が大好きな人のものなら、きっとこの白いウサギも気に入ってくれるに間違いないからだ。


「ミーファ、あなたのおなまえきめたよ」


 そうしてミーファは、白いウサギの名前を告げる。


「あなたのなまえは、うどん、だよ」

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